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農場だより(ボンブ(ウ)ガルテン)

ボンブ(ウ)ガルテン
ボンブ(ウ)ガルテン

2日前にオンライン

代 表 者 : 中田宏明 
所 在 地 : 秋田県
生 産 歴 : 45年
モットー : 『なんもだ。さっとずづ やっていご(大丈夫、少しずつ進んでいこう)』
  • 2019年産米放射性物質検査 2019年産米放射性物質検査
  • 29年産米の食味値は82点で 29年産米の食味値は82点で
 
 秋田県の内陸南部は雪の多いところです。ここに住む多くの人たちが思わずため息してしまうほどのたくさんの雪が、実はおいしいお米の源なのです。
 まかれた種が、お日さまはもちろん、お月様や星のまたたき、かぜ、田んぼに入る水、ちいさな生きもの達、その他いろんないのちといっしょの時を過ごし、おいしいお米となります。私たちのできることは、ほんのお手伝い。
 食べてくださる方々の食卓がなごやかになりますようにと願いながら、みなさまのところへお届けします。

 ボンブ(ウ)ガルテンのボンブは凡夫。ガルテンはドイツ語で庭とか園の意です。平凡な人の園というわけで、現在4人の家族です。

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2009年9月22日

間もなく稲刈り、新米のお届けまであと少しです その1
農園から9月の便りです。
 
 9月の第一日目は雨の朝となりました。しとしとと降る雨がいったいいつ頃から始まっていたのか定かではありませんが、日付が変わってからということだけは、間違いないような気がしています。いつものように、目覚まし時計の音で眠りが破られました。5時半です。布団に入る時間が遅いせいか、寝る前によほど重大な決意をしない限り(ずいぶん大げさです)、ひとりで目が覚めることはありません。時には目覚まし時計が鳴ったことすら気づかずにいて、その数十分後に別の音声で目覚めることもあります。冬以外は大体5時頃、田植えの前後はそれより早く、少し秋めいてくるといくぶん遅くなります。7時過ぎの朝食の時間までひと仕事です。冬は早く起きてまでする農作業はありませんが、除雪という必要欠くべからざる作業があるので、6時頃には起きなければなりません。雨が降っているかとか曜日に関係なく、こうしたパターンで30年間ほど過ごしてきました。振り返ればあっという間です。

 二日目の午前中は良く晴れ上がりましたが、少しずつ雲が増えてきました。割と強めの風が吹き続いていて、作業をしていても気持ちよく感じられます。きりの良い所で10時頃になったので、草刈り機械のエンジンを止めて置いていた軽トラックのところに戻ってみたら、頭を垂れた稲穂がざわざわと揺れています。葉のこすれあう音がカサカサ鳴って、目をつむってみると、その音はどこか別の場所を思い起こさせるようです。
 夏の天候不順のせいもあって、稲の出(しゅっ)穂(すい)はいつもに比べ少しばかり遅れました。この出穂はある日突然に起こるものではありません。そして一日ですべてが出揃うというわけでもないのです。一枚の田んぼの穂がすべて出揃うには一週間近くかかるような感じです。今年はその期間も長くなったように思っています。出始めも遅れ、出揃うにも日数を要したのでしたが、その後は好天の日が多いので、さて稲刈りのスタートはどんなふうになるのやら…。

 本来であれば、今が草刈りの真最中となるべきところです(今日は8日)。草刈りが早すぎると、そこにいたカメムシたちが田んぼに飛び込んで行き、まだ軟らかい米粒に食痕を残してしまうからなんです。でも例年ほとんどの農家が適期まで待てずに草刈りを始めてしまいます。今年も何日も前に終了してしまいました。そこにいた(?)虫たちはいったいどっちの田んぼに飛び込んで行ったのか。刈ってお米になってみなければわからないことです。♪このムシはー いつか来たムシ あぁ、そうだよー。そんな替え歌が浮かんできたことでした。

2009年7月4日

ダイエットは一瞬
我輩は溝切り機である。名前はまだない?
我輩は溝切り機である。名前はまだない?
 昨日は、この時期のちょっとした重労働をしました。正式には「溝切り」と言われ、この辺では「へげッコ(堰)立て」と言われている作業です。ズボズボとぬかる田んぼの中を、この機械を使って、何本もの溝を作っていきます。
 機械は一輪です。少し分かりづらい写真ですが、右の上部が取っ手でその下にエンジン、さらにその下にあるのが、溝を形作っていく、二等辺三角形のような仕掛けです。

 この作業は毎年今頃の時期に行われます。暑い中を延々と機械とともに…。作業を終えてから体重を量ったら、果たして−1.5キロでした。わずか12時間くらい前に比べての数値です(いつもならもう少し減っていたような)。
 でも、すき間のできたお腹には、いっぱいの晩ごはんと、充実感でいつも以上においしく感じられる少しのアルコールが…。あっという間に元通りと言うか、それ以上になりました。

 ダイエットが一瞬なら、リバウンドも一瞬。それで良いんです、それで…。いつものように、はかない夢物語のようでした(苦笑)。

2009年4月27日

どうぞお試しください
 これまであきたこまちを食べたことが無い方も、一度食べたことがある方も、どうぞお試しになってみてください。2キロ入り送料込みで1000円です(関東まで、その他地域は若干の加算があります。前もってお問い合わせください)。

 恐れ入りますが、おひとりさま一袋一回限りとさせていただきます。

2008年12月15日

12月の便り
 「あらもう12月か」と思ったのもつかの間、きょうはすでに8日目となってしまいました。自分の仕事ぶり(の遅さ)は棚に上げて、時間の過ぎるのが早いことのみに焦点をあてている凡夫。オリコメの迷文も、いくら待っても出てきません。そこで今回は、おととしの11月末頃、雨の日に書きとめておいた文章を見つけ、引っ張り出してみました。
 
 きょうは雨となりました。あらためて思ったものです。きのうの貴重な晴れの日をむだにしなくて良かったと。おとといの夜からきのうの朝にかけて、ずいぶん冷え込みました。記憶違いでなければ、初霜だったかもしれません。そんな朝だったからこそ、日中は晴れたのでした。
 すべて自家用ですが、ネギ、サトイモの掘り取り。もうとっくに枯れてしまっていたキュウリやつるありインゲンの残渣の片付けと、その生育に欠かせなかったネットや支柱の撤去。アスパラガスの黄化した茎葉の刈り取り。そんなことをした一日でした。

