2006年6月3日
| 草刈りとカエルのいのち |
田植えが終わって一息つくと、草刈りの時期になっています。いえ、田植えの最中からすでに、場所によっては刈り時になっていたのでした。
田んぼを縁取るあぜ、農道、舗装された一般道の路肩など、とにかく自分の家の田んぼに関するすべてが、刈るべき場所なのです。この面積は、当然のことながら所有する田んぼの多寡に比例するのですが、自分の田んぼが全体の中でどこに位置しているかによっても、だいぶ違ってきます。道路に沿ってズラーッと並んでいる中で、両端の田んぼはどうしても草を刈る場所が多くなってしまうのです。何故なら、あぜそのものについては同じなのですが、その外側に必ず農道があるからです。その農道の草刈りは、それぞれの端の田んぼの持ち主がすることになっているのです。
ふだん田んぼを見る機会の無い方には、こう書いてもうまく伝わらないことでしょう。1箱100円くらいの板チョコを思い浮かべてもらえば、何となくわかるかもしれません。一枚の板チョコには割りやすいように溝が付いています。それをあぜと考え、区切られた一区画を一枚の田んぼと考えます。あぜに当る溝の部分は、隣同士で共有しています。草刈りも交互に行います。チョコの場合は一番外側の区画の外周部には溝に当る部分がありませんが、田んぼには当然あぜがあります。そして、チョコ全体が入っている箱の部分を農道と考えると、両端の田んぼの持ち主が隣接するその部分を刈ることになるのです、うまく伝わるでしょうか?
いづれにしても、草刈りは大変な仕事です。何でもそうですが、この仕事も、以前草刈機が無かったころはどんなに大変だったろうと思ってしまうのです。
それはともかく、草の中にはたくさんのカエルが潜んでいます。その他にもいろんないきものがいるとは思いますが、カエルのようには目立ちません。草刈りをすることで、高速で回転する刃がカエルのいのちを奪ってしまうことになります。運良くその刃を逃れたとしても、その際にいのちからがら流れの速い水路に飛び込んだりするので、その結果、どこまでも流されていくことになってしまいます。本当にかわいそうだと思うのですが、どうすることもできません。農業って、目に見えないようなところで、いろんないのちを奪っているのだと思います。そして食べものという形で、まさしくいのちそのものを奪っています。できれば食べものを粗末に扱って欲しくないし、私自身もなるべく捨てることの無いようにと思いながらお百姓をする所以です。
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2006年5月31日
| 波紋 |
植えられてから10日ほど経った苗。新しい葉っぱはまだ出てきていませんが、根っこの方は順調に出ているらしく、シャキッとしてきました。
田んぼの中をゆっくりと歩きますと、足をつくたびに波紋が静かに広がります。坪当たり70株の割合で植えられた苗の間を通って、どこまでも広がって行くのです。次の足をつくと、最初の波紋を追いかけるように新しいそれが広がり、その次、さらにその次と、果ても無いかのように続きます。
波紋が通り抜けるたび、苗は少しくすぐったいのかな。多分そんなことは無いでしょう。動く波紋自体も動かない苗も、どちらも互いに相手に抵抗することなく、あるがままにやり過ごします。なんて、そんなふうに感じるのは、勝手な思い込みに過ぎません。
何の音もたてずに静かに広がっていく波紋。でも、作業の手を止めて耳をこらしてみると、何となく音が聞こえるような気がして、ふと立ち止まったこともあながち意味の無いことではなかったななどと思った、風の無い早朝のひとコマでした。
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2006年5月25日
| 残った苗のゆくえ |
田んぼは水鏡に
先週土曜に始めた田植え作業は、おとといのお昼で終わりました。終わったというのは、とりあえ田植機械での植え付けが済んだということです。機械の運転作業上、四隅など部分的に植え付けできない箇所がどうしてもできてしまいます。また、苗や田んぼの不具合で植え付け状態が一部思わしくなかったりする箇所もあったりします。機械での植え付けが終わると、ひととおり確認や手植えを行わなければならない所以です。
苗を育てる場合、どうしても予定必要量より多くの苗箱を準備しなければなりません。種を播いた苗箱のすべてが、順調に育つとは限らないからです。田植機械は、坪当たりどれくらいの苗を植えるかを変更できる仕組みになっていますが、それらはおおよその目安であって、決してそのとおりに物事が進むとは言い切れません。なので、必要箱数の何割り増しかを準備することとなります。
機械植えが済んだ段階で、残った苗の一部を(それはほんの一掴みでしたが)自宅の神棚にお供えしました。
農家の多くは家の中に神棚と仏壇を置いています。種まきをした日には、それぞれに「きょう種まきをしました」とこころのなかで報告しました。田植が始まった日には「おかげさまで無事田植までこれました」と報告。そして手直しがほぼ終了した今晩は、「今年も無事田植を済ませることができました」と報告しました。
決して神道を深く信仰しているわけではないのです。ただ、家にそれがあるから、何となくです。お供えした苗は、きょうの夕方に開いたスペースに植えました。
ビニールハウスの中には、多めに育った苗が残っています。植えられる場所が無いそれらの苗は、明日にも処分されることとなります。こう書くとどこか他人事のようですが、処分するのは私の仕事です。
