2005年10月26日
| 種ッコの話 |
きょうも好天に恵まれた秋田です。好天の分、朝晩の寒さも厳しくなってきています。あっちへ行ったりこっちへ来たりと、いろんな作業をした一日でした。
自家用の黒豆と茶豆の収穫をしていたら、近所のお母さんが、
「枝豆の種ッコあるか?(なければあげるよー)」って声をかけてくれました。
おいしい枝豆のようでした。少しもらうことにしました。枝豆を収穫せずにいると、完熟して普通の?豆になります。そしてこれが来年の種として播かれるのです。
「誰かに種ッコあげておくと、いつか自分で無くしてしまった時にもらうことができるんだって」そのお母さんが、そんなことを言いました。
毎年続けるつもりでも、なんかの拍子で、種まきできずにしまうことがあります。すると種は絶えてしまい、その先ずっと植えることはできません。そんな時、あげた種を誰かが植えていたら、種ッコをもらうことができるのです。枝豆に限らず、いろんな品種があって、でもいったんその種を無くしたら、もう二度と植えることができないばかりか、その品種そのものが無くなってしまうことになります。種って大事というか、大げさに言うならひとつの文化です。
「そんなこと言われなくてもわかるっちゃー(寒)」
作業を続けている所へ、その母さんがもう一回やって来て、白小豆の種もくれました。わぁ、ちょっぴり責任重大。
「(近所の)お母さん、どーもありがとー」
静かな一日のひとコマです。
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2005年10月12日
| 米ッコのいた場所 |
夕方5時半、宅配の人が荷物を集めに来ました。きょうは発送するお米がちょっと多かった日でした。ついさっき、と言っても5時のことですが、いつものように隣の市の、ここから近い場所にある公民館から、いつもの曲が流れてきました。「はげやまの一夜(でしたっけ?)」の中の、「遠き山に日は落ちて」のメロディーです。日一日と日暮れの時間が早くなっているので、この時期、この曲は妙に雰囲気に合っているような気がします。
きょうはとても良い天気だったのです。気温も、この時期としては暑いくらいまで上がりました。そんなに良い天気なのに、発送の準備その他で、午前中は屋内での作業でした。家にはひとりきり。久しぶりに、エンヤのアルバムを聴きながら進めました。
この米ッコはここを出て行くとき、最後にわたしといっしょにエンヤを聴いたんだぁと思ったのでしたが、荷物が運ばれていったのはついさっき。その直前に、テレビで「あたしんち」がやっていて、最後は「威風堂々」です。元気いっぱいになって?、我が家から出発したのでした。
ちなみに、その公民館では毎朝6時にも曲が流れます。エーデルワイスです。
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2005年10月9日
| 「ドン」 |
ずいぶん前のある秋の朝のことです。
起きて玄関の戸を開けたら、一枚の紙が置かれていました。風で飛ばないようにと、その上には手ごろな大きさの石ころが…。何だろうと思って拾い上げてみると、「ドン」の案内でした。
「ドン」、ご存知ですか?場所によっては別の名前だと思います。うまく説明できませんが、お米(白米や玄米)を専用の機械に入れて、圧縮?させること数10秒。大きな音がしたと同時に、お米が膨らんでアズキ大くらいの大きさになります。「ポン菓子」と言ったりもするようです。お米といっしょに少し砂糖を入れるからでしょうか、できあがったそのお菓子には、ほんのりとした甘みがつきます。
その「ドン」をやってくれるというのです。たいていの家が農家だからお米はあります。手数料はお米一升(1.5キロ)でいくらだったか…。忘れてしまいました。場所は集落の端にある神社の境内でした。
手書きの案内。何か、宮沢賢治の童話を思わせるような朝のひとときの手紙でした。
この年は、あいにく冷害で、不作だった年でした。神社にどれくらいの人が行ったのか、「ドン」をやる人が、いろんなところをまわって歩いて、はたしてどれくらいの人が来たのか、知る由もありません。でも、そのときの「ドン」をやる人の、日々の暮らしというか生活について、ふと思いを巡らすことがあるのです。
秋は、いろんなことを思うものですね…。
一雨ごとに秋の深まりを感じる秋田。朝晩の寒さもずいぶん増してきました。籾すりされて間もない米ッコたちは、うとうとし始めているのかもしれません。一等米の判定をいただきました。
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2005年9月24日
| お米の味 |