 ネギが植えられていた場所は鶏舎の横で、10時頃になってもまだ日が当たらず、霜はそのままでした。冷たいままのネギを抜くとそこに赤とんぼが1匹付いていました。この冷え込みだと死んでしまったかなと思いながら、手に持って少し温かくしていたら、かすかに足が動きだしたので驚きました。とりあえず日の当る場所に置いて、作業を続けました。
 午後まだそんなに遅い時間ではなかったのですが、気温はすでにピークを過ぎています。お日さまが出ているのも関わらず、冷たい風が少し出てきました。そんな中、羽をきらきらさせながら、1匹の赤とんぼが飛んでいました。他に飛んでいるものはおらず、仲間を捜しているのかな?もっと暖かい場所を探しているのかな?と思ったりしたのでしたが、実際のところはどうだったんでしょう。少し気の毒な気がしたことでした。
 それからまた時間が過ぎて、ふと気付くと、南側に面した壁面に5匹がきれいな間隔で並んで張り付いていました。強烈な冷え込みをしのいだのは1匹だけではなかったんだとあらためてびっくりしたのでした。このとんぼたちは、どんなことを考えているんだろう?いや、とんぼには「考える」ということはありえないのかもしれません。そんなことを思いながら、仕事を進めました。

 夕方になって、とんぼたちはいつの間にかそこからいなくなってました。夜のねぐらを探しに行って、どこか良い場所を見つけたのでしょうか。なにもわかりませんでした。
 この生命力旺盛なとんぼたちも、一日多く生き延びれば、それだけ仲間の数は減っていきます。最後はひとりぼっち、というわけではないかも知れませんが、それにしても、何となく哀しいことのような気がしたことは事実です。

2008年12月15日

12月の便り(続きです)
 日中、家の周囲で仕事をしているせいで、近所のお年寄りともよく顔を合わせます。時には、仕事をしているそばに来て、話っこをし出すお年寄りもいます。「長生きして良いですねって言われるけども、もうこの近辺には同じくらいの年の仲間がいなくなってしまった。これもやづぁね(せつない、哀れ、寂しい)もんだよ」そんな意味の言葉がふと口をついて出てくることもあったりします。傍で気軽に考えているのとは違った思いをしている場合もあるということ。そんなことをいちいち気にしていたら、なんにも声を掛けられなくなってしまいそうですが、知っていても悪くは無いと思うんです。とんぼたちを見て何となく哀しいことのような気がしたのは、そんな言葉がこころのどこかにあったからかもしれません。

 収穫した野菜たちはそれぞれ、洗われたり、土を落とされたりしたあと、まとめられて納屋にしまわれました。大小さまざま、自家用には多すぎるほどの量がとれました。不必要な茎葉部分は、少し離れた畑の一角に運んでいきました。農道には季節はずれのタンポポが、咲いているのもあれば、咲き終わって綿毛になっているのもあります。この綿毛はどこかでまた花を咲かせることができるんだろうかと思ったりしながら、家に戻りました。米っこの仕事がようやくひといきつけたいま、きょう目にすることができたいろんな物や現象のひとつひとつがいとおしく思えたことでした。
 実はきのうはいろんな行事があった日でした。農作業は天気次第ということもあるので、参加の確約はできません。いや、それならば前々から作業を組み立てていき、その日に農作業をしなくていいようにすれば良いのです。理屈ではそうなのですが、それがなかなかできないところが、ツライところでもあります。でも、そういうふうにしていくことが、これからの人生の過ごし方を豊かにしていくひとつの鍵であることに、間違いないような気がしています。

 とんぼたちに憐れみを感じたのは、傲慢のなせることかもしれませんでした。最後の最後になって、日々厳しい条件の中で明日のいのちはどうなるかもしれぬ、といったところをせいいっぱい生きているとんぼたちも、それ以前の季節を、違った意味でせいいっぱい生きてきたことでしょう。そこを感じ取ることも無く、ただ最後の場面を憐れむというのは、傲慢と言われても仕方の無いことです。「明日も元気だばええな」。こころからそう思ったことでした。
 今年もたくさんのお引き立てをありがとうございました。12月もどうぞ元気でおすごしください。

2008年12月9日

食育の話 最後になりました
 農業という分野は実に広いものです。もちろん、それは農業に限ったことではありません。あらゆることが、限りないほど広いもので、私たちが何かをわかった、わかっているという時、その先には、その果てが見通せないほどのわからないことが存在しています。そのことにも同時に気づくことができたら、人はもっと謙虚になれるかもしれませんね。
 それはともかく、農業の中には、人をやさしく包み込む何かもあると思っています。時には情け容赦の無い自然ですが、やさしさやおだやかさ、ゆっくりとしたリズムは、いろんな人に力を与えてくれることもまた事実なのです。身体の弱い人、年老いた人、人とのかかわりがつらく思える人、いろんな人を受け入れてくれるのも農業のすばらしさの一面です。

 最初に話したように、農業を取り巻く状況は本当に大変なものですが、農家の人たちはがんばっているんですよ。決して暗い顔ばかりはしていません。なぜなら、周りの状況が大変だということと、自分たちがやるべきことをやるということは、まったく別のことだからです。みなさんも時には、家族の話に耳を傾けたり、休みの日には作業場やたんぼ、畑に行ってちょっと手伝ったり、ご飯の支度の時に、そばに行ってみてはどうでしょうか。農業や農家のこと、これまでもこれからもいのちをいただいているのだ、いくのだということを、こころのどっかや、頭の片隅にでも置いていれば、そうしたことに何の関心も払わずに生きていくのに比べれば、少しは心豊かな生き方につながっていくのではないかと思います。何かについて知るということは、きっとそういうことなんだと思います。

 今日の話の内容はともかく、最後にみなさんに、このあともげんきでね。つらいことやなきたいことがあっても、どうにかこうにか過ごしていける力が誰にでもあることをずっと忘れないでね。と声をかけさせてもらいたいと思います。どうにかこうにかというのは、誰かに助けを求めることも含んでいます。おかしなものでそうした言葉を誰かにかけることができた時、自分の方が元気になったり、ふとしあわせを感じたりするんですよね。不思議ですがそうなんです。このことがわかった時も、ちょっと大人になったと言えるかもしれません。三十年くらい農業をしてきた私が、目の前にいるみなさんに言えることは、言葉にすれば、そんな簡単なことです。みなさんが似たような思いをいつか抱いてくれたとしたらこころよりさいわいです。