ハウスの中で毎日、「良く育ちますように」と願われていた苗。最後に残ったそれらの一部は、良く育ったのに田んぼに植えられることなく、処分されてしまうのです。可哀想なことです。
結果として植えられることにはならなかったこれらの苗たち。それは無駄な命だったのでしょうか…。決してそんなことはありません。花開き実をつける(お米になる)ことはできなかったけれど、とても大きな役目を果たしてくれたのでした。そして箱の中の土いっぱいに根を張ったこれらの苗たちは、来年の春までかかって腐葉土(の一部)となり、別の命をはぐくむことになるのです。そんなふうにわかっていても、明日はやっぱり可哀想な気がすると思います。
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2006年5月18日
| 田植え時の夕暮れ |
田植えまであと数日となりました。さきおとといから代かきをしています。明日午前中で終わりそうです。この辺では最後の方の部類です。たいていの農家はもう済んでしまい、この土日が田植えのピークとなりそうな感じです。
田んぼがいちばんにぎやかな季節となりました。朝、そして夕方。いっぱいの人があちこちに見えます。勤め先から一目散に帰宅して、作業にとりかかる人もたくさんいます。といっても、田んぼにうじゃうじゃ人がいるというわけではありません。
区切りのいいところで代かきを終わらせた夕方…。時間はすでに6時半を回っています。済んだばかりの田んぼに水を入れ、それがどんどん入っていく様子。あるいは明日の朝までかかってゆっくり入ればいいと、入水口を少しだけ開けてチョロチョロと入るようにしたり。いづれも、水の入る様子はどこかこころをなごませます。
夕時になったことで、風はすっかり止んでいます。ほとんどの田んぼが代かきが終わり、一面の水鏡です。地上の景色がすべてそこに映り、とてもきれいなんですよ。
あちこちに散らばった田んぼの水の入り具合を確認するために、自転車に乗りました。3段変速付きのママチャリ。ギアをいちばん重くして、力を入れてペダルを踏んでる実感と進んでいる自分自身が何となくうれしく思えて、この夕方の風景にずっと身をおいていたい気分でした。
もっといろいろ書き記したいけど、うまく言葉になりません。肉体労働は思考力を著しく低下させます。
初めてのビニールハウスでの育苗は、後半土壇場になって、苗の状態に不具合が現れ出しました。いろいろ悩んだ末、一定の対処をしました。そのいきさつは、田植えが終わってからゆっくり書きたいと思っています。
少しだけしっとりした雰囲気の夕暮れ。NSPが「さびしそう」と歌った「夕暮れ」は、いったいいつごろの季節だったんだろうと、ふと思ったことでした。
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2006年5月14日
| 5月の雨 |
冬の郵便配達を始めてからだったか、あるいは始める前だったか、ちょっと忘れてしまいましたが、冬場の仕事先として、造り酒屋さんの面接を受けに行ったことがあります。仕事の内容は、杜氏さんの助手でした。
お酒ができるまではいろんな工程があります。そのほとんどは、たぶん日中に行われているのだと思います。ただ、いわゆる仕込みというものが始まって、杜氏さんの役割がとても重要になってくると、醗酵具合の確認や、その時その時の対処、そしてまた確認と、おそらく日に何度も見回ることだと思います。それは昼夜を問わず、です。その時に一緒に見回って、温度調整のためのいろんな対処をする際の助手をしてもらいたいということなのでした。あとは、いろんな仕事の補助を少し…。
勤務時間は、朝かなり早い時間から通常の勤務の人たちが出てくるまでと、夕方頃から9時頃までだったと記憶しています。日中、ぽっかり時間の空く勤務形態でした。朝と夜のごはんは出ますよ、とのことでした。
「勤務時間はいちおうこうなっていますが、できれば泊り込んでもらえる人が良いです」
会社の希望は、こうでした。夜中に見回りしなければならないこともあるし、そんな場合はその時の対処が適切だったかどうか、少ししてから確認に行かなければならなかったりする。朝も同じような意味で、勤務時間前にそんなふうになる場合があるとのことだったのです。
「あなたは農家だから良く分かるでしょう。稲も田んぼに植えてしまえば、作業量そのものはずいぶん減ります。けれども、日に何度も見回りに行って、その時々の対処をすることでしょう。お酒造りもちょうどそのような感じなのです」
杜氏さんと同じ部屋で一夜を共にする…(ワォ)。実際は、一夜どころか4ヶ月くらいだったかな。っていうことは、家では寝られない…。そりゃ、マズイよ。雪もいっぱい降るこの地域。泊り込みでないにしても、早朝に出るってことは、まずいちばんにするべき家の除雪ができないよ…。
お酒造りには、何となくロマンチックなものを感じます。実際は男性中心の世界だと思うので、ロマンチックなどというのとはほど遠いことでしょう。でも、お酒の完成に向けてその時間に身をゆだねるというのは、そんなふうにできたらいいなぁ、なんて思ってもしまうのです。その当時?「夏子の酒」という漫画が読まれました(テレビでもドラマ化され、和久井映見が主人公役でした)。そのことも少しは関係していたかもしれません。実際、杜氏さんの多くは、農家の方が出稼ぎとう形でやられていたようですし、同年代の農家の人で、そうした仕事に就いた人を何人か知っています。夜ずっと離れていても淋しくなかったんですね。「バカ、何言ってんの(ひとりツッコミです)」