好天に恵まれ、稲刈りも順調に進んでいるボンブ(ウ)ガルテンです。数日遅れで同時進行となる籾すり作業はきょうが5日目。当たり前のことだけど、ちょっと前まで田んぼにいた米ッコが、もう玄米になってしまっています。籾すり作業の最中は何度か玄米をつまんでかじってみます。甘みを感じられるかどうか確かめるのです。はたして17年産米は…。余計なことを書かないで、食べてくださった方の判断に任せることにしようと思います。
刈り取ったばかりの籾の含有水分は、ほとんどの場合20%以上になっています。それを乾燥機で15%くらいまで乾燥させます。15.5%以上だと来春以降、常温では品質の劣化がどんどん進みます。もちろん味も落ちます。でも、同じお米で比べると、このくらいの水分の時がいちばんおいしいようです。
いまでは農協などに出荷する場合は14.5%ぐらいのところが標準となっています。この数字だと、梅雨以降ちょうど良くなるらしいのですが、新米の味は落ちます。乾燥しすぎなんです。最後の最後のところで、お米のおいしさを無くしてしまっては元も子もありません。気を抜かずに作業したいと思っています。
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2005年9月15日
| 月の光がこうこうと… |
きれいな月の夜です。近くの駅まで車を走らせている最中に、よその家の屋根が月の光を受けて光っているのが目に入ったり、大きな用水路の水の流れの中に、光が乱反射?している様子が見えたり…。しんとしている中でのそうした光景なので、よけいに月夜の美しさがこころにしみてくるような気がします。
18日(日)は十五夜。豆名月だとか。どうぞその夜もすてきな月夜になりますように。ごぶさたの方が元気でありますように。おんなじようにその夜の月をどっかで見ていてくれたら良いなと思っています。
豆名月にふさわしいおいしい枝豆…。きょうその初物を少しだけ収穫しました。「秘伝」なんていう時代がかった名前がついています。豆のふくらみ具合はまだ完全ではありませんが、本当はそんな状態の方が、おいしい場合が多いんです。どんな野菜でも、収穫後まもなく食べた方がおいしいのですが、枝豆もそのとおり。朝早く畑から取ってきて、午前のお茶ッコの時間に食べると本当においしいです。
枝豆は中生や晩生の品種にも多くのおいしい品種があります。「湯上り娘」「ひとり娘」「砂糖要らず」その他、「秘伝」もそうです。枝豆にはどうして娘という字が入るんでしょう?その答えはともかく、「湯上り息子」や「ひとり息子」…。そんな名前だったら、あんまり食べたい気がしないのですが、みなさんだったらどうでしょうか?
どうでもいいことですが、夜に車を走らせたのは、部活で遅くなった息子を迎えに行ってのことなのでした。
いよいよあさってから稲刈りを始める予定です。
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2005年6月16日
| どんぐり |
きょう、畑で作業していたら、畑の真ん中に妙な草が…。
引き抜いてみたら、白い根とともにどんぐりがくっついていたのです。
すーっと伸びた茎の太さは竹串ぐらいで、長さは10cmほど。
その先端には数枚の葉っぱがくっついていました。
実際の形は全然違うけど、ヤシの木のミニチュア版みたいな感じでした。
なんとなくめんこくて、家に持ち帰っってすぐ、ありあわせの鉢に植えました。
果たして根付くかどうかわかりませんが、
大きくなったら地植えしてあげようと思ったのでした。
ひとくちにどんぐりと言っても、何種類もの木の実があることでしょう。
どんな木になるのか、そもそも育つのか…。
途中の過程など一切おかまいなく、
大きくなった姿が一瞬こころに浮かんだひとときでした。
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2005年4月19日
| 苗代とツバメ |
苗代に映る山々
きょう、苗代を作りました。苗代というのは苗を育てる場所のことで、通常はビニールハウスがその場所となります。いろんな事情で、ビニールハウスでできない農家は、小さなビニールトンネルを作ってその中で苗を育てます。その時、田んぼは耕され、水を入れて再度耕され(代かきといわれます)、土はトロトロの状態になります。そこで苗を育てるわけです。
数日前からツバメがやって来ています。ツバメとトロトロの土の関係を知ったのは昨年のことでした。
小屋の中にはツバメの巣。でも約1年ぶりのことなので、巣自体はずいぶん傷んでいます。この巣をしっかりと頑丈なものに修復するために、トロトロの土は無くてはならないものなのでした。きょう、トロトロの土ができました。数日前に最初にやって来た一羽は、オスなのかメスなのかわかりません。いつも最初は一羽なのです。どちらかが数日遅れてきて、それがどんな理由なのかもわかりません。今朝はなぜか3羽が飛んでいました、が、一羽が追い払われていました。どんな三角関係なのやら(笑)…。