 最後になりましたがみなさんの前で話させてもらう機会をくださった先生方にこころからお礼を述べたいと思います。それと同時に、この時間を共有してくれたみなさんにも、こころから感謝です。この後も、みなさんと深くつながっている、地元のお米や野菜をたくさん食べてください。つながっているお互いのことも、行動には出せなくても、どうぞ大事に思ってください。それがいつもできなくてもいいんです。ただそんな気持ちを心のどこかに持ってさえいれば、それだけで違うのだと思います。きょうは本当にありがとうございました。

2008年12月9日

食育の話 その5
 ばらばらに育つ作物の姿は、見ていて楽しいものです。そこに良いとか悪いとかいうことはなんにもありません。その生育する姿にずっと付き合っていく立場からすると、外観の違いなんて大したことが無いし、みんないとおしく思えてくるものです。みなさんの年頃には、みんなと同じでなければという思いで、いろんなことに悩んだりすることもあるかと思いますが、違っているのが当たり前、自分は自分なんだと思うと、ずいぶん気が楽になるかと思います。そのことに早く気づけば気づくほど、早く楽になります。経験者は語る、でした。

 この世の中にあるいろんなものには、目には見えませんが、実に多くの人間の労働が関わっています。いま身に着けている衣類、座っているイス、多くの時間を過ごす学校という建物、自転車、ありとあらゆるものが、多くの人たちの労働を経て、みなさんの手に届いているのです。それらの原料が地球上のどんなところでどんなふうに生産されたかというところまで考えたら、その事実は驚くようなことも多いことでしょう。食べ物もきっとそうですね。それが形となるまでは、自然の働きはもちろんのこととして、本当に多くの人間の労働がそこに関わっています。その中身を細かく説明する時間はもう無いかと思いますが、食べ物とそれ以外のものとで大きく違うところは、そこに作物そのもののいのちが宿っているということでしょう。

 自然界の生き物は、休むことなく他のいのちを奪うことによってのみ、自分のいのちを維持しています。そしてそのいのちは同時に、自分より強いものにいつ襲われるかしれないいのちでもあります。ただ人間だけが、そうした恐れを抱くことなく、他のいのちたちをひたすら奪い続けるのです。このことをどう考えたらいいのでしょう。その答えは人それぞれです。そしてその一人ひとりについて、今日の答えと明日の答えは違うかもしれませんし、違ってくれたらと思います。いつからか、私はこんなふうに考えています。たくさんいのちを奪わずにはいられない自分だから「いただきます」と言い、「ごちそうさま」と言うのだと。
 作物はそれ自体をそのまま食べることはなかなかありません。誰かが調理してくれます。もちろん自分で作ることもあります。その時に、おいしく食べてもらいたいな、元気になってくれたら良いなという思いが隠し味になっていることを、みなさんは考えたことがありますか。それはお母さんやおばあちゃん、場合によってはお父さんやおじいちゃん、そしてみなさんの給食を作る仕事に携わっている人たちに共通した思いではないかと思います。「自分は多くのいのちと、料理を作ってくれた誰かの思いをいただいているのだ」ということに、みなさん一人ひとりがいつかきっと気づく日が来ると思います。
 
 大人になるっていうのは、いろんなことがありますが、こんなことに気づくことができた時も、「少しは大人になったかな」と思える時ではないでしょうか。いただきますの意味を、私が思っているように思わなければならないと言っているわけではありませんよ。そんなふうに思える日が、みなさんにもいつか来てくれたらと、心から願っています。そしてできるなら、そんなふうに思えるような場面が何度でもあってほしいとも思います。

2008年12月5日

食育の話 その4です
 お米の種がまかれてから収穫されるまで、約五ヵ月かかります。その期間中、いろんなことがあります。晴れの日もあれば雨の日もあります。きれいな月の出ている夜もあれば、強い雨風が一晩中続くこともあるのです。あるいは思いがけないほどの寒さにあう夜もあったりします。そんな一日一日の積み重ねを経て、稲は育っていきます。田んぼに存在するのは稲ばかりではありません。虫をはじめとしていろんな生き物や稲以外の草など、多くのいのちがそこに息づいています。
 そしてそんな自然の流れとともに、農家の人たちの稲に対する働きかけがあります。肥料をまいたり、農薬を散布したり、田んぼに水を入れたりあぜの草を刈ったり、ありとあらゆる働きかけがあります。そんな過去があって、ようやくお米が収穫できました。それが現在ということになります。
 外見上のささいな違いに気づくほどの緻密な能力を私たちは持ってはいませんが、育ってきた間のいろんな過去が、できあがったお米に反映されていることは確かです。
 それならば未来が含まれているということはどういう意味なんでしょうか。実はみなさんが食べるお米は、それはそのまま、種でもあります。もちろん、種として利用する場合は籾殻がついたままなので、精米されて白くなったお米が、そのまま種として使えるわけではないのですが、玄米のままだと芽は出ます。
 とうもろこし、大豆、好きな人も多いと思いますが、枝豆も、食べているのは種なのです。ほかのどんな作物もそうです。ずっと畑においておけば、やがては花が咲き、種ができます。トマトやなす、きゅうりなどは最初から種が入っているし、大根、キャベツ、レタス、にんじん、ごぼうなどは花が咲きます。その種は、未来のものですよね。少なくとも、未来に生きるはずのものです。それを現在食べているのです。
 過去現在未来にわたるいのちを食べているのだということを、これも神経質に考える必要はありませんが、こころのどこかで忘れずにいてくれたらと思います。鶏や豚、牛などの家畜はもちろん、魚についても同じことが言えると思います。

 野菜の種をまくと、全部同じように育つということはなかなか無いですね。それをできるだけ同じようにするのが、プロの農家の技とも言えますが、それはさておき、違うことがしばしばです。
 でも確かなことは、外見の違いはどうであれ、その一つひとつは、その一つひとつなりに一生懸命生きているってことなんだと思います。作物は自分では動くことができないんですよね。植えられた場所がたまたま湿り気の多い、作物のとってはいやだった場所かもしれない。あるいは農家の人が間違えて肥料をいっぱいに撒きすぎて、作物の根に悪影響の出る場所だったかもしれない。たとえそうであったとしても、作物はその場所で精いっぱい生きるしかないんです。そして生きているんです。
 その点人間は自分の意思で動くことができます。精いっぱいやってみて、どうしても大変だと思ったら、自分の意思で動くことができます。みなさんはまだ中三です。いや、もう中三と言った方が良いでしょうか。時と場合によりますね。いまは動ことができなくても、自分の中にはいつでも、自分の意思で動く力があるのだということを、どうぞ忘れないでください。 なんか、話がずれてきたみたいですね。でも、作物を見ていると、いろんなことが心の中に浮かんでくるんです。とても単純だけど、大事に思えるようなことがです。でも、それがみなさんに共感してもらえるかどうかということまではわかりません。
 