さて、きょうは雨。と言っても、昨日の夕方から続いた雨もこの時間には止んでしまいました。ずっと休み無しで来ているので、きょうは外の仕事を休むことにしました。でも家を離れることはできません。育苗ハウスには、大事な苗。急激な天候の回復は、ハウス内の温度をあっという間に高温にしてしまうからです。代かきのために田んぼに入れている水の入り具合もちょっと見に行かなければなりません。休みのような休みでないような…。ふと、造り酒屋さんでの面接のことを思い出したのでした。
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2006年5月12日
| 我田引水 その1 |
どこの家でも田起こしが終わって、いよいよ代かきが始まりだす頃となりました。ちょうど良い水位に調整して、もう一度田起こしのような作業をします。そうすることにより、土は軟らかくなり、田植えにちょうど良い状態になります。
代かきをするために水を入れる時は、大量の水が必要とされます。そしてそれは、勢いがつよくなければなりません。田起こしがされ、すべて土塊となった田んぼの手前から向こう端まで水が行き渡るには、静かな流れでは無理なのです。
用水路には、当然のことながら、大量の水が流れてきています。でも、一度にすべての農家の人が入れようとすると、量、勢いともに分散され、すべて中途半端になってしまいます。そのためそれぞれが、タイミングを見計らって入れてしまうこととなります。
これがうまくいかないように思えて、実はうまくいくんです。気の早い人、のんびりした人、遅い人、いろんな人がいるので、何日間のうちに、間違いなくすべての田んぼに水が入ります。そして、順次代かきができていくと、表面が滑らかになったせいで、水はとてもスムーズに入るようになり、あとは田植えの時期を待つことになります。
「我田引水」とはいえ、この時の周囲の農家との駆け引きは、稲を植えてからのそれに比べれば大したことはありません。
ここでは5年ほど前、田んぼの区画整理事業があり、その際に用水路もずいぶん改善され、水不足の心配も無いようになりました。以前は、いろいろありましたし、歴史をさかのぼればさらに大変だっただろうことは容易に想像されます。
いろんなものがそうだろうと思いますが、充分に無いばかりに争いが起き、しかもそれは、しばしば暴力を伴ったものになります。程度の差はあるにしても、必要とする人に必要とする量が行き渡る時、争いは自然に無くなります。地球のどこでもそんなふうになると良いですね。
あちこちの田んぼに水が入りだしたここ数日、遠くからの使者、ツバメが目に付くようになりました。和賀屋の周囲も何度も飛び交っています…。
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2006年5月10日
| 夜の育苗ハウス |
きのうの最高気温は27℃近くまで上がったようです。暑い一日でした。この時期としては珍しく、日中ほとんど風が無く、まるで時間が止まったかのような気さえするひとときもありました。
夜になっても良く晴れていて、満天の星空。満月まではまだ少し日数がありそうなものの、半月を過ぎてそれなりの大きさとなった月も存在感を示していました。そしていつの間にか寒い風が吹いて…。
ふと思い立ってビニールハウスの中に入ってみました。ハウス内の温度と外気温が逆転したためでしょう。ビニールの内側は汗をかいていて、ハウスの中から見上げる星空は、ぼんやりしていて焦点が合いません。それでも、稲の苗になった気分で、ちょっとの間、星や月を見ていました。透明のビニールがすっぽりと覆ってくれているおかげで、ハウスの中は寒い風を感じることなく居ることができます。静寂の中に、果たして眠りについているのかどうか、たくさんの苗のいのちを感じます。それは、何か独特の雰囲気でした。
田植えまで10日と少し。「このあとも無事育ってくれよ」とこころでつぶやきながら、ハウスをあとにしました。
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2006年5月8日
| 田起こしと重なった「ふくたち」の収穫 |
昨年秋に播いた青菜類の種。冬が来るまでに収穫可能な大きさになり、あるものは食べられあるものは売られ、そしてあるものはそのまま畑に残されました。
雪の下で(あるいはハウスの中で栽培される場合もあります)冬を越したそれらの株から、春になると「とう」が出てきます。こちらでは、その「とう」のことを「ふくたち」と呼んでいます。この言葉は年配の方たちには一般的なのですが、聞いたことが無いという年代の人も多くなってきました。
「ふくたち」は春一番の露地野菜です。まだ寒い日もあったりする4月下旬頃から収穫できるようになります。
この「ふくたち」をイメージするものとして、多くの人にとっては「菜花」が有名かもしれません。茎の部分を紙で束ねて、お店で売られています。産地がどこなのか自信がありませんが、千葉産のものも多く出回っているような気がします。
いろんな青菜から、その品種特有の葉の形をした「ふくたち」が出てきます。我が家では昨年植えていてそのままになっていた「べんり菜」や「小松菜」から、いまどんどん出てきていますが、これらは予想外でした。これとは別に「ふくたち」用に種を播いた、「三陸つぼみ菜」、「東京あおな」があります。どの青菜から出た「ふくたち」もおいしいです。何と言っても、冬の寒さを乗越えて花を開こうとするそのエネルギー…。元気のもとと言っても言いすぎではない気がしています。
