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農場だより(ボンブ(ウ)ガルテン)

ボンブ(ウ)ガルテン
ボンブ(ウ)ガルテン

3日前にオンライン

代 表 者 : 中田宏明 
所 在 地 : 秋田県
生 産 歴 : 45年
モットー : 『なんもだ。さっとずづ やっていご(大丈夫、少しずつ進んでいこう)』
  • 2019年産米放射性物質検査 2019年産米放射性物質検査
  • 29年産米の食味値は82点で 29年産米の食味値は82点で
 
 秋田県の内陸南部は雪の多いところです。ここに住む多くの人たちが思わずため息してしまうほどのたくさんの雪が、実はおいしいお米の源なのです。
 まかれた種が、お日さまはもちろん、お月様や星のまたたき、かぜ、田んぼに入る水、ちいさな生きもの達、その他いろんないのちといっしょの時を過ごし、おいしいお米となります。私たちのできることは、ほんのお手伝い。
 食べてくださる方々の食卓がなごやかになりますようにと願いながら、みなさまのところへお届けします。

 ボンブ(ウ)ガルテンのボンブは凡夫。ガルテンはドイツ語で庭とか園の意です。平凡な人の園というわけで、現在4人の家族です。

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2007年10月2日

ボンブ(ウ)ガルテンの19年産米
 当園の田んぼよりとれた19年産米が、いまみなさまのお手元に届くことができましたことに、こころから感謝申し上げます。
 4月初めから本格化したお米作りは、9月末迄の稲刈りをもって一段落となり、同時進行した機械乾燥、籾すり作業ののちに玄米となって、無事袋詰めされました。

 大地は今年もたくさんの恵みをもたらしてくれました。多くの人の生きるちからとなるたべものをいっぱいに育ててくれたにもかかわらず、そんな大それたことをしたというふうでもなく、そこに在ります。
 天のはたらきも、数えあげればきりがないほどたくさんのものでした。お日さまのひかり、月の落ち着き、雨や風、水、そしてあらゆる生きもの。それらすべてが、稲のいのちをはぐくんでくれました。

 このお米は、できるだけよろこんで食べていただけるようにと、肥料に工夫をこらす一方、薬剤の使用を少しでも減らしたいという思いで育てられました。そのため、黒い線や斑点が付いているものが若干入っていますが、食べても一向に差し支えないものですので、ご寛容のほどお願いいたします。
 お気付きの点やご質問などございましたら、下記あて遠慮なくお知らせください。

 19年産米、いよいよ販売開始です!

2007年9月26日

「朝のぎ立ったら…」
 昨日の朝、虹を見つけました。ずいぶん久しぶりのことです。
 虹は太陽を背に向けた方向に出ます。朝はたいてい東側の方に目が行くので(田んぼも東側に広がっています)、朝の虹を見るなんてことはほとんどなかったのです。そんなこともあって、見ましたではなく、「見つけました」と書いたのでした。

 「朝のぎ立ったら川超えするな 夕のぎ立ったら空見るな」ということばを、いまは亡きじっちゃんが言っていたのを思い出します。
 のぎというのは、虹のことのようです。方言でしょうか、それとも古語でしょうか。朝に虹が出たらその日は雨になるから、川を越えて向こうの土地に行くようなことをしてはいけない。渡しの船が出なくなるので帰れなくなるよ。一方、夕方に虹が出たら、明日の空模様は心配要らない(見るまでもなく晴れとなる)」ということのようでした。
 朝は少し曇り空でしたが、その後テカテカと晴れてきたので、昔からの言い伝えも今回ははずれだなと思って稲刈りに精を出していたら、にわか雨が…。

 強い雨だったので、稲刈りは中断することとなりました。
 でも、雨をもたらした真っ黒い雲は、どんどん東の方に移動していきます。西の方にわずかながら青空が見えてきました。きのうは良い風ッコも吹いていたのでした。一度は濡れてしまった稲も、どうにか乾き、1時間弱の中断の後、再開することができました。西の空には、「天使のはしご」が現れたのでした。

2007年9月20日

いよいよ稲刈り始まりました
 残暑がきびしい当地です。
 今日は、最高気温が31.1℃だったという隣の市と似たような感じがしたほど暑かったです。本格的な稲刈りをスタートさせました。

 春や秋の農繁期は、休みが無く仕事が延々と続くので(大げさですね)、ちょっと大変です。
 いつの頃からか、こんなふうな考え方をするようになりました。
 「*週間後の*月*日ごろには、もう忙しさもとれて、楽になってる」
 「いくら天候が不順で作業が順調に進まなくても、いままで何処の誰も、田植えをしないでしまったとか、稲を全部刈らないうちに雪が降ってしまった、なんてことはなかった。(だからあせらなくても大丈夫!)」

 いつだったか、同じ集落の仲間にこんな話をしたら、
 「おれもそんなふうに思って仕事してるんだ」と言ったんです。
 彼は農家でありながら、勤めに出ています(日本の殆どの農家はそうです)。

 農業のことだけに限らず、いろんな場面でこんなふうに考えています。
「11月に入ったらきっと楽になってる…」
「来年の今頃は、いまの深刻な事態がどうにかなってるはず…」なんていう感じです。
 事態が好転した未来の自分から励ましてもらうのも、こころが軽くなるかも。未来の自分なら、「あの時は良くがんばったね。あの時の行動が、あの時にとることのできた最高の行為だったもんね」って言ってくれるに違いないから…。

