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農場だより(ボンブ(ウ)ガルテン)

ボンブ(ウ)ガルテン
ボンブ(ウ)ガルテン

45分前にオンライン

代 表 者 : 中田宏明 
所 在 地 : 秋田県
生 産 歴 : 45年
モットー : 『なんもだ。さっとずづ やっていご(大丈夫、少しずつ進んでいこう)』
  • 2019年産米放射性物質検査 2019年産米放射性物質検査
  • 29年産米の食味値は82点で 29年産米の食味値は82点で
 
 秋田県の内陸南部は雪の多いところです。ここに住む多くの人たちが思わずため息してしまうほどのたくさんの雪が、実はおいしいお米の源なのです。
 まかれた種が、お日さまはもちろん、お月様や星のまたたき、かぜ、田んぼに入る水、ちいさな生きもの達、その他いろんないのちといっしょの時を過ごし、おいしいお米となります。私たちのできることは、ほんのお手伝い。
 食べてくださる方々の食卓がなごやかになりますようにと願いながら、みなさまのところへお届けします。

 ボンブ(ウ)ガルテンのボンブは凡夫。ガルテンはドイツ語で庭とか園の意です。平凡な人の園というわけで、現在4人の家族です。

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2006年3月28日

雪が融けて
 ここ数日気温が上がり、どんどん雪の消えていくのがわかるような日が続いています。田んぼの雪もあと少しとなりました。田んぼの雪が消える最後の時は、たくさんの雪融け水が田んぼを満たします。お日さまの光と、もとはそれ自身だった雪融け水が、上と下から雪を融かし、たっぷりの水となってしまうのです。
 雪にたくさんの水が浸み込むと、遠くからは灰色というか銀色に見えたりします。
 この時期、白鳥の北帰行が始まっているのですが、長い道中、白鳥たちもところどころで羽根を休めることになります。その場所のひとつとして田んぼが選ばれる場合もあります。いっぱいにある田んぼの中から、白鳥たちは何を基準に降り立つ場所を決めるのか、私にはわかりません。でも、雪融けの最後の瞬間である銀色の光景や、あるいはすっかり融けて満々と水を湛えた田んぼの様子が、白鳥たちにはどんなふうに見えるのだろう。そんなことをふと思ったりするのです。

 春はとっても眠くて、朝すでに明るくなっている時に、夢うつつの状態のところへ飛び込んでくる白鳥たちの鳴き声。
 これから約一ヵ月後には、稲の種まきも済み、土の中からたくさんの芽が出て育っているのです。毎年のことなのに、このことが何故だかとても不思議に思えます。白一面だった世界が、一夜にして土色となり、まるで何事も無かったかのように時が過ぎていくからでしょうか。ここ秋田県内陸南部では、そんな一ヶ月間が間もなく始まろうとしています。

2006年3月25日

種と土を思いでつなげる
 この場所に訪れてくださった方にありがとう、です。
 きょうは気持ちの良い青空がひろがっています。いくぶん冷え込んだためか、堅雪になっていました。幸い、風もほとんどありません。前々から計画していた米ヌカ散布を行いました。

 規模の大きい農家であれば、トラクターに散布機を装着して、やろうと思えばあっという間に終わらせてしまいます。散布機が無い我が家では、もちろん人力。風の無いことが必須です。そしてなぜ堅雪の日を待っていたかと言えば、米ヌカの入ったたくさんの袋を田んぼの中に運んでいくために、大きめのそり(スノーボート)を使う必要があったからです。そりをらくに引っ張るためには、雪が堅くて、そりや自分が沈まないことが大事なのでした。

 まったく無いかに思えた風も、米ヌカを散布してみれば、わずかにその存在を感じさせてくれます。それは当たり前のことで、その当たり前のことを私たちは忘れてしまうようになってしまいました。

 雪の上に散布された米ヌカ…。練乳のかかった、かき氷のような感じです。
「この米ヌカが、土やそこに暮らす生きものにとって、迷惑ではありませんように。おいしいお米のために役立ちますように」
 そんなふうに願ったことでした。