「ふくたち」は旬の野菜。収穫期間は2週間くらいでしょうか。株の中心から出た最初の「とう」を摘むと、次から次へと脇芽から2次発生して、ついには摘むのが追いつかなくなり(茎もしなやかさが無くなります)、一面黄色い菜の花畑状態となります。その面積はほんのわずかの場所ですが、耕された後雨に濡れてチョコレート色になった田んぼの土の色とのコントラストが、目とこころを楽しませてくれるのです。
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2006年5月6日
| 田んぼの耕起 |
大型連休も残すところあと一日となりました。おとといからきのう、きょうと晴れだった当地です。同じ秋田県でも、昨日の天気は雨になった地域もあったようですから、幸運な三日間でした。
何が幸運って、この天気で田起こしができたんです。今年の春の天候はとても不順で、田んぼはなかなか乾けずにいました。土はフカフカ状態。トラクターで田んぼに入るのをためらってしまうような状況が続いていました。
「はたして、今年の田起こしはどうなるんだろう?」
誰と会っても、そんな挨拶が最初に交わされるほどだったのです。
田んぼの乾き具合は、お世辞にも良いとは言えないような感じでした。それでもどうにかこうにか済ませることができたのは、三日間の好天(きょうは雨が予想されていたのです!)のおかげでした。田起こしが済めば、とりあえずは天気の心配はずっと少なくてすみます。今晩はとてもホッとしています。
ところで、田起こしの際にたくさんの肥料を撒きます。いま撒かないで田植えの時に同時に撒く農家もありますが、我が家では田起こしの際に行います。
おいしいお米ができるよう、有機質原料を主にした肥料を撒きますが、こうした肥料は通常のものと比べて肥料成分が少ないため、たくさん撒かなければなりません。普通は多くても二袋(20キロ入り)くらいのものが、四袋かそれ以上となります。
人力による散布…。計算してみると、この三日間で1800キロぐらいの肥料を撒きました。田んぼの中を歩いた距離は20キロくらいです。徳川家康でしたっけか。「人生は重い荷物を背負って、遠き道を往くが如し」
そんな言葉が浮かんできたりしたことでした(笑)。ちなみに、この作業は仲良く?二人でやりました。
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2006年4月27日
| 種まきの話 その2 |
あいかわらず肌寒い日が続いている当地です。22日、23日はきっとたくさんの農家が種まきをしたに違いありません。平年並みの気温が続いていれば、少しは土の中から芽が出だしているかもしれないこの時期。どこの家の話を聞いてもそれらしい様子は見えません。それどころか、もう少し早く種まきをしていた農家の中には、種が低温で発芽不良となり、腐ったのも出ているようだというような話さえ聞こえているようです。苗がちゃんと育たず、予定通りの量が確保できないとなれば、大変なこととなります。そんな懸念がされるこの頃です。困った年になりました。
時々雨が降り、さっぱり気温の上がらない日が続いているので、畑を耕すこともできずにいます。いまいちばんに播く(植える)必要のあるものはジャガイモの種です。種イモの準備はすっかりできているのに、かんじんの畑がどうにも手をつけられない状態ですから、手をこまねいているしかありません。
いつもの事ながら、スーパーのチラシには「新じゃが」の文字が見られるようになりました。こちらではまだ植えることさえできずにいるのに、すでに収穫して食べている地域も…。日本はつくづく広い(縦に長い)ですね。
あさっては、歩いて10分ちょっとの距離にある小学校の運動会のようです。子どもはすでに小学校を卒業して久しいのですが、どこからともなくそんな情報が聞こえてきました。例年であれば、グラウンドで行われている行進の練習など、いろんな声や音、音楽が聞こえてきているのに、今年はほとんど聞こえない気がします。天気が悪くて外での練習ができないのかな?自分の耳が聞こえなくなっているのかな?どっちなのかははっきりしませんが、ともかくあさっては良い天気であってくれればいいなと思っています。走りっこではいつもビリだったので、運動会の日は雨が降ってくれれば良いと切に願ったものでしたが(笑)。
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2006年4月25日
| 種まきの話 その1 |
きのうは種まきをしました。そしてすぐビニールハウスへ搬入しました。育苗箱800枚、土を入れて水をかけて、種をまいて土をかぶせる…。たっぷり水かかった育苗箱は、5キロくらいの重さになります。これを軽トラックに積んでハウスのすぐ近くまで行って、降ろして一輪車に積み替えてハウスの中へ並べます。なかなかの肉体労働です。
最初に土を入れる作業だけはおとといの晩にやりました。日中、時間が取れなくて、夜になってしまったのでした。この作業は、3人いればうまく回ります。4人いればなお良いのです。何年か前から子どもたちには手伝ってもらっています。今年も数日前に言ってありました。
夜の作業になったことで、仕事の内容は同じでも気分はちょっと違います。子どもたちは音楽を鳴らし始めました。いろんな曲が流れ、そのなかである曲になったとき、ふたりが口ずさんだのです。
その時、ふとうれしくなりました。何と言ったらいいのかわかりませんが、うれしかったのです。