 農繁期は来月いっぱい。あっ、それまで休みが全然取れないというのは、本当ではありません。
 「忙中燗有」って、たまには熱燗も飲んでるし(寒)。

2007年8月1日

いまさらながら
 稲の穂が、ちらほら出だしました。出穂と書いて、しゅっすいと読みます。秋田弁では名詞に「ッコ」をつける場合がありますが、穂にもつけるので、
「いよいよ穂ッコ出できたなぁ」なんてあいさつが交わされる時期となりました。

 育っている稲の隙間に雑草がずいぶん生えてしまい、夕方近くになってから草取りをしました。今日のニュースで報道されたある出来事のように、「いまさらながら」の対応だなと、草取りをしながら苦笑したことでした。
 完全に取り切れるわけでもないので、残った雑草からは、やがて種がこぼれ、来年につながっていくのです。いまここで取ることにどれくらいの意味があるんだろうと、自分でも半ば首をひねりながらの作業でした。

 でも、これから実っていくお米にとっては、雑草に養分を奪われないから、ささやかながらでも良かったはずと思い直しました。こころなしか、稲ッコたちが喜んでいるような…。
「いまさらながら」ですが、もう少しがんばります!

2007年7月24日

終売のお知らせとお礼
 当園の18年産米をお引き立ていただきましたみなさまへ。

 7月も残すところあとわずかとなりました。約2ヵ月後の収穫に向かい、田んぼの稲ッコたちは、穂が出る前の最後の葉っぱが、いま出ようとしているとことです。
 「厳選米」用に確保していた、決して多いとはいえなかったお米も、おかげさまで当方の予想を超えるお引き立てをいただきまして、在庫がなくなってしまいました。こころから感謝申し上げます。
 あわせて、もう一、二度ご注文くださる心づもりをしておられたみなさまには、大変申し訳ない思いでいっぱいです。なにとぞご容赦の程、願います。

 19年産米も、これまでのところ順調に生育しております。よろしければ、再度のご縁をいただければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 これからなおいっそう暑い日が続きます。どうぞご自愛くださいますよう。

2007年5月24日

音のある静寂
ふたつの太陽で、紫外線も2倍?
ふたつの太陽で、紫外線も2倍?
 夜になると、外の物音はしなくなる。時々通る車の音。それさえもほんのわずかだ。
 その一方で、カエルの鳴き声はとてもにぎやかだ。この時間は少し静かになったけど、夜中にふと目がさめたときなどにも聞こえてくる。


 もうひとつ聞こえるのが、田んぼの用水路を流れる水の音。
 ところどころで、田んぼに水を入れるために、せき止める仕掛けがしてある。そこでちょっとした落差が生じて、間断なく音が出る。あとは直角に曲がるところ、2本の水路が合流するところなどで独特の音を出す。
 それを子守唄のようだ言ったら、あまりにうそくさいだろう。でも、ずっとずっと以前から聴き親しんだ音。そんな音とは一切無縁の場所に行っても、きっと思い浮かべることができる。

 そんな音を、いまこの瞬間に、いろんないのちたちが聴いている…。



 写真は朝日が出た時のものです。

2007年5月22日

自然と農家の協同作品
 秋田県内陸南部は、田植え真っ盛りの時期です。と言っても、たいていの農家は2、3日で終わってしまうので、真っ盛りという言い方が正しいのかどうかわかりません。我が家は今日のお昼前に終えました。とりあえずホッとしたところです。
 今晩は、雲ひとつ無い空なんです。満天の星、そして三日月が、夜の深まりともにますます輝きを増しています。
 田植えがすんだほとんどの田んぼには水が張られています。日中は空や風景を水面に映し出し、夜は白色や橙色の街灯の明かり、そして点在する家々からもれた明かりをやわらかく映し出します。派手さはちっとも無いのですが、自分にとってはとてもこころやすまる光景に感じられます。
 ついさっきまで、ひとり外に椅子を出して、そんな光景を目の当たりにしながらちょっぴりお酒を飲みました。田植えが無事すんだことに感謝してです。あわせて、良い世の中になりますようにと願ったことでした。
 この光景は、稲の生長とともに目にすることができなくなります。いまだけの期間限定。多くの人に共感してもらえないかもしれないけれど、何となく幸いとうれしさといとおしさを感じる、自然と人間の協同作品と言えると思います。
 この時期に田んぼのたくさんある地域を訪れる機会があったら、ぜひ見てもらいたいなー。

2007年4月14日

かすかな明かり 強い風
 おとといの夜遅い時間、風呂に入ろうとしたら、電球が切れていた。あっと思ったものの、もう服を脱いでしまっていたし、脱衣場の明かりでどうにかぼんやりと見えたので、そのまま浴槽につかった。薄暗い空間。何となくゆっくりする。ろうそくでも灯したら、さらに良い雰囲気になりそうな感じだった。