2006年3月22日

心臓のくすり
 真面目な内容を期待していた方には、少しがっかりの中身かもしれません…。

 何人かが集まっている中で、ひとつの菓子器に入ったお菓子を思い思いにつまんで食べています。それがあと残りわずかとなると、伸びる手の数が少なくなり、最後のひとつになった段階でピタリと止まってしまいます。最後の一個を食べるというのはちょっと勇気が要りますね。あっ、「勇気」というのは大げさすぎます。それに、食べることそのものはそう大したことではありません。厳密に言うなら、最後の一個に手を伸ばすことがたいていの人にとってはためらわれることのようです。

 この雰囲気というか感情は、ごく一部の人たちだけのものでしょうか。「最後の一個がいつまでも残る(残す)のは**県人の悪いクセ」というのを聞いたことがありますが、どうなんでしょう。 

 こんな時、気の利いた言葉というか言い回しがあるのを耳にしました。「最後の一個は心臓のくすり」だというんです。
 なかなか誰の手も出なくて、いつまでも残っている一個を食べる時、
「最後のひとつって心臓のくすりなんだって」と言って口にするとか。初めてこの言葉を聞いた人は、一瞬何のことかとキョトンとするようですが、ちょっとの間のあと意味が分かって、思わず納得してしまうのだそうです。気の利いた言葉って良いですね。

 ところで、心臓が悪いと言ってもその原因はいろいろあることでしょう。普段病気とは無縁で元気そのものといった人が、突然倒れたりもします。そのような人の多くが、程度の差こそあれ、立ち姿では左肩が下がり、首は右側に傾いている場合が多いとのこと。日常のそうした癖を直すことも、「心臓のくすり」になるのかもしれません。

 4月の声を聞くと、間もなく始まる稲の苗作り…。失敗が許されないだけに、緊張もひとしおです。心臓のくすりが欲しくなる時期になります(苦笑)。

2006年3月19日

お米の種
 注文していた種が届きました。お米の種です。
 前にも書いたのですが、種は実ったたくさんの穂から採れるので、それをちゃんと採りさえすれば、あえて他から買う必要はありません。そして多くの農家はずっとそうしてきました。

 種を買うようになっってきたのにはいろんな事情があります。お米が「余る」ようになって、産地間の競争が激しくなってきました。
「きちんとした管理の下で育てられた稲から採れた種を使っています」
 こうしたことも、産地としては大事なアピールポイントのひとつとなったのです。それも、栽培面積の一部ではなく全部。そして毎年更新、です。
 採ろうと思えば採れるものを、毎年必要量のすべてを購入した種でまかなう。もちろん、種として販売される品なのですから、それ相応の慎重な管理の下で生産されたものです。

 全国の農家すべてがこうしているわけではありません。ただ、こういう現状があちこちにあり、その流れは加速していると思われます。

 お米が「余る」と言われて久しいのですが、農家からすれば素直に頷けない思いもありますね。

2006年3月16日

彼岸も間近となりました
 中学校の卒業に続き、高校の合格発表。小学校の卒業。相前後して大学入試の合格発表…。その一つひとつが終わるたびに、街は人出が多くなり、賑わいを増してきているようです。

 季節の変化に合わせて、お菓子の種類もきっと変わってきていることでしょう。花はまだだけど、「花見だんご」が恋しい時期となりました。
 「花見だんご」と言えば、こちらでは形がペタッとしたものです。それが一串に3、4個付いていて、こしあんの固まったものがそれらを被っています。球体状のものを見たのはずいぶん大きくなってからのことでした。いまでも、食べ慣れたペタッとした形の方に手が伸びます。もちッコも何となく、しとっとしているんですよ。おいしです。

「だんごなめなごんだ(だんご舐め和んだ)」
 初めて回文ができました。

2006年3月12日

冬から春 ふろむ雪国
 ここ何日か暖かい日が続き、季節は間違いなく春に向かっています。屋根から降ろした分も加わり、ずいぶんうず高く積もっていた家の周囲の雪も、少しずつとけてきました
 それとともに急に目に付きだしたのが、玄関や窓に取り付けられていた冬囲い。どこの家でも、落雪による窓ガラスの破損や、玄関を開けた瞬間に直接雪が入り込むのを防ぐ意味から、冬囲いがされるのですが、ひっきりなしに雪が降る時期には何故か目立たないのです。それが、役目を終える頃になって、急に目に付くようになるから、不思議なものです。
 春のような陽気になると、この冬囲いが、重く感じられるというか、うっとうしいような気になります。いっぱいがんばってきてくれたものなのに、そんなふうに言っては申し訳ないのですが、そうなのです。3月末から4月はじめの好天の日。それらは取り外されます。その時、さっぱりした感じになります。