2008年12月4日

食育の話 その3です
 せっかくの機会なんですから、大変な話はこのひとつだけにして、あとは別の話をしようと思います。
みなさんはいま一人ひとりがばらばらの存在です。でも**中学校の三年生というまとまりで考えると、ひとつとなります。ばらばらだけどひとつ、ひとつだけどばらばらですなんですよね。

 みなさんの周りを見渡してください。ちょっと想像してもらえるでしょうか。あなた自身を取り巻いている空気、それが動いた風、あなたが普段は何とも思っていないけども、無くてはならない水。いや、無くてはならないものの第一は空気ですね。そうしたものが、みなつながっているということに思いを馳せてもらいたいのです。
 つい何年か前までは、秋になればあちこちで籾殻が焼かれ、それは独特のにおいとともに、秋の風物詩とも言えるものでした。でも、この煙の中に含まれる成分に、ぜんそくというなかなかつらい病気に関係するものがあることがはっきりしたと、何年か前にニュースで報じられたのです。煙の真っ只中にいなくても、およそこの煙とは縁の無いような遠くはなれたところであってさえも、この煙の中の成分が原因となってぜんそくがひどくなることもしばしばだと言われています。苦しんでいる人たちにとっては、風物詩などとは言ってほしくないというのが本音なのかもしれません。
 みなさんが何歳の頃のことだったのか調べないで来てしまいましたが、ソ連のチェルノブイリの原発事故で、漏れた放射能が事故現場はもちろんのこと、ヨーロッパの多くの地域にまで及んだことは、当時大きな驚きと不安とともに報じられました。あるいは中国の大気汚染が原因となっての酸性雨や黄砂が、日本にまで飛んでくることなど、空気がつながっているということを実感させられます。
 水について言えば、水を汚している原因の多くを、私たちは工場排水ではないかと思ったりしています。ところが、そういう時代もあったのですが、いまそういうものの規制がとても厳しいものになって、むしろ、家庭から出される生活排水が、川などを汚す原因の多くの割合を占めるのだそうです。私も含め、皆さんの家庭から出された排水は農業用水路に流れる場合がしばしばです。それがいったん田んぼに入りそして川、海へと流れていきます。場合によっては、川が最初で、それから田んぼに入ってまた川へ、という順序になるかもしれません。そして、畑の場合は、野菜に用水路から汲んだ水をかけたりしますが、その水で育った野菜も、みなさんの身体に入ることになります。やっぱりつながっているんですよね。作物が育つ土壌、土というものも、これもつながっています。

 だからといって、私はみなさんに、神経質になることをすすめているわけではありません。たぶんそんなことは無いと思いますが、神経質になられても困ります。ただすべてはつながっているのだということを、何となく知っておいてもらえたらと思うのです。良いとか悪いとかではなく、すべてはつながっているし、循環しているということです。
 中国の大気汚染が発生する原因のひとつに、日本や多くの国が安い製品を中国に大量に求め続けていることがあると言ったら、それは屁理屈だと笑われてしまうかもしれませんが、全然関係が無いとは言い切れないと思います。どんなにささいなことであっても、あらゆることはつながっているのだと思います。

 ところで、みなさんが食べているお米や野菜、肉、魚などあらゆるものに、実は過去現在未来が含まれています。そんなことなど考えたことも無いでしょうけど、そうなんです。
 お米を例に話します。

2008年11月28日

食育の話 その2です
 ここは、平野部で、お米を作るには大変に条件の良いところです。取れたお米もおいしいものが多いと言われています。もちろん、細かく見ていくと、地域によっては、作り易さの度合いにも、だいぶ違いがあります。田んぼは水が入るということで、もともとの地形が平らに近ければ近いほど、一枚の田んぼを大きな四角にできます。形が四角で、しかも大きいこと。これが田んぼの作業がやり易くなる重要な二つの点なんです。
 
 ところが、山に近ければ近いほど、あるいは、山の合い間にある田んぼほど、形は不規則で、しかも一枚の大きさは、小さくてばらばらだったりします。こうなると、合計した田んぼの面積が同じだという農家であっても、何倍も、場合によっては十倍というのが決して大げさでないほどの手間がかかります。平野部の条件の良いところでさえ、もうやってられないという声が多数の時に、こうしたハンディを背負った場所でのお米作りがどれだけ大変なのかは、想像して余りあります。いや、私の乏しい想像力の範疇など超えていることと思います。しかも、そうしたハンディのある場所でとれるお米の合計が、日本の全生産量に占める割合は、とても大きなものなんです。そこでのお米作りの大部分は、あと何年続けられるかわからないという高齢者の人たちによって行われている場合が少なくありません。そんな損なことを、いまさら誰がやるというのでしょう。やる人がどんどん減っているのがいまの状況で、この先急激に減っていく…。そんな未来ががすぐ目の前にまで来ています。本当に大変なことだと思います。

 もちろん、食べ物が無くなる、ということは無いでしょう。農家の人はとりあえず自分の家で作っていればどうにかなるかもしれませんし、最悪の事態が来る前に、農家でない人たちは「何とかしろ、何とかしろ」と大騒ぎするからです。実際、安い食料を外国からどんどん買ってきさえすれば良いのだ、という意見を言う人もたくさんいます。そのことがその国で、その国というのは、相手の国ということですが、農業をする人たちにどんな影響をもたらしているかについて、何にも考えていない気がします。良い悪いではなく、残念に思える意見のひとつです。
 お米作りをはじめとする農業の現状の大変さと将来のあやうさを、まず話してみました。このことは、みなさんにぜひ知っておいてもらいたいことのひとつです。

2008年11月27日

地元中学校で食育の話を… その1
 地元中学校で、3年生の人たちに食育をテーマにお米作りや農業の話をさせてもらうご縁をいただきました。
            
 みなさん、こんにちは。初めまして。いま紹介していただきました、中田宏明といいます。年は49才、農業の仕事をするようになってから30年くらいになります。多くの人の前で話をするという経験が、実は殆どと言ってよいほどありません。正直なところ、とてもドキドキしています。言葉がはっきりしない箇所もたくさんかと思いますが、これからの時間、どうぞよろしく願いします。