 いまは全然と言っていいくらい無いが、子どもの頃は停電することが時々あった。そんなときは必ず、すぐカーテンを開けたりして、停電がうちだけかそれとも近所一帯なのかを確かめたりした。大人に言われるまでも無く、「僕が、私が持ってくる」なんて妙にはしゃいで、仏壇の方へろうそくを取りに行った。わいわい言いながら、ろうそくを取ってきて、火をつけてテーブルの上へ…。非日常的な時間というか空間が、なぜかこころを弾ませる役目をして、電気がすぐ点いたりすると、「あーぁ」なんてがっかりしたものだった。誰かが風呂に入っていれば、そっちへろうそくを持って行ったりもしたような気がする。

 そういえば、これも子どものときの話だけど、外にいっぱいの雪がある頃なんかは、お湯が熱すぎたりすると、裸のまま外に出て、たらいに雪を取って、風呂に入れたりしたったなぁ。「さんびぃさんびぃ」なんて言いながら、でも何となく楽しい気もしたりして。

 人のできることが、自然のいろんな現象に比べたらまだまだ小さいことだらけで、でもそれだから、ほっとしたりいとおしかったり…。
 今夜は風がとても強い。ビニールハウスが心配になるくらい、ひっきりなしに風の音がする。種まきまであと1週間と少し。今夜みたいな強風の日は、種をまいてからでも時々ある。

2007年4月11日

まぁ、そういうことで
 いよいよ春作業も本格化してきました。きのうきょうは、稲の苗を育てるビニールハウスのビニールかけをしました。ビニールハウスは、冬の間は降雪による倒壊を避けるために、ビニールが取られて、骨組みだけになっています。種まきが近づく頃になって、またビニールを被せることになるわけです。

 この作業は、風のない時間を選んで行います。少しでも風があると、ビニールがバタバタしてうまく行かないのです。いきおい、作業する人たちの間で、あーだこーだと始まり、雰囲気は悪くなっていきます(苦笑)。「作業する人たち」って、親子の場合もあるし、夫婦の場合もあります。タイミング良くやればニコニコ顔でやれたものを、しなくてもいい口げんかをしてしまうこともしばしばです。

 「ぼくが気が短くないから、けんかにならないんだ」
 「パートナーが私だからけんかにならないのよ。他の人だったら黙ってはいないわ」
 お互いこころのなかでは、こう思ってるんです(笑)。おかしいですよね。
 「『私だから怒りもせずにやってるのよ』って思ってるべ?」って聞いてみました。
 「もちろん。これが**さんとかだったら、ボロクソよ」という返事。
 「アハハ、んだよなー。だども、ここでおれが笑うから、円満にいってるんだよなー」こっちも負けてません。

 どっちも、「うまくいってるのは、自分のおかげ」と思っています。これからもそうでしょう(笑)。だからうまくいってるんです、きっと(苦笑)。

 19年産のお米作りがスタートしました。

2007年2月6日

静かな時間
 つい先ほどまで、作業場でお米の仕事をしてきました。ごはんのあと少ししてから始めて、2時間半ほどやりました。
 時々、夜に仕事をします。注文をもらったお米の精米の場合がほとんどです。通常は日中にやるのですが、夜や早朝の場合も時々あるのです。

 作業が終わると、ホッとします。作業場と家は隣りあっているのですが、すぐには戻らず、ずっと点けていたストーブにいすを近づけ、そこでひと息つきます。
 ひと息といっても、ちょっとの間、何となくぼんやりするだけなんです。特別何かを考えるということもなく、ただストーブに手をかざしたり、燃えている炎を見るでもなく見たりしています。余韻に浸るといった感じかもしれません。

 ほんのわずかの時間そうしてから、灯りを消して外に出ます。作業場に来る時は満天の星空だったのが、先ほどはすっかり雲に覆われていました。こんな時お月さまが出ていたりすると、それだけで、その時間まで仕事をしていたことが何となく報われたような気がするから不思議なものだと思います。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

2006年11月28日

電話
 家にいると時々電話が来ます。固定電話へ来る用件なので、かかってくる相手は限られています。
 たまに自分に来るのは、教材販売や塾などの勧誘。そして、ヘンな金融、先物商品の案内。のべつまくなしに話すので、こちらが言葉を発することが、とても困難です。
「ちょっ、ちょっと、すみません。とてもじゃないけど、そんな『先物』の話に乗るような立場じゃないんですけど」なんて言っても、いやまず聞いてくださいという具合で、こちらの言うことを聴く耳を持たない…。
 いろいろやりとりしたあと、「まず、ほんとに、いいですから(結構ですから)」と言い切って電話を切ることになります。

 その後で、いやーな気分になります。こちらでアクションを起こして何かをしたわけでもないのに、気分が悪くなって、損したような気持ちです。
 「えっぺ、じぇんこかげで大学さ行って、して、こんた人だますしごどがぁ? ぶじょほだごど言うんたども…(いっぱいお金をかけて大学に通って、そして、こんなふうな人をだますような仕事に就いたのか。失礼なことを言うようだけど)」
 つい勝手にそう決め付けて、こころのなかでそう思ってしまいます。
 「だます」と言っては、あまりにも表現がきついかもしれません。その仕事に一生懸命な若者にすまないことでしょう。でも、こうした仕事には、そう思われても仕方ない面が多いのではないでしょうか?
 「百姓やれー。誰もだまさねたってえぇがら(誰もだまさなくてもいいから)。ぜんぜんもうがらねーども」