今年予定していたビニールハウスを間に合わせることができず、苗代を作った我が家。ツバメにとっては幸運でしたが、来年はどうなることやら。
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2005年4月9日
| ゆぎッコあと少し 花ッコまだまだ |
大人の背丈より高く積もった田んぼの雪も、あと少しですべて消えそうになった、ここ仙南です。こんなに遅くまで雪が残っているのはずいぶん久しぶりのこと。記憶に残る冬になりました。
それでも、家の裏側の北に向いた場所は、お日さまの光があんまり当らないこともあって、相変わらず大人の背丈ぐらいのままです。降り積もった雪だけでなく、3度も屋根から降ろされた雪が加わっているのですから、ガチガチにかたく凍ったままです。
冷蔵庫の無かった時代には、この雪はちょっとした冷蔵庫代わりだったそうです。5月中頃に行われる地区神社のお祭り…。その時に、ごちそう用に買った魚などをいったんそこで冷やしていたりしたとか。まさに「天然の冷蔵庫」でした。
そんなふうに書いたら、イメージだけは良く聞こえます。でも実際は、春になって残っている雪は汚れがとっても目立ちます。冬に比べて春はいろんなものが飛び交います。それらが白い雪に落ちるのですから、雪は純白のイメージとは程遠くなってしまうのです。ゆぎッコは何にも悪ぐねぇのに…。
当然のことながら、雪の下には何かしらの植物が…。自然に消える5月下旬?までそのままにしていたら、日の目をみることができず、その植物たちもかわいそうです。手をかけて早く消してあげたくなる所以です。
慢性の軽度花粉症?、そんなものがあるかどうか定かではありませんが、10数年前から年に数日は涙ボロボロ。おとといは今シーズンの第1日目となりました。
2、3日前からテレビではあちこちの桜の様子が。きょうお昼は上野公園が映っていました。いっぱいの桜の中をひとがぞろぞろ…。いいなぁと思いながら見ました。秋田でも早いところはあと2週間ほど?ここらでは3週間ぐらいあとになりそうです。
お米作りもいよいよ本格的に始まるころとなりました。
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2005年3月25日
| 「やらないでよかった」よりも… |
たくさんの雪で、道路以外はまだ一面の銀世界の仙南です。と言っても、積もった雪のかさもずいぶん少なくなりました。
昨年秋、今年春早くからの「そら豆」栽培をちょっと考えていた凡夫です。その前に、畑の土が栽培に適しているかどうかを調べてもらったのでした。結果は、そら豆栽培には酸性が強く、土壌改良剤が必要と言われたのです。まぁ、それはそれとして、4月早々には苗を植えなければいけない、と説明を受けていました。準備の良い農家は、昨年秋からもう段取りを済ませ、雪消えとともに苗を植えられるようにしています。我が家ではそんな準備がぜんぜんできないまま冬を迎えてしまっていたので、結局は今年の栽培をしないことにしたのでした。そう決めたのは、昨年暮れのことです。
「やらないでよかった」 いま、そう思っています。やることにしていたら、大変なことになっていました。雪がこんなにも遅くまであるとも思わず、種はすでに播かれ、順調に育っているはずです(苗は専門の場所で育てられ、農家はその苗を前もって予約しておいて、植え時に受け取るのです)。雪があろうとなかろうと、苗は予定されていた時に引き渡されることでしょう…。
昨年は何度も台風がやって来ました。ビニールハウスが壊され、大変な損害を受けた農家もありました。「やっていたら、大変だった…」そう思ったことが何度もあった年でした。
でも、ふと思うのです。「やらないでよかった」としみじみ感じる以外の時は、もしかすれば「やっててよかった」のかしれないのです。実際は天候による良し悪しだけでなく、いろんなことがあるので、単純には言えないのですが(それは、「農業が割りが合わない」と見切りをつける人が年を追うごとに増えていっている状況が雄弁に語っています)。
「やらないでよかった」も大事だけど、「やってよかった」もそれ以上に大事かもしれません。そんなことを思いながら、自分の器量に合わせて少しでも何かをしていきたいものだなと改めて思ったことでした。「やってみたら良くなかった」かもしれないけど「やって良かった」と思えることもあるような気がして…。
それにしても、「そら豆」なんてこちらではほとんど食べません(と思います)。おつまみの中にカラカラに乾いたそら豆が入っていたりしますが、子どもの時はおいしいとは思いませんでした。塩茹でして食べるなんて知らなかったのです。おつまみの中に入っている殻付きのを、子どもたちは「けっつ豆」と呼んでいました。けっつ…、お尻のことです(ゴメンナサイ)。つい最近、お茶の時間に子供たちの前でそう言ったら、大爆笑でした。