「スッキリしたね」
 家族からはそんな声が上がります。でも、冬が来る前の11月はじめ。まだ雪の降る気配がちっとも無い頃に、この冬囲いは取り付けられるのですが、その時家族からは、
「ほこっとあったかい気分になるね」という声が出るんですよ。

 いっしょうけんめい役目を果たしている時は、それがあまりにも当たり前のことで、ちっとも目立たない。でも時に、その姿をうっとうしく思ったり、ある時はしみじみ安心させられたり…。
 そのことは「冬囲い」に限らず、ひとりひとりの存在そのものについてもそうだという気がしてなりません。

 きょうは、久々にみぞれまじりの雪となり、冬囲いのことに思いがいったのでした。

2006年3月9日

きれいな星の夜
 きれいな星の夜です。お月様は何日か前に半月となり、少しずつ膨らんできています。
 今日の午後3時ごろだったか、ふと空を見上げたら、すでにお月様は出ていたのでした。
「あらぁ、気付かなかったよぉ。何日も前から、こんなふうに出ていたんだぁ」
月に話しかけたわけではなかったのですが、心の中でそんなふうにつぶやいてしまいました。

 昨日の夜は強い風が吹き、雪の中からやっと顔を出したばかりのいろんな木々に、容赦なく吹き付けていたようでした。
「ようやく日の目を見ることができるようになったと思ったら、さっそくこうだものなー」
そんなふうに思ったことでした。

 日中天気が良くて、夜もきれいな星空で、明日はきっと堅雪(かたゆき)になることでしょう。堅雪の日は、ただ何となく、どこまでも歩いたりしたものです。子どもが小さかった頃は、お日さまの光を浴びながら、いっしょに。
 これから何度かある堅雪の日。精米した時に出る米ヌカがいっぱいあるので、そりで運んで、田んぼに撒きたいと思っています。おいしいお米ができるようにと願って…。

2006年3月7日

めめんこ
 こちらでは「ねこやなぎ」のことをこんなふうに言っていました。芽がかわいい(めんこい)から、そう呼ばれてきたのかもしれません。
 芽の付き方や大きさ、色具合などでいろんな種類があるようです。でも、それらが元々あったものなのか、バイオ技術で作り出されたものなのか、私には良くわかりません。

 子どもの頃は花の種類なんてとっても少ないものでした。もちろん、花に興味があったわけではないので、その記憶はあいまいです。でも、現在の花の種類の多さは、花好きの年配の方なら誰でも感じていることでしょう。本当にいろんな花があり、目とこころを楽しませてくれるようになりました。
 これらの花についても、元々あったものなのか、何らかの技術で作り出したものなのか、良くわかりません。

 稲の品種もいろいろあります。いろんな品種の米が人工交配され、長い時間と手間ひまをかけて新しい品種が作り出されます。いま国内で食べられているいろんな品種。そのどれもが、父や母、祖父母、その上と、連綿と続く先祖を持っているのです。一粒のお米の中に想像もつかないほどの歴史が詰め込まれているのかもしれません。ちょうど私たちの身体がそうであるように…。

 今日も暖かい一日となり、めめんこの芽もまた開きました。

2006年3月2日

あっという間に3月
 いよいよ3月です。大雪の冬も終わりを迎え、日に日に人々の動きが活発になってきたような気がします。
 道路の雪はすっかり消えました。時々降る雪も、いっときは道路を真っ白に変えますが、いつの間にか消えてしまっています。
 濡れたアスファルトに落ちる雪は、アスファルトにぶつかった瞬間、砕けて粉々になり、すぐに消えてしまいます。少し大きめの雪のときは、風があればあるように、ほとんど無いようなときでもフワリフワリと舞い降りてきます。まるで落ちるのをいやがっているかのように。