子どもたちが仲良くしたり、時にちょっとした行き違いがあったり、助け合ったり、お菓子を分け合ったり…。そんな光景を目にすると、見ているこっちがすごくうれしくなります。
作業そのものはとても単純なものでしたが、3時間以上かかってしまいました。
「手伝ってもらって良かったな」と何度も言って、労をねぎらいました。
「一年一回のこの作業(の手伝い)が、子どもたちのこころにはどんなふうに残るのかな」と、最後に作業場の電気を消す時に、今年もそんなことを思ったのでした。
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2006年4月20日
| さんびくても(寒くても)どうにかこうにか |
ずっと寒かったのが、昨日は5月中旬並みの気温となりました。そしてその暖かさは今朝まで続き、朝の段階で17℃でした。10時頃より雨が降り出し、ついには本降り。そして午後からはみぞれから本格的な雪となりました。雪はとても大きなもので、あっという間にあたりは白一面となったのでした。
昨日午後、充分な浸水期間を経た種もみが、いよいよ催芽の段階を迎えました。約一ヶ月の育苗期間をほとんどの種が揃った生育をするために、そのスタートとなる出芽はどうしても一斉に始まる必要があります。そのため、水から引き上げた種もみを40℃のお湯で湯通して、それから32℃に設定した温水の中に浸けます。この手順を踏むことで、すべての種が揃って芽を出すのです。
32℃の温水に浸けたのは午後4時半でした。そしてきょうのお昼前、ほとんどの種が芽を出したのです。雨がひとしきり強くなった頃でした。
せっかく芽を出したというのに、その種もみを待ちかまえている事態はあまりにつれないものです。というのも、袋に一定量入って芽が出た種もみは、温水に入っていたため、内部がとても暖かいままです。表面になっている部分は熱が冷めますが、内部は熱がこもって、さらに熱くなるのです。そのため、そのままにしておくと芽がどんどん伸びて、もやし状態になってしまいます。そうなると種まきができなくなるので、芽の伸びを強制的に止めることになります。どうするかといえば、冷水に浸けて内部までよく行き渡らせ冷やすのです。あったかいお湯の中で、安心して思わず芽を出してしまったと思ったら、いきなり冷や水…。「冷たい仕打ち」というのは、まさにこんなことを言うのかもしれません(苦笑)。
農園のある爺(主)に充分に冷やされてしまった種もみ。春の陽気が良い日の出来事であれば、その後の陰干しも、種もみにとっては気持ちの良い時間かもしれませんでした。ですが、気温はどんどん下がって0℃!もさもさと降り続く雪が、きっと恨めしく思えたことでしょう。
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2006年4月10日
| はっこいのがかわいそうな気がして |
おとといの朝、浸種をしました。予定はさきおとといだったのです。それが予報を聞いたら、おとといの朝は「強い冷え込みとなり霜注意報」が出されたのです。水に浸してすぐに、氷も張るような冷水とはあんまりかなと思い、おとといの朝、気温がある程度あがってからにしたのでした。
以前は、4月に入ってすぐに浸種したことが何度もあります。厳しい冷え込みのあった朝は薄く氷が張ったりしたものでした。それでも稲の種は大丈夫で、時期が来るとちゃんと芽を出すのでした。
ちゃんと芽が出たとはいえ、ダメージが全然無かったかというと、それについては定かではありません。今後のために冷たい環境を経験させた方が丈夫に育つという意見もあれば、極端な低温で稲の育つ力を萎えさせてはいけないという意見もあります。育児についての方法がさまざまで、しばしば両極端な意見があるように、植物の管理についてもいろんな考えがあるのです。そして、そのどれもが絶対に正しいということはありません。
少しばかり突飛に思える、けれども妙に理にかなっている管理方法なども、何となく心引かれるものです。ついつい真似をしたくなることもあります。けれども、その考えの背景となる部分についての認識が不充分だったり、あるいは少しも考慮に入れず、ただ形ばかりを真似したりした時、手痛いしっぺ返しを食うのも事実で…。栽培ってつくづく難しいものだと思います。
霜注意報の知らせに浸種をためらった自分。種ッコがいとおしくてのことだったのですが、トシかな、そんなことを感じたりもしたのでした。
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2006年4月6日
| 明日は浸種! |
いよいよ明日の午後、浸種作業に取り掛かろうと思っています。種籾を細かい網目状の袋に入れて水に浸す、ただそれだけです。種を自分の家の稲から採っていた頃は、水に浸す前に塩水選という作業がありました。比重1.10前後の塩水を作り、その中に種籾を入れて、浮き上がってきた軽い籾を取り除く作業でした。これにより充実度の良い種籾が残ることになります。
規定の塩水を作るには大体の混ぜる目安がありますが、比重を計るには生卵でもできるのです。塩水に生卵を浮かべ、その様子で1.08〜1.13まで大体計ることができます。卵にはこんな用い方もあったのでした。
種を買うようになったと前に書きましたが、届く種はすでに選別されていて、いまでは塩水選の必要は無くなりました。たっぷりの水に10日前後浸します。一日おきくらいで水は取り替えられます。10日後その種がどんな状態になっているかと言えば、それについては、次に書くことにします。