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2005年3月20日
| 彼岸の中日、「地獄の鬼ッコも…」 |
春分の日といえば、ほとんどの年は21日ではないでしょうか?今年もそうだと思っていたら、きょう20日がその日に当っていました。<BR> 昔のお百姓は、この時期、堆肥運びに精を出していました。田んぼの雪もだいぶかさが少なくなり、そこに何ヶ所か穴を掘って、家の近くに積んである堆肥をそりに載せて運びました。その時間は早朝、そして午前のお茶ッコの時間の頃までです。というのも、この時期は「かた雪」になりやすい時期。人がただ歩くのはもちろんのこと、堆肥をいっぱい積んだそりでも、その重みで雪に沈んでしまうということはないんです。でも、その「かた雪」が好天とともにやわらかくなってしまうのが、午前9時前。作業の時間もその範囲に絞られます。
春分の日、いわゆる彼岸の中日であっても、やってしまいたいという農家はいますけど、その時に頑張っている農家の人へのあいさつがこれ。「彼岸の中日は、地獄の鬼ッコも休むと言うぞ(だからあなたも休んだらどうですか?)」
えんま大王がユーモアを解する人?だったらいいなぁ。いまからいっしょうけんめい考えておくんだけど(笑)。でも、「縁は(えんま)異なもの味なもの」なんて言ったら激怒されるかな…。なんて、実際はそんな度胸もない凡夫なんです(苦笑)。
当地で「堆肥運び」が無くなってから30年にもなるでしょうか。そのことの意味は、簡単に「良し悪し」につながるものではないのです。
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2005年2月23日
| 春をさがしに… |
おととい、郵便局からの帰り際、職員の一人が言いました。「日曜日は川(の土手)に行ってみるかな。もう、めめんこ咲いてるべ」
「めめんこ」は秋田弁でねこやなぎのこと。芽がめんこいということでしょうか?これも素敵な言葉です。それを聞いた一人の人が「なつかしい言葉だなや〜 で、何するの?」という問い。「旬のものだべ、取ってくるべ(旬のものだもの、取ってくるんだよ)」との答えに、私も「取ってきて仏さんさ(仏壇に)飾るんだべ?」と話に加わりました。いまはいろんなきれいな花が年中咲いているし、お店で買うこともできます。そんなことができなかった時代、「めめんこ」は旬の花であり、春の訪れを感じさせる花だったのです。
「川さ行けば春見つかるな」そんな言葉を付け加えたその人にびっくり! 思わず「**さん、詩人だねー」と叫んでしまいました。その人はとても話し上手で、明るい雰囲気の人。多弁は詩人に似合いません。だって昔から言うじゃないですか。「詩人にくちなし」って…。
あらら、恥ずかしがり屋の春がまた引っ込んでしまったような。大変な大雪に、本当に春が待ち遠しい秋田です。
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2005年2月12日
| 「まぐれんこ」 |
冬期間は郵便配達のバイトをしている凡夫です。
今朝起きた時、とても多くの雪が積もっていました。この冬いちばんの部類に入るかもしれないというくらいだったのです。そして日中もひっきりなしにふり、昼過ぎからは除雪車が出動となりました。
配達の終了間際、幹線以外の道路にもようやく除雪車が…。で、除雪したあとのツルツルの道路。直角のカーブをそろそろと曲がったはずなのに、バイクもろとも見事に転んでしまいました。
でも全然痛くなかったのです。というより、見事(かどうかはわからないのですが)な受身を取って、そのまま立ち上がってしまったのでした。そしてあたりをキョロキョロ…。局のみんなに聞くと、やっぱり誰もが、転んだ時は起き上がってすぐあたりを見回すのだそうです。誰かに見られなかったかな、という思いでだと言います。うーん、そうかもしれません。でも、もしかすれば無意識のうちに状況判断のためにするではないかと思うのです。それはともかく、くるんと回ったのでした。
「まぐれんこ」、標準語では前転のことを言います。小さな子供が、できるようになった前転を得意げに連発!「おやー、まぐれんこ じょうずなったごど」なんてほめられると、ますます勢いづきます。ちなみに後転のことは「うしろまぐれんこ」。横転のことは「よごまぐれんこ」って、言ったような言わなかったような…。
今日の私は「よごまぐれんこ」を一回。スクっと立ち上がった自分を自画自賛したことでした。
これを読んでくださっているみなさんの子どもたちは、「まぐれんこ」たのしんでますか?