 あはは、汗流すことをきらって、頭使って何とかお金を稼ごうとしている人にこんなこと言ったってしょうがないか。それどころか、相手からはこっちが笑われているんだろうな。
 そんな仕事をしている人のストレスのはけ口はどこに向かうんだろう…。ふと考えてしまう。
 「ぶじょうほだごど言うんたども、当たり前の仕事、早く見つけれなー。見つかればえぇなー(差し出がましいことを言うようだけど、ごく普通の仕事を早く見つけた方が良いよ。早く見つかれば良いねー)」

 そんなイヤな電話。でも、お米の注文が届くのもこの電話なのです。うれしいなー。

2006年11月5日

晩秋のひとこま
 十五夜のきれいなお月さまが白く輝く秋田の夜。地上の景色が照らし出されています。
 作業場に鍵をかけようと外に出ました。玄関を開けて、「あっ、そうだ、冬囲いをしたんだ」と気付きました。風除室のような感じに設営したのです。玄関と外の間の緩衝地帯のような空間。思わずほっとしたことでした。
 雪が降り出すまでにはまだ間があります。とは言え、ここらでの初雪は12月に入ってからが一般的ですが、まれに11月中に降ったりすることもあるのですから、油断はできません。

 数日前に収穫した白小豆。虫害粒や極小の粒を、母が取り除いてくれています。
 自家用にわずかばかりの面積に種をまいたのでしたが、収穫には結構時間がかかりました。いんげんのようなさやがついて、そのさやがベージュ色に変わり、からからに乾いた頃(ちょうどこの時期です)が収穫の時期となります。茎にたくさんついたさやの中には白小豆が何粒か入っています。きれいに並んだ小豆たちはかわいく見えます。さやごと取って、2、3日日に当てれば、乾燥状態も充分になるようです。きのうきょうと乾かしましたが、弱くなったお日さまの光の中でも、さやが少しはじけたりして、パチパチと音がしたりするのでした。

 すべて手作業。労賃換算したら、畑の準備から始まって収穫調整までの時給は限りなくタダに近いものでしょう。そんなに多くを食べるわけでもないし、誰も栽培しなくなる所以です。でも、何となく育ててみたい気がしたのです。
 妻と収穫しながら「これは若いモンがやる仕事じゃないね。年とって、やってる途中でお茶ッコに誘われたりしても一向に差し支えないような年代の人がやればちょうど良いよね」と話したりしました。農作業には、それが商品生産を第一義としたものでなければ、いろんな年代に合った仕事があります。わずかばかりの小豆栽培(とその収穫、料理)などは、まさにお年寄り向きの仕事なのだと思います。
 そう言ったものの、あとから、「47歳にもなったら、少なくても若い部類じゃないよな」と思い、可笑しくなったことでした。

 家の冬囲いが済んで、何となくほこっとした感じになった和賀屋です。
 日一日と寒さが増す中で、稲が刈られた跡から出て来た「ひこばえ」の緑色は、少しずつあざやかさを失ってきています。

2006年10月24日

それぞれの活かされかた
 おとといの日中は、集落の会館で飲み会がありました。
 20軒くらいの集落。自分で耕作しているかどうかは別として、すべての家が多かれ少なかれ田んぼを持っています。収穫作業も一段落ということで、毎年この時期に、みなが集まって飲み会をやっているのです。

 この時の飲み会は「えびす(恵比寿)講」と呼ばれています。恵比寿さんは本当は商売の神様だとか。でも、なぜかこんな名前がついているのです。
 今年の係りの人が準備してくれた折り詰めは、値段からは想像できないほど、彩り、ボリューム、そして味付けも良いものでした。みんな「えぇ、折りッコ(折り詰め)だなぁ」なんて言い合ったものです。とは言っても、みんな飲む方が忙しくて、そんなにばくばく食べるといったふうでもなかったのでしたが。

 楽しいひとときを過ごして、家に帰ってから、あらためて折りッコを広げてみました。家の人たちも「良いねー」なんて。実際に食べてみると、ひとひねりもふたひねりも加えられた品ばかりでした。もちろんおいしかったです。
 人ってわがままなものですね。「人って」なんて一般的みたいに書かなくても、自分のことです。その、「ひとひねりもふたひねりも加えられた」品を口にしながら、かえって違和感が生じてきたのです。「もっと普通でいいのに…」
 「普通」という概念はきわめてあいまいです。「普通でいい」と言っていながら、求めている「普通」は、はっきり言ってしまったら自分好みの味付けということに他ならないでしょう。苦笑せざるをえません。
 
 料理に限ったことでなく、まだ始めてばかりなので、できた(やれた)ものがシンプルであるということ。ひとつひとつを追求し、より難しいことに挑んで、凝って凝って凝りまくって、そしてたどりついたところがシンプルであること。その違いは本人にしかわからず、他の人には、その人の理解の程度にしかわからないことでしょう。だからきっと目立ちません。
 だからと言って、シンプルなものがいつでも良いかといえば、決してそうではありません。それぞれがそれぞれに合った場で活かされ、その役目を果たす…。それができたとき、良し悪しなどというものは無く、考える必要も無くなっていることでしょう。

 折りッコはとても良くできていて、飲み会の場では、その雰囲気によく合った位置にありました。もしそれがあまりに普通すぎていたら、少し寂しいものであったことは想像に難くありません。
 ひとり帰りふたり帰り…。まだそんなに時間が経っていないのに、少しずつ人数が減っていきます。天気の良い秋の一日。いろんな意味で、それぞれにとって大事な一日であったことでしょう。
 それにしても、みんな飲めなく(飲まなく?)なりました。