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2006年4月2日
| 夜の雨 |
ここに立ち寄ってくださった方にありがとうです。「おこめのできるまで」をいろんな角度から書いています。
曇り空だったきょう、いつしか雨が降り出しました。雨足は時間の経過とともに強くなり、屋根を叩く雨音もずいぶん大きくなりました。この雨は明日いっぱい続くとの予報です。あと少しとなっていた田んぼの雪も、きっとこの雨ですっかり消えてしまうことでしょう。いよいよ田んぼの土が顔を出すのです。
昨日の夕方、家の前(正確には後ろ側になるのですが)の我が家の田んぼに、2羽の白鳥がいました。
北帰行の始まっているこの時期、この場所を一生懸命に飛んでいく一群もあれば、近くの田んぼで羽を休め、食べ物をついばんでいる一群もあります。たくさんの田んぼの中で、白鳥たちが降り立つ場所に選ばれる確率は、もしかすればお年玉年賀ハガキの二等に当たるくらい?かもしれません(笑)。たった2羽とはいえ、思わず「やったぁ」と、こころのなかでつぶやいてしまいました。
雨の音はひっきりなしにしています。夜の雨の音はどうしたって寂しさを感じさせます。でもそれは私に限ってのことなのかもしれません。トタンを叩く音や雨だれが土やコンクリートに落ちる音…。玄関の内側に置かれ、間もなく水に浸けられる種籾には聞こえているかもしれません。高層階の建物に住んでいる人たちには聞こえるのかな。ふとそんなふうに思ったことでした。
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2006年3月28日
| 雪が融けて |
ここ数日気温が上がり、どんどん雪の消えていくのがわかるような日が続いています。田んぼの雪もあと少しとなりました。田んぼの雪が消える最後の時は、たくさんの雪融け水が田んぼを満たします。お日さまの光と、もとはそれ自身だった雪融け水が、上と下から雪を融かし、たっぷりの水となってしまうのです。
雪にたくさんの水が浸み込むと、遠くからは灰色というか銀色に見えたりします。
この時期、白鳥の北帰行が始まっているのですが、長い道中、白鳥たちもところどころで羽根を休めることになります。その場所のひとつとして田んぼが選ばれる場合もあります。いっぱいにある田んぼの中から、白鳥たちは何を基準に降り立つ場所を決めるのか、私にはわかりません。でも、雪融けの最後の瞬間である銀色の光景や、あるいはすっかり融けて満々と水を湛えた田んぼの様子が、白鳥たちにはどんなふうに見えるのだろう。そんなことをふと思ったりするのです。
春はとっても眠くて、朝すでに明るくなっている時に、夢うつつの状態のところへ飛び込んでくる白鳥たちの鳴き声。
これから約一ヵ月後には、稲の種まきも済み、土の中からたくさんの芽が出て育っているのです。毎年のことなのに、このことが何故だかとても不思議に思えます。白一面だった世界が、一夜にして土色となり、まるで何事も無かったかのように時が過ぎていくからでしょうか。ここ秋田県内陸南部では、そんな一ヶ月間が間もなく始まろうとしています。
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2006年3月25日
| 種と土を思いでつなげる |
この場所に訪れてくださった方にありがとう、です。
きょうは気持ちの良い青空がひろがっています。いくぶん冷え込んだためか、堅雪になっていました。幸い、風もほとんどありません。前々から計画していた米ヌカ散布を行いました。
規模の大きい農家であれば、トラクターに散布機を装着して、やろうと思えばあっという間に終わらせてしまいます。散布機が無い我が家では、もちろん人力。風の無いことが必須です。そしてなぜ堅雪の日を待っていたかと言えば、米ヌカの入ったたくさんの袋を田んぼの中に運んでいくために、大きめのそり(スノーボート)を使う必要があったからです。そりをらくに引っ張るためには、雪が堅くて、そりや自分が沈まないことが大事なのでした。
まったく無いかに思えた風も、米ヌカを散布してみれば、わずかにその存在を感じさせてくれます。それは当たり前のことで、その当たり前のことを私たちは忘れてしまうようになってしまいました。
雪の上に散布された米ヌカ…。練乳のかかった、かき氷のような感じです。
「この米ヌカが、土やそこに暮らす生きものにとって、迷惑ではありませんように。おいしいお米のために役立ちますように」
そんなふうに願ったことでした。
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2006年3月22日
| 心臓のくすり |
真面目な内容を期待していた方には、少しがっかりの中身かもしれません…。
何人かが集まっている中で、ひとつの菓子器に入ったお菓子を思い思いにつまんで食べています。それがあと残りわずかとなると、伸びる手の数が少なくなり、最後のひとつになった段階でピタリと止まってしまいます。最後の一個を食べるというのはちょっと勇気が要りますね。あっ、「勇気」というのは大げさすぎます。それに、食べることそのものはそう大したことではありません。厳密に言うなら、最後の一個に手を伸ばすことがたいていの人にとってはためらわれることのようです。
この雰囲気というか感情は、ごく一部の人たちだけのものでしょうか。「最後の一個がいつまでも残る(残す)のは**県人の悪いクセ」というのを聞いたことがありますが、どうなんでしょう。
こんな時、気の利いた言葉というか言い回しがあるのを耳にしました。「最後の一個は心臓のくすり」だというんです。