でも、あんまり揺さぶられると、脳に障害がおこる危険あり、なんて何年か前のニュースで聴いたような…。大丈夫な年齢になってからだと安心ですね。
それにしてもよく降る雪…。最語はあきれてしまって笑うしかなくなるんですよ。自然のちからに謙虚になるしかなくて。
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2005年2月6日
| 寒の分かれ… |
「寒の分かれに荒れれば、(そのあと)49日荒れる」なんて言われてきました。ローカル色ゆたかな天気に関する言い伝えです。
「寒」というのは大寒、小寒の寒のこと。そして「寒の分かれ」というのは「立春」の前日、節分の日のことです。文字通り、「寒」がさよならすることなんでしょう。
ていねいな「暦」には、この「寒の分かれ」の時間まで書いてあります。この時間がいったい何を意味するものなのかはまだわからずにいますが、何となくおもしろいものだなと思います。このときに天気が悪い(ここらだと、吹雪模様ということかな)ようだと、暦の上では春になるけれども、なかなか春めいてはきませんよ、ということなのです。その49日後とは、彼岸の入り日です。
「寒の分かれ」、残念ながら荒れ気味の天気でした。言い伝えどおりなら、冬型の気圧配置はまだまだ続くことになるのでしょう。確かに節分の日をはさんでここ数日、まとまった雪が降り続いています。
でも、2月に入ると、お日さまの光の強さもだいぶ強まってきます。厚い雪雲がたちこめ、もさもさと雪が降っていても、空のずっと上のほうでお日さまが輝いているのが、何となく分かるようになります。そして一瞬の出来事ながら、ぱぁーっと青空が広がったり…。青空のきれいさをもっとも実感できるのがこの時期かもしれません。雪ッコがいっぱい降るからそんなふうに思えるんですね、きっと。
明けて4日の立春。郵便配達先の何ヶ所かで玄関先に落ちていた落花生。あっ、ここの家でも豆まきしたんだな、そんな思いを感じながら配達をしたことでした。
立春の日は、1年でただ1日、生卵が立つ日です。今年の新聞にはそんな記事がなかったですけど(家庭欄に書かれていたりします)、そう言われています。晩ご飯の前に何度か試してみたのですが、うまくできませんでした。
天気に関する言い伝えのなかで素敵に思える言葉があります。
「寒九(かんく)の雨」というもので、寒に入って9日目前後にちょっと寒気が緩んで、みぞれや雨になりやすいのだそうです。雪の降らないところではどうなんでしょう。1月の中頃でしたが…。
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2004年12月20日
| お米の味って? おまけ |
農家では自家用野菜を作るので、多く取れると、ばっちゃん達は漬物を作ります。塩その他の調味料はいつも大体同じ。でもその年の気候(気温)によって、味は微妙に違ったりします。時にはちょっと酸っぱくなったりすることも。以下、秋田弁で…
「おやぁ、うめ漬物だごど、ばっちゃ」
「じっちゃ、ごめんな。今年さっと しっけぐしてしまった」
「なんも、なってもね。ばっちゃ、うめでぇ。まま じっぱり食うにえ」
わかりやすく書くとこうです。
「うわぁ、おいしく漬かったな、ばっちゃん」
「ゴメンネ、じっちゃん。今年はちょっと酸っぱくなってしまって」
「大丈夫、そうでもないよ。ばっちゃん、おいしくできてるよ。ご飯もたくさんすすむよ」
仲良くなるとこうなんです。良いですね、こんな関係。
じっちゃんの周りには若い頃、まだいろんな女の人がいたかもしれません(笑)。もちろん、ばっちゃんの周りにも(笑)。そしてその中には、いまのばっちゃんやじっちゃん以上の人もいたことでしょう。でも、それはそれ。お互いいまのパートナーの中にいろんな長所を見つけることができるし、短所だって、そんなものと思えば気にならなくなるかもしれません。
「おいしいお米」やお百姓、縁あって求めてくださる方々との関係も、そんなふうなのかなと思ったりすることがあります。…ヘンですね。
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2004年12月11日
| お米の味って? その3 |