 みなさんの中で、家が農家だという人も多いことでしょう。大部分の人がそうでしょうか。そして栽培の中心はお米作りだと思うのですがどうですか。中には、野菜をたくさん栽培していますよ、という人もいるかもしれません。野菜や果樹をたくさん栽培している農家の実情について、残念ながら私は多くを知りません。いや、正直なところ、お米を作っている農家のそれぞれの状況についても、ここでみなさんに話をできるほどには詳しくつかんではいません。でも、これから話す内容は、大体において大きな間違いは無いと思っています。そんな話をしようと思います。
 
 お米を作っている農家のみなさんの家では、家族の人たちは、お米作りについて、普段どんな話をしているでしょうか。良いことよりもむしろ、大変だという話の方が多いのではないでしょうか。みなさんの耳にはどんな内容の話が届いていますか。
 実は大変なんです。何が大変なのかというと、もうずいぶん前から、農家がお米を売る時の値段は、そのお米が生産されるためにかかった経費を、充分にまかないきれていません。その状態が何によってカバーされてきているかといえば、農家の人たちの働きに対しての対価、対する価値という意味の対価ですが、わかり易く言うと、時給が年々下げられていることによります。一言で言ってしまえば、お米を作るためのいろんな作業が、タダ働きに近い状態に限りなく近づいているということなんです。そのことがとても大きな問題になっています。だって、いっぱい難儀して、それがほとんど見返りの無いものだとしたら、この後、いったい誰がそんなことをやるというのでしょう。

 農業をすることが楽しいという農家の人はたくさんいます。厳密に言うと、農業というよりは農作業をするのが楽しいのではないかと思います。会社勤めで神経をすり減らして、時にはぼろぼろになったりすることもあったりして、そんな人が休みの日に自然の恵みを身体いっぱいに感じながら農作業をするというのは、みんながそうだとは言えませんが、きっと楽しく感じることも多いだろうなって思います。そうした、単純にお金には代えられない喜びの部分を差し引いたとしても、いまのお米をはじめとする農産物の値段は、そこに農家の人たちの働きに対する正当な評価がされているとは到底思えないものになってしまっているのです。これは本当に残念で悔しく感じられることです。それどころか、単に残念だとか悔しいとか言うだけではすまない問題につながっているのです。

2008年11月15日

条件反射?
 今日から明日にかけて、めずらしいことに2人となる当園。
 作業を終えていましがた家に入ったら、大きなおにぎりが5個ありました。朝炊いたご飯をすべておにぎりにしたようです。はたしてどういう割合なのか?
 おにぎりを目にするたび、いつも「ケメコの唄」を思い出します。

 おにぎりにして冷凍すると、日曜の朝も手軽にご飯が食べられますね。

2008年11月10日

11月の便りですよー (続き)
 ところで、豊作なのに、農協や業者に売り渡す時の今年の値段は、昨年より幾分高くなったんです。そこに、農家個々では抗し切れない大きな思惑なり力が働いているのですが、それは同時に、簡単に値下げを行う思惑と力でもあります。もちろん、値上がりしたことは単純にうれしいことなんですけど。同じくらいの収穫量なのに、その年によって数10万の違い(これまではほとんど値下がりです)が生じるというのは、「経営者感覚を持って」とか「コストダウンを第一に」などと、愛も変わらずおっしゃる方々の認識が、この国の農業の現状と大きくかけ離れていることの良い一例と言えるかもしれません。でも、きびしさも愛のつもりなのかな?

 10月は好天が続きました。3週間ぐらいはあまり雨が降らず、「これが降り出したら、もう簡単には止まらなくなるんじゃないか」と挨拶代わりに言われていたほどでした。そして、やはりその通りとなり、4週目に入ってからは、秋晴れの日は、ぐんと少なくなったのです。
 この時期になると、テレビなどで、いろんなところの「秋祭り」の様子が映ったりします。こちらでは、五穀豊穣に感謝してというような意味での秋祭りがあるという話をあまり聞きません。当地でも無く、地元の神社の祭典は6月の第2週頃に執り行われています。機械の無かった昔は、今以上に遅い時期まで、収穫とその後の出荷作業に精を出さなければならなかったでしょうから、秋の深まりとともに好天の日が無くなっていくここでは、数日にわたる秋祭りというようなものは無理だったのかもしれません。もちろんこれはあくまでも私の推測であって、本当のところはわかりません。秋の、もったいないくらいのやわらかな日差しの中で一日を過ごすのも心地良いものですが、時には日常を離れて、秋祭りのにぎやかな中に身を置いてみたい気もしますが…。

 初雪は11月中にあることもまれではありません。でもたいていは一回限りで、本格的な雪になるのは12月です。それまでの間は、時雨れる日が多く、雨が降らないにしても強い季節風が吹くことはしょっちゅうです。家の冬囲いは11月1日にやりました。すべての窓に、屋根からの落雪による破損を防ぐために覆いをして(暗くならないように、透明色のものを使います)、玄関には冬だけの風除室を設営しました。春になるとすぐにでも取り外してしまいたくなるこれらの設備が、この時期は、その反対に、とてもほっとした気分をもたらしてくれます。同じものなのに、取り巻く状況が変わるだけで、それに対する感情が正反対になるんですから、つくづく勝手なものです。今年はどんな冬になるんでしょうか?まずは家でまんまいっぺぇ食べて(これが大事かも)、元気で過ごされますように!