なかなか誰の手も出なくて、いつまでも残っている一個を食べる時、
「最後のひとつって心臓のくすりなんだって」と言って口にするとか。初めてこの言葉を聞いた人は、一瞬何のことかとキョトンとするようですが、ちょっとの間のあと意味が分かって、思わず納得してしまうのだそうです。気の利いた言葉って良いですね。
ところで、心臓が悪いと言ってもその原因はいろいろあることでしょう。普段病気とは無縁で元気そのものといった人が、突然倒れたりもします。そのような人の多くが、程度の差こそあれ、立ち姿では左肩が下がり、首は右側に傾いている場合が多いとのこと。日常のそうした癖を直すことも、「心臓のくすり」になるのかもしれません。
4月の声を聞くと、間もなく始まる稲の苗作り…。失敗が許されないだけに、緊張もひとしおです。心臓のくすりが欲しくなる時期になります(苦笑)。
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2006年3月19日
| お米の種 |
注文していた種が届きました。お米の種です。
前にも書いたのですが、種は実ったたくさんの穂から採れるので、それをちゃんと採りさえすれば、あえて他から買う必要はありません。そして多くの農家はずっとそうしてきました。
種を買うようになっってきたのにはいろんな事情があります。お米が「余る」ようになって、産地間の競争が激しくなってきました。
「きちんとした管理の下で育てられた稲から採れた種を使っています」
こうしたことも、産地としては大事なアピールポイントのひとつとなったのです。それも、栽培面積の一部ではなく全部。そして毎年更新、です。
採ろうと思えば採れるものを、毎年必要量のすべてを購入した種でまかなう。もちろん、種として販売される品なのですから、それ相応の慎重な管理の下で生産されたものです。
全国の農家すべてがこうしているわけではありません。ただ、こういう現状があちこちにあり、その流れは加速していると思われます。
お米が「余る」と言われて久しいのですが、農家からすれば素直に頷けない思いもありますね。
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2006年3月16日
| 彼岸も間近となりました |
中学校の卒業に続き、高校の合格発表。小学校の卒業。相前後して大学入試の合格発表…。その一つひとつが終わるたびに、街は人出が多くなり、賑わいを増してきているようです。
季節の変化に合わせて、お菓子の種類もきっと変わってきていることでしょう。花はまだだけど、「花見だんご」が恋しい時期となりました。
「花見だんご」と言えば、こちらでは形がペタッとしたものです。それが一串に3、4個付いていて、こしあんの固まったものがそれらを被っています。球体状のものを見たのはずいぶん大きくなってからのことでした。いまでも、食べ慣れたペタッとした形の方に手が伸びます。もちッコも何となく、しとっとしているんですよ。おいしです。
「だんごなめなごんだ(だんご舐め和んだ)」
初めて回文ができました。
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2006年3月12日
| 冬から春 ふろむ雪国 |
ここ何日か暖かい日が続き、季節は間違いなく春に向かっています。屋根から降ろした分も加わり、ずいぶんうず高く積もっていた家の周囲の雪も、少しずつとけてきました
それとともに急に目に付きだしたのが、玄関や窓に取り付けられていた冬囲い。どこの家でも、落雪による窓ガラスの破損や、玄関を開けた瞬間に直接雪が入り込むのを防ぐ意味から、冬囲いがされるのですが、ひっきりなしに雪が降る時期には何故か目立たないのです。それが、役目を終える頃になって、急に目に付くようになるから、不思議なものです。
春のような陽気になると、この冬囲いが、重く感じられるというか、うっとうしいような気になります。いっぱいがんばってきてくれたものなのに、そんなふうに言っては申し訳ないのですが、そうなのです。3月末から4月はじめの好天の日。それらは取り外されます。その時、さっぱりした感じになります。
「スッキリしたね」
家族からはそんな声が上がります。でも、冬が来る前の11月はじめ。まだ雪の降る気配がちっとも無い頃に、この冬囲いは取り付けられるのですが、その時家族からは、
「ほこっとあったかい気分になるね」という声が出るんですよ。
いっしょうけんめい役目を果たしている時は、それがあまりにも当たり前のことで、ちっとも目立たない。でも時に、その姿をうっとうしく思ったり、ある時はしみじみ安心させられたり…。
そのことは「冬囲い」に限らず、ひとりひとりの存在そのものについてもそうだという気がしてなりません。
きょうは、久々にみぞれまじりの雪となり、冬囲いのことに思いがいったのでした。
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2006年3月9日
| きれいな星の夜 |
きれいな星の夜です。お月様は何日か前に半月となり、少しずつ膨らんできています。
今日の午後3時ごろだったか、ふと空を見上げたら、すでにお月様は出ていたのでした。
「あらぁ、気付かなかったよぉ。何日も前から、こんなふうに出ていたんだぁ」
月に話しかけたわけではなかったのですが、心の中でそんなふうにつぶやいてしまいました。
昨日の夜は強い風が吹き、雪の中からやっと顔を出したばかりのいろんな木々に、容赦なく吹き付けていたようでした。