「同じこまちなのにどうして味が違うんだろう?」こんな思いをされたことはありませんか?おいしいこまちであっても、その度合いはさまざまです。なるべく均一の味を提供することが大事なこととなるでしょう。お米を販売するところでは、そのためにいろんなこまちをブレンドして、一定のおいしさを保つようにしているはずです。もちろん、そのおいしさは値段に大きく左右されると思います。どれもこまち、おいしさに違いはあっても、そのどれもが本物のこまちだと言えます。中には別のお米を混ぜたりする心無い業者もいると聞きますが…。
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2004年12月6日
| お米の味って?その2 |
おいしさをかもしだす気候風土というのはあります。でもそのことにあぐらをかいていては、おいしさは?です。できるだけおいしくできるよう産直農家を始め多くの農家が頑張っています。
そうしてできたお米が、どんなわけで「おいしいご飯」になるのか?このことをちょっと考えてみたいのです。
「周りの何もかもがバラ色に見える」時はご飯もおいしいような気がします。一方、「お先真っ暗」とか「すべてが灰色」なんていう時は、砂を噛んでいるような気分でしょう。大げさな話になってしまいましたが、そんなことも大いに関係するのではと思うのです。普段の気分はこんなにも両極端ではないと思いますが、ある程度おいしくできたお米だとすれば、よほど気分が落ち込んだり、体調がすぐれないということでもない限り、そのまま「おいしいご飯」になるのだと思います。
和賀屋(これは我家の屋号ではないのですが、漢字変換でこの字が出たので、それ以来気に入って使っています)では、お届け前日の精米の時にこんなおまじないをつぶやきますよ(笑)。「このお米でできたご飯が、食卓の雰囲気を和やかなものにする一助となりますように」って。
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2004年12月4日
| お米の味って?その1 |
12月、収穫そしてもみすりから2ヶ月以上たちました。玄米はスヤスヤ眠っているのかな?
お米の味ってどんなふうに決まるのか、思いつくことを書いてみたいと思います。
おいしさに大きく関係するのは、田んぼの土の種類と肥料のやり方。そして品種です。田んぼといっても実はいろんな種類の土があるんですよ。真っ黒、茶色、粘土色、赤色、そしてそういう色がさまざまな組み合わせで混じったもの。あとは砂利や砂が混じったもの、まったく土だけのものなどさまざまです。土の性質は変えることができないので、どんな土で育った稲なのかということは、とても大事なのです。
肥料のやり方も重要で、よく「有機質肥料を使ったからおいしい」と言われたりしますが、これも必ずしもそうとは言えない場合もあるようです。
品種によるおいしさの差はやっぱりあります。
まったく同じ条件の田んぼで同じように管理すれば品種による差ははっきり出ます。でも、あきたこまちでもコシヒカリでも、育った地域や栽培の仕方でその味はずいぶん差が出てきます。極端な話、隣の農家同士でおいしさは全然違うのです。
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2004年11月5日
| 秋田県の「種苗交換会」という行事その1 |
今年で127回を数える「県種苗交換会」という行事は、ありきたりな言い方ですが、すごい催事だと思います。関係される方々のご苦労にただただ脱帽です。
この催事は県内各市を持ち回りで会場にし、毎年10月末から11月初めの数日間にわたって行なわれる、農業の祭典とでもいうべきものです。メインは農産物の品評会。県内多数の農家から、さまざまな農産物が出品され、賞をつけられます。食べての審査はない(はずな)ので、外観の見事さが大事な要素のひとつと思われます。形良く育った野菜や花、ほれぼれするような一株の稲など、陳列されているものはどれもこれも甲乙つけがたいものです。販売用に出荷する時もそうですが、ちょっと拭いたりするとツヤツヤしたりして、ぶりッコ(見た目というような意味)が良くなりますね。出品だけにしゅっぴん(化粧してない状態をこう言うそうですが)じゃダメ、なんて…。