2008年11月10日

11月の便りですよー
 数日前の天気予報で、「場合によっては平地でも雪の可能性が」と言われていた11月8日、ずいぶん寒い一日でしたが、有難いことに、ここ仙南では降ることなく、その日が過ぎました。それでも、冬がそこまで来ているのが感じられる今日この頃です。凡夫の身体を包む衣服は、ずいぶんモコモコになってしまいました。「おらぁ、このトシなってもまだ熱くて、くりんと裸ッコになって寝てるんだ」なんていう、近所の70代の人の話を聞くと、思わずのけぞってしまいそうです。体質って、本当にひとそれぞれなんですねー。

 さて、今年のお米はいかがでしたでしょうか?「いつもと違いありませんでしたよ」ということであれば、とりあえずはほっとできるんですが、機会を見て正直な感想をお聞かせいただければ幸いに存じます。お米については、別紙である程度細かく書きましたので、時間が許しましたら、ぜひ目を通していただければと思っております。

 今年は一部の県を除いて、全国的に「豊作」だったそうです。秋田県も例外ではなく、近所から聞こえてくる声も、いやぁースゴイものでした。「11俵(660キロ)超えたぞ!あなたもそうだったでしょう?」という声が何人からか…。あなたもと言われても困るわけでして、「やったね、すごいしゃー。オレはダメダメ。オラの稲ッコ見たら、そんなに穫れるようには見えなかったべ」と笑顔で答えていました。いやいや、決して作り笑いなんかじゃありません。ひとさまの喜びは、聞いている自分にとっても、喜びです。なーんて意地の無いようなこと言ってるから、おぼっちゃまと評されるんでしょうか。ここに何か、凡婦が逃れられずに来ている、長い労苦の原因の一端が隠されているかに思えるふしも無いわけではないのですが(苦笑)。

 まぁ、それはともかくとして、当園でも当園なりに、いつもよりほんの少しは良かったんです。凡婦の長い労苦が報われるには程遠い数量でしたが、いろいろあっただけにありがたいことでした。でも、その喜びもつかの間のこと。この秋は中古のコンバインや長く使ってきた機械の傷みがひどく、その修理代に思わずどでんして(驚いて)しまったのでした。はい、増収分はほぼそちらに流れて行った訳でして、「水は低きに流るる」のに、「金は高きに流るる」気がしてならない今日この頃であります。あっ、農家は通常いろんなことを、一反歩(10a、300坪)当りという前提で話をするんでありまして、300坪で660キロ!正直なところ、あきたこまちという品種にしては穫れすぎと言われています。

2008年10月21日

こんなハンコが押されます
丸の中に点がひとつ
丸の中に点がひとつ
 一週間ほど前に等級検査を受けました。今年は青米と呼ばれる緑色の未熟米の混入割合が、例年に比べて多い感じだったので、ちょっと心配でした。受検した120袋(一袋は30キロ強)すべて、1等米のハンコを押してもらうことができて、ホッとしました。

2008年10月18日

秋の夕暮れ
軽トラックに載った籾袋
軽トラックに載った籾袋
 一昨日の夕暮れのひとこま。ビニールシートに広げて乾かしたもち米の籾を、再び袋に入れて作業場まで持ってきました。車から降りたら、もう赤トンボが5匹くっついていました。
 もち米は植えた面積が少ないので、機械で乾燥するには量が少なすぎて、どうしても天日乾燥となってしまいます。天日乾燥の方が機械乾燥に比べたらおいしいんだよと言う人もいます。でも、乾燥機もずいぶん進歩して、どういういふうに乾燥を進めていったら、おいしさを損なわずにできるかということをずっと追求しています。一方、自然乾燥の方は、乾燥中の好天と雨天の繰り返しにより、おいしさが流れ出してしまうとも言われています。

 どちらにもそれぞれの特徴があります。良し悪しはありません。生産者として、いまどちらを選ぶのか、消費者としてどちらを選ぶのか、それぞれの組み合わせがあるわけで、どういう組み合わせになろうとも、それがその人にとっては最善ということになることでしょう。

 4匹は簡単に見つかりますが、5匹目はなかなか見つかりにくい場所にいます。赤トンボ…、人を怖がらないんですよ。田んぼでヤゴから羽化した瞬間、最初の目にするのがお百姓だからでしょうか(笑)?

2008年10月16日

お米の便り(続き)
 失敗ついでに、昨年今頃の失敗というか、「高かった授業料の話」を書きます。他人の失敗は蜜の味、なんて言葉もあるくらいですから(笑)。あっ、失敗じゃなくて不幸でしたっけ?
 九州のある広告代理店から電話がありました。内容は、某スポーツ紙九州版のグルメ企画で秋の味覚を紹介するので、御社の広告を載せませんか、というものでした。インターネットで当園の(良い加減な)ホームページを見て、電話してきたようでした。この手の広告は見込みなしと思い、かかった費用を回収できるとも思われなかったので、一度は断ったのでした。でも、「御社のお米の値段は、決して高くはないですよー。九州ではそれ以上の価格帯のものが多いんです。それに味もごくふつうですし。新聞の発行部数は**!部」の甘言に…。

 いつもであれば石橋を叩いた後は間違いなく引き返す凡夫ですが、その時は叩いている内についつい歩を進めてしまったのです。数年前からこの時期には九州の新聞(広告代理店)から案内が来ていたことなどが、頭の中でグルグル回り始めてしまったからでした。それで結果はと言うと、これが散々でした。散々と書くとまるで何かがあったみたいですが、現実にはほとんど何も起こらず、あはは、一発勝負は胴元の総取りとなったのでした。

 50目前の男性の言う「高い」授業料ってどれくらいだと思います?前号でもついつい大げさだった文面は今回も健在で、実額を書いたらおそらく笑われてしまうでしょう。新米のお届けはいつも緊張しますが、オリコメをつまみに笑って食べていただければ何よりです。はい、この10月もどうぞお元気で!

2008年10月16日

お米の便りは10月号となりました
 ぼやぼやしているうちに、新米とともに10月号のお届けの時期となってしまいました。9月号では、「(新米について)後日あらためてご案内させていただきたいと思っていますので、ご検討のほどよろしくお願いします」と書いたのでしたが、ご検討も何も、その材料(栽培管理等)さえお知らせせぬまま、まずはお米を届けさせていただいております。長いお付き合いをいただいているみなさまには充分にお分かりのことと思いますが、過去、現在と、自分には甘い凡夫であります(未来はもっと甘い?)。いいかげんなものを作成するための時間稼ぎのためではありませんが、次回のお届けまでお待ちいただけますよう、お願いいたします。

 今年の稲刈り作業は、雨の日がちょこちょこあったこともあり、10月2日までかかりました。雨が降らないと、毎日稲刈りができて、本来であれば好ましいことなのですが、籾すり作業も並行して休みなく行なう必要に迫られるため、実際にはかなりキツイんです。その点、今年は、雨のおかげで作業の進行にも若干の余裕が生まれ、本当に幸運だったと思います。   
 オリコメを書いている今は8日夜。田んぼに稲はありませんが、この時点でまだ屋内に貯留している籾は、稲刈り3日間分の量。籾すり作業に要する時間は、機械が順調だと12時間程です。他の作業もしながら2、3日でやり終えたいと思っていますが、その前に、すでに満杯となっている籾殻の廃棄場所から、籾殻をどこかに移動しなければなりません。等級検査の受検やコンバインの掃除などなど、いつものことながら、当園の農繁期はまだ少し続きます。