2006年10月15日

新米といっしょに
 天のたすけをもらい、地のめぐみを得、そこに手間ひまを加えて、今年もおいしいお米ができました。お米に添えて、こんな文章を届けています。

  「ボンブ(ウ)ガルテンの18年産米」

 4月初めに、種もみを水に浸けることが第一歩だった今年のお米作り。下旬には種がまかれ、末頃には田んぼの耕起も始まりました。
 それから約5ヶ月……。稲が刈り取られた田んぼの様子は、遠目には春先のそれかのようです。

 大地は今年もたくさんの恵みをもたらしてくれました。多くの人の生きるちからとなるたべものをいっぱいに育ててくれたにもかかわらず、そんな大それたことをしたというふうでもなく、そこに在ります。
 天のはたらきも、数えあげればきりがないほどたくさんのものでした。お日さまのひかり、月の落ち着き、雨や風、水、そしてあらゆる生きもの。それらすべてが、稲のいのちをはぐくんでくれました。

 このお米は、できるだけよろこんで食べていただけるようにと、有機質肥料を主に使い、薬剤の使用をわずかでも減らしたいという思いで育てられました。そのため、黒い線や斑点が付いているものが若干入っていますが、食べても一向に差し支えないものですで、ご寛容のほどお願いいたします。
 お気付きの点やご質問などございましたら、下記あて遠慮なくお知らせください。

 
 思いが届いてくれたらいいなぁ…。




      

2006年9月27日

稲刈りも終盤となりました
 稲刈りが始まってからずっと好天続きの秋田県内陸南部です。和賀屋(我家)で始めてからのことを数えても、きのうまで7日連続!。きょうようやく雨となりました。

 稲刈りが始まると、何日か遅れてもみすり(籾殻を取り除いて玄米にすること)作業も始まります。次々に玄米にしていかないと、稲刈り(乾燥)直後の籾を入れておく場所がなくなってしまうのです。

 時々雨が降って稲刈りができないと、その時にある程度まとめてもみすりをしたりするのですが、今年の秋は雨が降らないので、大忙し。夜明け前の時間を利用してもみすり作業をしたりしています。

 朝晩すっかり寒くなって、寝心地が良くなっていたものですから、ここしばらく5時前に起きたことはありませんでした。
 でもこの数日は4時半前に起きています。
 星空は夜明け前のもっとも暗い時がいちばんきれいに見える、というようなことを聞いたことがありますが、本当にそうだと思わされています。天然のプラネタリウム状態なのです。

 朝晩の、外にじっとなんかしていられないほどの寒さ。そんななかで、風にゆられながら、稲は頭を垂れています。
 植えたばかりの早苗の時もそうでしたが、田んぼの稲ッコがなにかとてもいとしく思えるきょうこのごろの夜なのです。

2006年9月2日

9月に入って
 きょうはセロリの苗を植えました。種をまいてからきょうまで、ずいぶん長くかかりました。
 セロリの種はとても小さくて薄っぺらです。だからとても軽いのです。ちょっとの風で簡単に吹き飛ばされてしまうほど…。

 小さなポットで72本の苗ができました。大小さまざまだったけど、全部植えました。作業の取り掛かりが遅かったので、できた時はもう薄暗くなっていました。
 家に入ってから、殺虫剤を撒くべきだったと少し後悔。
 できるだけ薬剤を使わないようにしています。が、種をまいて芽が出た時や苗を植えた直後などは、虫の食害がひどいのです(セロリだけでなく、作物全般です)。植えたその日の夜中にもう、細い茎が食いちぎられて死んでしまいます。本当に情けなくなります。ある程度の大きさになってからの食痕は我慢するとしても、死んでしまっては元も子もありません。薬剤を使いたくなる所以です。

 セロリは定植後はもちろん、大きくなる途中でナメクジがくっつき、その食痕はずいぶん大胆なものです。自家用だからと割り切っても、いざ食べる時には、包丁で取り除くのが相当面倒です。もちろん、売り物になんてなりません。
 「いまごろ植えて、(冬になるまで)ものになるのかい?」
 近くを通りかかったオヤジさんが笑って言いました。
 「無理だべが(無理かなぁ)?」
 笑って答えました。他愛も無いやり取りでした。
 いくらかでも食卓に乗れば儲けもの、という考えです。良く育ったら、一株だって結構大きくなるんですから。

 セロリは大人になってから食べれるようになりました。ひょんなきっかけからでした。味噌ッコとマヨネーズを軽く混ぜたものを付けてボリボリ。浅漬けにしてもおいしいです。
 虫の食害をどうにかして最小限に抑えて、旬のおいしさを味わえる日が楽しみです。
 種があるからにはセロリも花が咲くのでしょう。どんな花なのか想像もつきません。ニンジンの花に似ているのかな。種の入った袋には、生産地の欄にフランスと書かれてありました。野菜の種は、外国で生産されたものが結構あるようです。

 刈り取りまであと3週間ほど…。稲の穂もすっかり頭を垂れてきています。長く伸びたあぜや農道の草刈り。秋作業用機械の準備等、少しずつあわただしくなってきた今日この頃です。
 実は、秋の夜長のせいか、きょうの農場だよりのタイトルにヘンなのが浮かんできたのです。
「関税セロリは理路整然か(かんぜいせろりはりろせいぜんか)?」
 日記の内容と少しは関係あるかと思いましたが、さすがにタイトルにするのはためらわれました(苦笑)。