この他、農業関係のいろんな団体の方々が紹介のコーナーを準備したり、農業とはちょっと関係ないけど多くの人が集まる機会だからということで、さまざまな団体の方が展示をしたり、なかなかすごいものです。 そして野外の広い場所では、農業機械メーカーがたくさんの展示。大型のトラクターやコンバインには若い女性が乗って、手で持たなくても良いマイクを身につけ、にこやかな笑顔とともに機械を操作するというデモンストレーションを繰り返しています。家族連れやじっちゃんたちはそれなりに足をとめて見ていますよ。何となく口元もゆるみがち、ハイ、凡夫もおなじくゆるみがちです(笑)。で、ボーッとしているところへ、となりの(大蔵大臣の)かあちゃんやばっちゃんたちから「あんなに高いのどうやって買うの」との一声。あとはシュンとしてしまうわけです。
この会場には何故か仏壇屋さんや石材店、庭石、植木、刃物、衣料その他いろんな特設店舗が立ち並び、農家の人ならずとも見にきたくなるような、楽しい場所となっています。
一角で白衣を着て簡易針を売っているオジサンがいました。ケーシー高峰のような感じの人でした。そのオジサンが通りがかりのおかあさんに声を掛け、初めに前屈をさせて両手が地面に着かないことを確認させ、両足首にシール状の簡易針をペタン。「さぁ、見ているお客さん、これからびっくりすることが起きるよ。さぁ、おかあさん、もう1回手を着いてみて」 両手は見事に着きました。取り囲んでいた人たちも、思わず「ほーっ」。「さぁ、この針が*千円、マッサージ1回分でずいぶん買えますよ。おかぁさん、どぉ」 対するおかあさんの答えがふるっていました。「手が着くようになったから買わなくていい」 笑い声とともにみんなちりぢりに…。おかあさんの方が一枚も二枚も上手でした。
近くでは、ヘリコプターの遊覧飛行。曇り空ながら紅葉のきれいな会場周辺をぐるりと回っているようでした。「空がら下見だらなんぼきれいだべな(どんなにきれいだろうな)」と思いながら、でも高所恐怖と搭乗料金が急にもったいなく思われて、またまた立ち止まってしまった10月末の凡夫でした。
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2004年10月23日
| 秋の深まり |
秋の深まりとともに、お日さまの光も弱く、でも、やわらかくなってきました。
朝晩の冷え込みが日一日と厳しくなっていくため、あたたかさを感じるまでの時間も長くかかるようになってきました。住宅や店舗などがいっぱいたちならぶような場所では、この時期の様子はどんなふうなのでしょう。遠くとはいえ、周囲を山々で囲まれたここでは、秋の雰囲気はとてもしっとりとしていて、わずかながら哀愁が感じられます。
朝日や夕日に照らされ、たくさんの影がずーっと長くなってきています。あらゆる生きものが少しずつ、冬への備えをしていることでしょう。これらを今年もいっぱいはぐくんでくれたお日さまが、今度は少しずつ別の場所へ移り、そこにあるいのちたちをはぐくむ…。そんな循環があるから、どの季節もきっとかけがえのない素敵な日々なんですね。
すべて玄米となった我が家のお米。いまようやく落ち着いて、作業場の中でうとうとしているところです(笑)。
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2004年10月15日
| 月夜や星空にちからをもらって… |
新米のご注文をいただきます。贈答用にというご注文もいただきます。うれしいですね。こころから感謝です。
今の時期は、たいていの場合、夜に精米をします。雨が降ったりすると別ですが、これからの季節、雨の降らない日はとても貴重なので、発送前日の夜に精米をすることが多いのです。
夕食後、一息ついてから作業場へ。格別急ぐ理由もありません。のんびりと精米の準備を始め、あわてずに精米をします。色彩選別機を使っての着色米の除去、気分がのれば袋詰めまで。精米する量によっては、終わるのが21時を過ぎることもしばしばです。
作業場の中に差し込む月の光。作業を終えて外に出た時、すみきった星空だったり、月が見えたりすると、それだけで身体の疲れがすーっと取れるような…。暗闇はこわいものですけど、わずかな光さえあれば、こころが何となく落ち着くこともありますね。そんな思いを感じるのは私だけでしょうか?