 ところで、この3日間分の籾が玄米になり袋詰めされると、200を少し超える数になるのではないかと見込んでいます。一袋30キロです。これを運んで高く積み上げていくのですから、「いったいいつになったら痩せるのかしら?」という、凡婦の口から発せられるギモンももっともなことなのであります。
 実はこの秋、凡婦が持ち上げた数はすでに400以上。でも凡夫の長年の体験からして、そうしたことはついぞかなえられたためしが無いのでありまして、それどころか、過大な負担を掛けている面目無さで、こちらの方が冷や汗三斗。まさに身の細る思いなのであります。一時は直射日光から身を隠していたこともあって、ずいぶんと色白になったのでしたが、はい、頭部は一気に寂しくなりました。せめて五十の声を聞くまではと思っているのですが、「髪が細部に宿る」との名言は、私の聞き間違いだったのか…。
 そんな和賀屋の事情はともかく、北国秋田では、秋の気配も色濃くなってきた昨今です。

 今年のお米作りは最初から思いがけない出来事の連続でしたが、こうして収穫の秋を迎えることが出来たのは、本当にありがたいことです。四方八方、あらゆる方向に手を合わせたい思いですが、引き続きお付き合いを続けていただけるみなさまにも、その思いを強く感じております。あらためて、こころよりお礼申し上げます。
 でも、いろんな理由で、もういいかなと思われた際には、どうぞ遠慮なくおっしゃってください。「あんまり少しだから申し訳なくて…」なんていうのは、「こちらではなんぼ少しでも大丈夫ですから」なんて返答してしまいますので、「知り合い(か同級生)から、お米を買ってほしいと頼まれて断れなくて」とか「子どもの結婚相手が農家の人で、そっちからいっぱい送られてくるようになってしまったの」というような理由を言っていただければ、話は簡単かと思います。

2008年10月7日

秋田県南部からあきたこまちの販売開始です!
 当園の田んぼよりとれた20年産米を、いまみなさまのお手元に届けることができますことに、こころから感謝申し上げます。
 4月初めから本格化したお米作りは、10月始め迄の稲刈りをもって一段落となり、同時進行した機械乾燥や籾すり作業の後に玄米となって、無事袋詰めされました。
 
 大地は今年もたくさんの恵みをもたらしてくれました。多くの人の生きるちからとなるたべものをいっぱいに育ててくれたにもかかわらず、そんな大それたことをしたというふうでもなく、そこに在ります。天のはたらきも、数えあげればきりがないほどたくさんの
ものでした。私どもはただただ、食べてくださる方々の食卓がより和やかなものとなるために、このお米が役にたてますようにと願うばかりでした。

 このお米は、できるだけよろこんで食べていただけるようにと、肥料に工夫をこらす一方、薬剤の使用を少しでも減らしたいという思いで育てられました。そのため、黒い線や斑点が付いているものが若干入っていますが、食べても一向に差し支えないものですので、ご寛容のほどお願いいたします。
 ご案内のお米につきまして、お気付きの点やご質問などございましたら、遠慮なくお知らせいただければさいわいに存じます。20年産米もどうぞよろしくお願いいたします。

2008年10月4日

つい、「文型?」

 乾燥機での乾燥が終了すると、その籾を少し取り出して、写真のような水分計で水分を計ります。乾燥機には水分計が付いていて、希望する水分にセットしておくと、その数字になった時に、自動的に止まります。ですが、必ずと言って良いほど誤差があるので、確認するのです。
 手前にある試料皿の銀色の部分に玄米を入れて、上の水分計に差し込み、ハンドルをひねると、あら、水分が…。

 以前は15〜16%が「適正水分」と言われ、出荷する時はこの範囲内でなければなりませんでした。いまでは14〜15%くらいを求められます。お米の保管が長期にわたった場合に、カビなど生えないようにということらしいです。まったく同じお米を乾燥させた場合、実は15〜16%の方がおいしいんですよ。

 この水分計で、5、6回計って平均を出します。バラツキがあって、とまどうこともしばしば。最後の最後まで気が抜けません(苦笑)。

2008年9月29日

稲作農家の秋
 稲刈りが最盛期の、ここ秋田県南部です。コンバインと呼ばれる大型機械が田んぼの中を動いている光景が、そこかしこで見られます。大きな農家が作業を請け負ってやる場合もありますが、個別に所有している農家の割合もまだずいぶんあるので、本当ににぎやかな光景となっています。

 コンバインで刈取られた籾は、乾燥機に入れられて、適正な水分まで乾燥されます。この機械にいっぱいになるまで刈取るので、乾燥作業(人ではなく機械自体がやります)は、夕方から始まり翌朝までかかります。場合によっては、午前中に食い込むこともあります。灯油を燃料としたバーナーで乾燥させるので、結構音はうるさいです。農家の人は慣れているのですが、そうした音とは無縁で育ってきて、田園地帯に家を買ったような人には、正直言って迷惑な音に聞こえるかもしれません。
 乾燥が終了した籾は、籾すり機という機械で籾殻が剥かれ、玄米の状態になります。たいていの農家は、この状態で袋詰めをして出荷します。

 朝あるいは午前中に、籾すり機に籾を移して空になった乾燥機には、その日刈取った籾が入れられます。天気が続けば休む間もなくこれが繰り返されます。この作業の合間に、剥かれた大量の籾殻を処分する作業やなんやかんやがあって、秋はやっぱり忙しいですね。
 田植えは雨が降ってもできるけど、稲刈りだけは雨が降るとできません。勤めながら田んぼをやっている人たちにとっては、せっかく休みをとっても雨が降ったら泣くに泣けないような感じだと思います。もちろん、いろんな事情で田んぼだけをやっている人にとっても(それは、ある程度の規模を耕作しているという前提があることが多いですから)、雨が近いと大変です。

 秋の農繁期と言っても、昔に比べれば機械の進歩でずいぶん楽になりました。でも、それを支えているのは、機械に対する多額すぎるほどの費用なんです。他のほとんどの農畜産物同様、お米も、作るより「買ったほうがいちばん安い」と思われて久しくなります。農家自身がそう思ってしまうのですから、本当に残念なことだと思います。

 お風呂に入る前にもう一度、作業場に乾燥機の作動状況を確認に行ってきます。外に出た時に月夜だと、なんとなくうれしくなるから不思議です。でも、この頃は月の入りが早いのか、 見えないんですけどね。

2008年7月9日

きっとせんだってのトンボ…
 昨晩遅く、居間にいたら、どこからともなくトンボがすーっと飛んできました。凡婦の腕の辺りにとまり、じっとしていましたが、その後飛び立ち、少し離れた場所に、こちらに顔を向けた形で降りました。それから今度は凡夫の腕にとまりました。

 日中家の中に入り込んでしまったのが、ふと灯りに誘われて飛んできたのでしょう。そうとはわかっていても、「誰かから言付けを頼まれてきたの?」と話しかけてしまった凡婦と凡夫。それぞれの頭の中には、あはは、白馬に乗った王子様や竜宮城のお姫様が描かれていたのかもしれません。…うふふ、エッ?