2006年8月28日

良いことをしたつもりが…
 22日ほど連続した真夏日が一息ついたと思ったら、それもわずか一日のこと。きのうきょうとまた暑い日となりました。

 いつもの年なら、もう、時々雨があるようになり、田んぼにあえて水を入れるようなことはしなくなります。理想を言えば、今月末ごろまでは入れた方がいいのですが、その後の天候がどうなるかわからないので、危険を冒せないのです。
 と言うのは、雨が続くようになると、田んぼの土が軟らかくなってしまうので、コンバインでの収穫作業がとても難渋します。難渋するのはコンバインそのものなのですが、過重な負荷は大事な機械にとって決して好ましいものではないし、何よりも田んぼ自体が大きなダメージを受けます。コンバインの走行した跡が何本ものわだちとなってしまい、田んぼがズタズタになってしまうのです。そんなこともあり、この時期の水入れは慎重にならざるをえません。
 まとまった雨がほとんど無く、相変わらずの高温続き…。ふと思い立って、午後になってから入れ始めました。夕方になってもまだ全体に行き渡りません。でも朝まで入れ続けたら、あまりに多すぎることは充分に想像がつきます。「夜遅く見に来なければいけないな」と思いつつ家に入りました。

 夜の10時少し前、見に行きました。外は秋の風が強く吹いていました。あんなに暑かったのに。
 昔は夜に水の見回りをしたりする人も多かったのですが、水事情が改善するにつれて、そうしたこともなくなってきました。夜更けの時間に田んぼを見回るなんて、ある意味「不審人物」です(苦笑)。
 車のライトやエンジン音を鳴り響かせるのもどうかと思い、自転車で動きました。風の涼しさからは、日中の30度以上の高温を想像することは困難です。水を入れていたこと自体が、ひどく間の抜けたことのように思われました。と同時に、自転車をこぎながら、何故か、ほんの少しでしたが不安な気持ちがしたのでした。
「こんな状況なのに水を入れてたなんて、どうかしてるよな」

 (稲にとって)良いこと、大事なことをしたはずなのに、気持ちが晴々としなかったのは、入れ終わった時間が夜になってしまったからかもしれません。
 ……夜はいろんな想いを増幅させますね。
              (8月26日記)

2006年8月14日

いっぱいの感謝です
 いざ暑くなると、とことん暑い当地です。内陸部、盆地のせいでしょう。きょうも早くから30度を大きく超え、期待を込めて見た昼前の天気予報では、明日は34度!とのことでした(涙)。

 おかげさまで当園のお米は完売となりました。この一年間ご縁をいただけましたみなさまに、あらためて感謝申し上げます。
 注文くださったみなさまのご期待に沿うお米であったか、いつもどきどきです。せめて、「あー、(買って)失敗だった」と思われることの無いようにと願いながらのお米作りです。

 今年も収穫の時期まであと一ヵ月半ほどとなりました。残暑見舞いとともに、完売のお礼を書かせていただきました。

2006年8月11日

暑さの中で
 梅雨明け以降、暑い日が続いています。田んぼの乾き具合もまだ不充分と思い、何日間か畑の草むしりやイモほりにかまけていたら、思わず冷や汗が出てしまいそうになるくらい乾いていたのでした。

 ここの田んぼの土は主に粘土質が多く、他の土質ではどんなふうになるのかよくわかりませんが、ここではザクザクと大きなひびが入ります。こうなると明らかに乾きすぎの状態です。用水路から勢い良く水を入れても、ちっとも先の方へ伸びて行きません(「行きません」と言うよりは「行けません」と言ったほうが正しいかも)。ここの田んぼは、用水路側から向こう側まで約180mあります。一日中水を入れているのに半分までも行けないなんていうような状況になってしまったりするのです。
 さぁ、稲の葉は少しでも蒸散を防ごうと、よりを巻き始めます。もし話すことができたら、何でこうなるまで水を入れなかったのだと、恨み言のひとつやふたつでは済まないはずです。でも、どれだけあせっても、水は先に進みません。それどころか、他の農家も入れたくているので、いつまでも水の流れすべてを独占していることもできなくなります。
 幸いにも3枚の大きな田んぼに、2日がかりで水を行き渡らせることができました。稲ッコがとっても喜んでいるように見えました。それはとりもなおさず、稲の姿を借りた凡夫自身の思いだったのでした。

 夜、ふと外に出たら、きれいなお月さまです。冷蔵庫にあった缶コーヒーを持って出たので、月を見ながら蓋を開けたら、プシューッという音。小さな音なのに、何百メートルか先で誰かがそうしたら、きっとその音がここで聞こえるだろうなと思えるほど、響き渡りました。
 ここの夜は、大抵の場合そんなふうに静かなのです。

2006年7月28日

葉っぱの色に惑わされ…
 稲の追肥をしてから10日ほど経ちました。
 稲の肥料分が少なくなってくると、葉っぱの緑は薄くなってきます。黄緑から、そのままにしていると黄色にまでなってしまいます。そうなる前に追肥をするのですが、比較的緑が濃いままの箇所もあったりするので、葉の色を良く確かめながら、加減して肥料を撒きました。