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2004年10月4日
| 秋は感傷的? |
ここ数日、天気がパッとしない秋田です。
ほとんどの稲が田んぼから姿を消してしまった現在、
まだわずかながら残っている稲たちの姿も、
何となく弱々しく見えるようになってきました。
「時」というのがあるのですね。
対ひとや対社会の仕事、物事の推移、その他いろんなことに「時」はあるのでしょうが、
農業においてもそのことを思わせられる時が
たくさんあります。
コンバインがまだ普及していない時代、
中秋の名月の頃は、田んぼで干されている稲が
月明りに照らされ、
その影がはっきりと田面に映っていたことでしょう。
子どもたちは野球を遊びたくて、
その稲が早く片付けられるのを心待ちにしていました。
いまでは、そうした影も、野球をする子どもたちも
目にすることが無くなりました。
いまはいまで、また別の風景があり、
それが一人ひとりのこころのなかに
記憶されていくんですね。
ふと、この風景を大事にしたいと思ったことでした。
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2004年9月28日
| 稲刈りが終わりました |
昨夜の予報では、雨のおそれありと言われていた秋田県内陸南部。けっして狭くはない範囲なので、もしかすればどこかには降ったのかもしれません。でもここは晴れて、暑い一日となりました。
稲刈り最終日、晴れてよかったな。わずかながら植えていたもち米も無事収穫できました。収穫の何日も前から、下葉が枯れ上がってきていたのです。
近隣の農家は2、3日前に済んでしまった家も多く、目の前に広がる田園地帯のほとんどがもう稲が無くなってしまい、10日ほど前とは景色が一変してしまいました。
夕方、ほっとしたところへ、東の山からぽっかりと満月…。昨晩の予報の時に「中秋の名月」を見ることができるかなと思っていたので、何となくひと安心。なんもなくなってしまった田んぼを照らしています。
もみすりや(ご注文に応じての)精米作業…。いよいよ新米がお届けできるようになります。
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2004年9月23日
| いただきまーす |
稲刈りの合間の時間を使って、自家用野菜の大根の間引きをしました。
種は6粒くらいまきました。ほとんどの種が芽を出し、順調に生育。それを2本だけ残し、さらにはきょう1本にしたのでした。百姓を何年やっても、この「間引く」という作業だけは、少々気が引けます。せっかくがんばって大きくなったのに、抜いてしまうんですから…。
だとすれば、最初から種は1粒だけまけば良いようなものですが、そうするとなぜか発芽率は落ちます。不思議です。
おひたし、和え物、そして浅漬け。そんなふうにして間引いた大根葉を食べました。初物でした。ここらへんの年配の方々は「初物を食べたら75日長生きする」なんて言ったものでしたが、だんだん、「初物」とか「旬」といった言葉が死語のようになってきたような気がします。
思いがけず食べることのできた大根の間引き葉。料理してもらえて良かったなと思いました。それでも余った分は、きょう明日、自家用の20羽の鶏たちへ…。くしくも、鶏とおんなじものを食べた我が家の面々でした。
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2004年9月18日
| 稲刈りが始まりました |
稲刈りが始まりました。収穫用の機械、「コンバイン」と呼ばれています。稲刈りと脱穀(稲穂から籾を取り外すこと)とを同時に行ないます。前の機械は、籾が機械の中に溜まり、そこから順次袋に取り出しながら作業が進められました。運転する人がひとりと、横について歩きながら、籾でいっぱいになった袋を取り出す人がひとり。そんな感じです。いまでもこうした機械はありますが、さらに進歩したものもあります。籾が機械内部のタンクに溜まるところまでは同じなのですが、それが機械についた長い煙突のようなものから、まとまって排出されるものです。籾袋をひっきりなしに取り出す役目の人は、楽になりました。
田植機もそう、コンバインもそうです。いや、農業機械の分野だけに限った話ではありません。技術の進歩、発明や工夫というのはすごいものがありますね。凡人には思いつかないようなことが、誰かの頭の中でイメージされて、それがついには形になる!「プロジェクトX」ではないですけど、そこには想像を越えたような苦労もあることでしょう。
ほとんどが手作業で、それこそ「八十八の手間がかかる」と言われたお米作りも、いまではいろんな意味で楽になりました。10年以上も前に亡くなった祖父母が「こんな世の中になるとは想像もつかなかった」と言いながら、畔に腰かけてトラクターでの田おこしや代かき、田植機、コンバインの作業の様子を見ていた光景が今も時々目に浮かびます。どんなことを思っていたのかなと思ったりします。
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2004年9月14日
| 赤とんぼが日に日にふえてきているようです |
9月に入って何となく増えてきたように思えた赤とんぼが、ここ数日目立って多くなってきました。ひとくちに「赤とんぼ」と言っても、数種類いるのかもしれません。身体の色、羽の先端についてある黒色の部分の形などが違っているのです。たくさんの赤とんぼがさわやかな秋の空を悠々飛び交う光景は、いくら見ていても飽きないほどです。
種類によっては、とても人なつっこいものもあって、平気でくっついてくるんですよ。とんぼは田んぼで生まれます。たくさんのヤゴが羽化する時期に、田んぼにはお百姓の姿が。まさか、よく言われるように「最初に目にしたものを親と思ってしまう」からではないと思うんですが(笑)。
夕方、電線にはたくさんのとんぼが…。一晩ここで寝るのかな?ドタッと地面に落ちたりしたらおかしいよなぁ、なんてひとりで考えたりしてしまいます。風の強い日や雨の日はどこにいるんだろう?
こどもの頃から何十年も見てきたのに、そんな疑問をなにひとつ解明するでもなくこんにちまできてしまいました。
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