「ようやく日の目を見ることができるようになったと思ったら、さっそくこうだものなー」
そんなふうに思ったことでした。
日中天気が良くて、夜もきれいな星空で、明日はきっと堅雪(かたゆき)になることでしょう。堅雪の日は、ただ何となく、どこまでも歩いたりしたものです。子どもが小さかった頃は、お日さまの光を浴びながら、いっしょに。
これから何度かある堅雪の日。精米した時に出る米ヌカがいっぱいあるので、そりで運んで、田んぼに撒きたいと思っています。おいしいお米ができるようにと願って…。
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2006年3月7日
| めめんこ |
こちらでは「ねこやなぎ」のことをこんなふうに言っていました。芽がかわいい(めんこい)から、そう呼ばれてきたのかもしれません。
芽の付き方や大きさ、色具合などでいろんな種類があるようです。でも、それらが元々あったものなのか、バイオ技術で作り出されたものなのか、私には良くわかりません。
子どもの頃は花の種類なんてとっても少ないものでした。もちろん、花に興味があったわけではないので、その記憶はあいまいです。でも、現在の花の種類の多さは、花好きの年配の方なら誰でも感じていることでしょう。本当にいろんな花があり、目とこころを楽しませてくれるようになりました。
これらの花についても、元々あったものなのか、何らかの技術で作り出したものなのか、良くわかりません。
稲の品種もいろいろあります。いろんな品種の米が人工交配され、長い時間と手間ひまをかけて新しい品種が作り出されます。いま国内で食べられているいろんな品種。そのどれもが、父や母、祖父母、その上と、連綿と続く先祖を持っているのです。一粒のお米の中に想像もつかないほどの歴史が詰め込まれているのかもしれません。ちょうど私たちの身体がそうであるように…。
今日も暖かい一日となり、めめんこの芽もまた開きました。
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2006年3月2日
| あっという間に3月 |
いよいよ3月です。大雪の冬も終わりを迎え、日に日に人々の動きが活発になってきたような気がします。
道路の雪はすっかり消えました。時々降る雪も、いっときは道路を真っ白に変えますが、いつの間にか消えてしまっています。
濡れたアスファルトに落ちる雪は、アスファルトにぶつかった瞬間、砕けて粉々になり、すぐに消えてしまいます。少し大きめの雪のときは、風があればあるように、ほとんど無いようなときでもフワリフワリと舞い降りてきます。まるで落ちるのをいやがっているかのように。
この時期の雪は、もう「雪ッコ」と呼ばれるようになっています。人々の暮らしを脅かすような力はすでに無く、愛おしく思われるような対象となっているのです。
「何にもならねぇゆぎッコ降って…」
年配の人たちが言う、この言い回しの中には、いっぱい難儀させられたにもかかわらず、降ってもすぐに消えてしまう、この時期の雪のはかなさを、いつくしむ気持ちが込められているような気がしてなりません。
雪煙を舞い上げながら通り過ぎる電車の車輪の音も、少しやわらかさが含まれてきました。冬のまっさなかには、金属音が寒さを増幅させるように響いたものでした。雪がひんぱんに降らなくなって、空気中のちりなどの量が多くなっているせいでしょうか。
たしかに冬は音が澄んで聞こえるのです。配達先の一軒の玄関に風鈴が下げられていました。配達するたび、ヘルメットがぶつかって、きれいな音が響き渡りました。それはふと心やすらぐ瞬間でもあり、同時に寂しさをも感じさせるほど、澄み切った音だったのでした。
道路以外はまだ白一面の秋田県内陸部です。それでも少しずつ、春の兆しが見え隠れするようになって、季節は間違いなく春に向かっています。
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2005年11月1日
| 「さぁさぁ、マリネでも食って…」 |
いよいよ11月。きょうは1日です。大きな雲がいっぱい浮かんでいますが、その間からときどきお日さまが顔を出して、良い天気です。きょうは家の冬囲いをしています。
雪が降るのはまだまだ先の話。初雪はたいてい12月に入ってからです。でもたいていの家では今頃から冬囲いを始めます。何故なら、冬が近づくにつれて晴れの日がなくなってくるからです。屋根から雨だれがダラダラ垂れてくるような時に作業するのはあまりに非効率なのです。
そんなわけで、11月の第一週の幾日かは、例年冬囲いにあてられます。家と、家の周囲の小さな樹木。樹木はまだ紅葉前だったりしても、雪囲いがされたりします。
この冬囲いがはずされるのは4月の始め。およそ5ヶ月間が冬仕様の中で暮らすこととなります。雪にはまだ早くても、時雨れて寒さがました夕方など、玄関の前に風除室らしきものがあると、ほこっとするんです。そんな時期になりました。
何人かの方々から新米をご注文いただいた10月。どんなことを感じながら食べてくださっているのかななんて、ふと思ったりしています。
百姓20数年目にして初めてといってもいいような、セロリの栽培。もちろん自家用ですが、一袋の種ッコ(数百粒)をまいて、どうにか収穫までこぎつけたのは20株強でした。きのう初物を食べたらおいしかったです。
「さぁさぁ、マリネでも食って温まりねぇ(寒)」
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