 おかしなもので、お日さまの出具合で、葉の緑色は濃淡にずいぶん違いが出ます。表と裏も色が少し違うので、逆方向から稲を見ると、感じが変わります。お日さまが雲に隠れたり出たりすると、もう、目視での認識はかなり頼りないものになってしまうのです。
 10a当たり*キロ撒こうと思っていざ田んぼに入っても、ひっきりなしに変わる色の違いに惑わされて、結局は予定より少なくなってしまいます。
 「どこ見てんのよっ!」というフレーズを、いっときお笑い芸人が好んで使いました。追肥の判断の目安…。本当に「どこ見てんのよっ!」とひとりツッコミをしたくなるほどでした。

 そういえば、7月に入ってから病院で目の検査を受けました。
ー「どこ見てんのよっ!」
ー「瞳孔見てんのよっ!」
 異常なしでとりあえず安心しました。

 出穂まであと少しとなりました。

2006年7月23日

お米の試食会
 きょうの午前中は、前々から計画されていた「圃場視察と試食会」でした。
 さらにおいしいお米作りを目指して、今年からこれまでと違った肥料を使って栽培している農家7軒の稲の様子を見たあと、その肥料をずっと使い続けてきた田んぼで穫れた17年産米を試食してみる催しだったのです。

 お米のおいしさは、田んぼの土の種類に左右される部分がかなりあります。でもそれを何とかしようと、各肥料会社がいろいろと研究を重ね、できるだけおいしいお米に育つような肥料を作っています。
 今回の試食会は春早くに行われた1回目に続いて、2回目のことでした。
 1回目の時は7人くらいが参加して、違った肥料を使い続けたお米と、その中のひとりの方のお米を食べ比べたそうです。その人はずっと産直をしている方で、ずいぶん評判も良いのです。もちろん自信もあったことだったらしいのですが、結果はもう一方のお米がほとんどの人に支持されたということで、思いがけない結果に驚いたとのことでした。

 きょうの参加者は14人。今回は和賀屋(我が家)のお米を食べ比べの一方としたのでした。1回目の結果を聞いていたので、「こりゃぁ、キビシイぞ」と覚悟をして臨みました。1対1の食べ比べと思っていたら、前回の方もリベンジ?ということで、全部で3種のあきたこまちの食べ比べとなりました。
 余計な先入観が邪魔するのを防ぐため、3種類のお米の出所は明らかにされないまま、食べ比べを行い、それぞれが順番を付けました。

 1回目の食べ比べで圧倒的な支持を得たお米に使われていた肥料を、今年、我が家ともう一人の方は使っています。我が家ではそれに加えてもう1種類の肥料を使っています。それはともかく、比べられた3種類のお米はいづれも17年産米。それぞれが別々の肥料でした。
 果たしてその結果は?
 自家産のお米を出品した2人。お米がおいしくできる肥料を勧めて実際にその肥料で育ったお米を出品したお米屋さん。その肥料を取り扱う肥料屋さん。そして残り10人の参加農家の人たち…。
 口に出した感想、出さなかった感想、いろんな思いが交錯したことでしょう。
 
 食味を確かめる試食会だけに、「シーッ、ショックかい?」「ショック ミー」なぁーんて、やっぱり寒いですかね。

2006年7月13日

すぐりの実
 この時期、ふと、すぐりの実が成っているのを眼にすることがあります。梅雨の晴れ間、畑への通り道の途中、近所の宅地で見たり、ホームセンターの鉢物売り場で、少しばかり葉の色が枯れ上がったようなものを見つけたり。
 何故か天気の良い日に、眼に飛び込んできます。透き通った紅が、涼しさを感じさせてくれるような気がします。小さな鉢に入ったものでもそんなに高価では無いので、買って地植えしようかなと思ったりするのですが、他のいろんなもの同様、結局はいつも止めてしまいます。それは、いくつになっても変わることの無い私の癖…。
 十数年も前のこと、ある人の家に寄らせてもらった際に眼にした時のことが、いまも鮮やかに思い出されます。

 暑い夏の日のことでした。「立ち話もなんだから、まず入って」としきりに言われ、入った居間のテーブルにすぐりがあったのでした。水の入ったコップに、紅いすぐりがたくさん付いている一本の枝が入れられていたのです。あとで作られた記憶かもしれませんが、気温が高かったせいでしょう。コップ内側ののガラス面には無数の空気の粒が付いていました。そのこともひどく心に残っています。白色のテーブルクロスとすぐりの紅がお互いに引き立てあって、とても良い感じでした。
 それ以前にすぐりを見たことがあったかどうかは覚えていません。ただ、その時以来、すぐりを意識するようになったのでした。

 私よりずっと年上のその人との付き合いは一時的なもので、長い間会うこともなく過ぎてきました。付き合いもきわめて限定的なものでした。井戸掘りをする方だったので、水条件の悪い田んぼのために井戸を掘ってくれるようお願いしたのでした。
 体調がすぐれないという話を人づてに聞いたこともありました。今年の冬に偶然に会い、その後これまで数回見かけました。いつも車に乗っっている時なので、軽く頭を下げて通り過ぎます。
 「どうぞこれからも元気でいますように」と心の中でつぶやきながら、家の前にあったすぐりの木はいまどうなっているのだろうと思ったりするのです。