 7月は、10数年前、当園にとって大きな出来事のあった月。その日を目前にしての珍事でした。

2008年7月3日

一度ならず二度までも…
 きのうは「溝切り」という作業でした。専用の機械を使って、田んぼの中に何本もの溝を作っていく作業です。数日前に、田んぼから排水路に水を落とし、そうして、土が少しだけ固まるようにしてから、この作業を行います。

 田んぼの中に足を踏み入れるのは久しぶりです。あぜから見ていただけでは分からないような状況も目に入ってきます。思わずドッキリ…。

 水がほとんど無い状態だったので、まだ蛙になりきらないおたまじゃくしたちが、瀕死の状態でした。死んでしまったものもたくさんいました。もう数日したら、蛙になって、水が無くともどうにか過ごしていけたはずです。でもこの時期、稲のためにも、いったん水を排出する必要があるのです。
 赤トンボの羽化も始まり出していました。こちらも、田んぼの中のヤゴたちが、稲によじ登って赤トンボ(今はまだ赤くはありません)になります。透き通った、わずかに赤銅色の新しい羽が、お日さまの光をあびてキラキラ光ります。せっかく羽化して、あとは飛び立てるようになるまでのわずかな時間に、そのすぐ傍を機械が通り過ぎて、土の上に落としてしまうときもあります。やっとここまできたのに…。自然を相手に、お百姓もつくづく罪深い仕事です。

 さて、この作業は、泥田の中を機械とともに延々と歩くので、なかなかキビシイものがあります。はい、瞬間ダイエットで3キロ近くやせました。いっぱいの汗が搾り出されるためかもしれません。そしてお楽しみの晩ごはん(笑)…。頼りなくなったお腹のあたりの喪失感を埋めようと、いつもと違った精神状態(大げさ!)です。はい、何のことは無い、500mlのビールで、その喪失感の一部を埋めました。差し引きマイナス1キロのダイエット。でもきっと2、3日で元通り。夏の夜のはかない夢物語のようなものです。
 数日後、溝の形を確実にするため、同じ作業をもう一度繰り返します(汗)。

2008年1月29日

静かな夜
 冬は白一色の単調な景色といった感じがありますが、実際には雪の無い期間以上にさまざまな光景を目にする気がします。降る雪にもいろんな形や大きさがあり、その時の気温や風の状態によって同じような雪でもまったく違った印象を与えてくれます。
 雪の降らない朝の景色も、その色は多彩です。もちろん緑豊かな時期にかなうべくもありませんが、灰色、青色と一言では言い表せないような微妙な違いが、毎日のようにあります。

 きょうは落ち着いた空となりました。いくぶん日差しがあり、雪は落ちて来ず、風もありませんでした。夜になっても外は静かなままです。静かな夜に雪がしんしんと降っていることはよくありますが、きょうはそんな夜とは違っています。日中わずかに気温が上がった分、さっきまで屋根からは雪が融けてしずくの落ちる音がしていました。少しずつ夜が深まり気温が下がっていくにつれて、しずくの落ちる音の間隔が長くなり、いまはもう聞こえなくなりました。

 静かな夜です。人は別としても、あらゆるいのちが、雪の下でただじっと春を待っている…。そんな気配を感じるのは勝手な思い込みかもしれません。雪が間断無く降って、一日のうちに何度も雪寄せをしなければならなかった日は、つい数日前のことでした。もちろん、そんなにも多くの雪が降る日は、一年の内に何度もあるものではありませんが、冬が終わってみなければ何とも言えないというのも、真実なのです。
 その、ぐっと気温の下がった寒い日、休み無く降り続く雪の中で、いのちたちの息遣いを感じることはできませんでした。雪のちからがそれらをはるかに圧倒していたということもあるでしょうし、私自身にそうした余裕が無かったことも一因でしょう。
 でも今夜は、そんないのちたちの息をひそめている気配が感じられてならないのです。それはただ、ひと休みした降雪の状況に、ほっと一息ついた自分自身を投影しているだけなのかもしれません。

 止まない雪にため息をつく時期もあと少し。2月の中旬ともなると、厳しい雪の日があっても単発的となり、お日さまの光も日を追うごとに強くなってきます。きょうのような静かな夜も多くなってきて、本当にゆったりした気分になるのです。

 当園のお米はと言うと、スヤスヤ眠っているような気がしてなりません。

2007年11月19日

えっぺのゆぎッコさどでんしました

 今朝起きたら、一面の銀世界でした。初雪がこの時期になることはしばしばですが、朝うっすらと白くなっているといった程度が通常です。
 今年(今日)は違っていました。朝になってから本降りとなったのです。みるみるうちに長靴がくぐるくらいとなってしまいました。

 朝暗いうちから除雪車が道路の除雪をします。通学通勤時間に子どもたちや車が支障なく通行できるようにです。ところが今日は、除雪車がほぼ除雪し終わるような頃から雪がひどくなってきたので、大変な状況となりました。あっという間に30cmくらいの積雪となり、今日一日はあちこちでいろんなハプニングが起こったことと思われます。

 湿り気の多い雪でした。子どもが小さかったらきっと雪だるまでも作って楽しんだだろうな、なんて思っていたら、携帯で撮った写真を見せられました。家族(の一人)が作ったものです。夕方にはすっかり形が崩れてしまっていました。

 題は、いっぱいの雪にびっくりしましたというような意味です。
 これから降るたくさんの雪が、この地のすべての田んぼの土を肥えたものにしてくれるのです。

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