2006年7月3日

うかうかしていられません(羽化羽化?)
 これまでずっと田面が隠れるくらいの水を溜め込んでいた田んぼ。これからはいったん水を落として土を乾き気味にします。そのあとは、乾き過ぎないように時おり水を入れることとなります。

 この落水の時期を知ってのことではないと思うのですが、この頃ヤゴが羽化して、トンボになって飛び回る姿が目に付くようになりました。
 ヤゴは朝早く稲の茎によじ登るようです。そして羽化が始まり、軟らかな身体をしばらくの間そのままにしています。初めて空気に触れた、身体全体はもとより4枚の羽は、朝日を浴びてきらきら輝きを放ちます。人工的に装飾されたきらびやかさとは全く無縁に思えるその輝きは、とてもささやかなものですけど、でも愛おしさを強く感じさせるものでもあります。
 これから何日かにわたって、たくさんのトンボが田んぼから生まれます。その数といったらびっくりするほどです。それらが気持ち良さそうにすいすい飛んで、でも雨の日はどこかでじっとしていて…。夕日を浴びながら飛んでいる羽のきれいさは格別なんですよ。
 なんて、こんなふうに書いたら、実際に見た人は「全然そんな気はしないよ」と思ってしまうかもしれません。読んでくださった方は、あまりイメージをふくらませないでくださいね(笑)。

 この時期、どこで生まれるのか、身体が細く全体が真っ黒のトンボもちらほら見えます。なぜか用水路の、水の流れが滞っている場所や草などが流れずにひっかかっている場所などでよく目にします。正式な名前は知りませんが、子どもたちは「神様トンボ」と言っているようです。自分が子どもの頃は、ただ「黒いトンボ」と言っていたような気がして、いつ頃から子どもたちがそんなふうに呼ぶようになったのかわかりません。
 目に付くのは書いたような場所。見た目には何となく汚れて見える場所なんです。そんな場所にいるのが「神様」トンボとは、何となく面白い気がします。豪奢な建物に住んで、もっともらしいことを話して、お金儲けにのみ励んでいるような怪しいカミサマに比べたら、ずっと潔いと思うのは、勝手な思い込みでしょうか?
 人間の世界でも、ごく普通の格好で街を歩いている神様(のような人)が、そこかしこにいるかもしれませんね。ただ気づかない(気付けない?)だけで…。

2006年6月20日

おこめの勉強
 お米のことや農業のことなどについて勉強するのは小学5年生の頃のようです。どの程度内容を深めるのかわかりませんが、一般的な知識の他に実際に稲を育てたりする場合もあるようです。
 自分の時もその頃に習っていたのでしょうか。全然記憶にはありませんが、とにかく何かしらを感じていたことでしょう。
 いま勉強している子どもたちは、どんなことを勉強しているのかな。どんなことを感じているのかな。感じたことを忘れずにいてくれるかな。なんて、ふと思ったりします。
 
 お米や農業のことに限らず、勉強したことのほとんどは忘れてしまうのかもしれません。でも、勉強の最中に感じたひとつひとつのことが蓄積されていって、現在や未来のその人を形作るのではないかと思います。
「ずっと農業に携わってきて、あなただったら、子どもたちに農業についてどんなことを知ってもらいたいですか?」
 誰かにそんなふうに聞かれたら、どう答えよう。

 夜になって、何となく外に出たら、いつもより暗い気がしました。遠くにはたくさんの外灯のあかりが見えるのにです。
「あぁ、稲が分けつ(茎の数が増えていくこと)して、田んぼのすき間が少なくなり、外灯が水面に映らなくなったからなんだ」
 ふとそう気づいたのは、家に入ってしばらくしてからでした。
 
 田植えをしてから一月が過ぎました。

2006年6月7日

いっしょにいてくれる
 「どうしてお月さまはあとをついて来るの?」
 子どものころに生じた疑問は、いまもって解決していません。いっしょうけんめい走れば走ったように、自転車のペダルを踏めばそれにあわせたスピード。自動車の猛烈なスピードにも負けずにお月さまはあとをついて来るのです。時と場合によっては、自分の前を進むこともあります。まるでこちらの動きを読み取っているかのように、寸分たがわぬ動きで。

 稲が着実に成長しているとはいえ、田んぼにはまだまだ隙間が多く、その水面には、いろんな光景が映ります。夜の月もそうです。
 おとといの夕方、用事を足しに行った帰り道、夕日が沈もうとしている場面に出くわしました。稲の緑が日に日に濃くなっているきょうこの頃です。その緑の中に大きなオレンジ色の夕日が映り、それが車の動きに合わせていっしょに動いていきます。とてもきれいな組み合わせでした。
 海沿いや湖のようなところの道路を走っていたら、お日さまはずっと動きながら映り続けるのでしょう。でも田んぼにはあぜがあります。そして田んぼごとに段差があったりします。当然のことながら、あぜのうえにはお日さまは映りません。一瞬消えるのです。緑の中を動いては消え、また動いては消えの繰り返し。段差がある田んぼに移った時には、お日さまの位置もガクンと下がったりします。
 
 近くの誰とも共有できないひとりきりの時間だったけれど、どこかで誰かがこんな光景におんなじような思いを感じていたかもしれません。ずっと見続けていたくなるような、この時期だけのすてきな光景でした。

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