 この時期の雪は、もう「雪ッコ」と呼ばれるようになっています。人々の暮らしを脅かすような力はすでに無く、愛おしく思われるような対象となっているのです。
「何にもならねぇゆぎッコ降って…」
 年配の人たちが言う、この言い回しの中には、いっぱい難儀させられたにもかかわらず、降ってもすぐに消えてしまう、この時期の雪のはかなさを、いつくしむ気持ちが込められているような気がしてなりません。

 雪煙を舞い上げながら通り過ぎる電車の車輪の音も、少しやわらかさが含まれてきました。冬のまっさなかには、金属音が寒さを増幅させるように響いたものでした。雪がひんぱんに降らなくなって、空気中のちりなどの量が多くなっているせいでしょうか。
 たしかに冬は音が澄んで聞こえるのです。配達先の一軒の玄関に風鈴が下げられていました。配達するたび、ヘルメットがぶつかって、きれいな音が響き渡りました。それはふと心やすらぐ瞬間でもあり、同時に寂しさをも感じさせるほど、澄み切った音だったのでした。

 道路以外はまだ白一面の秋田県内陸部です。それでも少しずつ、春の兆しが見え隠れするようになって、季節は間違いなく春に向かっています。

2005年11月1日

「さぁさぁ、マリネでも食って…」
 いよいよ11月。きょうは1日です。大きな雲がいっぱい浮かんでいますが、その間からときどきお日さまが顔を出して、良い天気です。きょうは家の冬囲いをしています。

 雪が降るのはまだまだ先の話。初雪はたいてい12月に入ってからです。でもたいていの家では今頃から冬囲いを始めます。何故なら、冬が近づくにつれて晴れの日がなくなってくるからです。屋根から雨だれがダラダラ垂れてくるような時に作業するのはあまりに非効率なのです。
 そんなわけで、11月の第一週の幾日かは、例年冬囲いにあてられます。家と、家の周囲の小さな樹木。樹木はまだ紅葉前だったりしても、雪囲いがされたりします。

 この冬囲いがはずされるのは4月の始め。およそ5ヶ月間が冬仕様の中で暮らすこととなります。雪にはまだ早くても、時雨れて寒さがました夕方など、玄関の前に風除室らしきものがあると、ほこっとするんです。そんな時期になりました。

 何人かの方々から新米をご注文いただいた10月。どんなことを感じながら食べてくださっているのかななんて、ふと思ったりしています。

 百姓20数年目にして初めてといってもいいような、セロリの栽培。もちろん自家用ですが、一袋の種ッコ(数百粒)をまいて、どうにか収穫までこぎつけたのは20株強でした。きのう初物を食べたらおいしかったです。
「さぁさぁ、マリネでも食って温まりねぇ(寒)」

2005年10月26日

種ッコの話
 きょうも好天に恵まれた秋田です。好天の分、朝晩の寒さも厳しくなってきています。あっちへ行ったりこっちへ来たりと、いろんな作業をした一日でした。

 自家用の黒豆と茶豆の収穫をしていたら、近所のお母さんが、
「枝豆の種ッコあるか?(なければあげるよー)」って声をかけてくれました。
 おいしい枝豆のようでした。少しもらうことにしました。枝豆を収穫せずにいると、完熟して普通の?豆になります。そしてこれが来年の種として播かれるのです。
「誰かに種ッコあげておくと、いつか自分で無くしてしまった時にもらうことができるんだって」そのお母さんが、そんなことを言いました。

 毎年続けるつもりでも、なんかの拍子で、種まきできずにしまうことがあります。すると種は絶えてしまい、その先ずっと植えることはできません。そんな時、あげた種を誰かが植えていたら、種ッコをもらうことができるのです。枝豆に限らず、いろんな品種があって、でもいったんその種を無くしたら、もう二度と植えることができないばかりか、その品種そのものが無くなってしまうことになります。種って大事というか、大げさに言うならひとつの文化です。
「そんなこと言われなくてもわかるっちゃー(寒)」

 作業を続けている所へ、その母さんがもう一回やって来て、白小豆の種もくれました。わぁ、ちょっぴり責任重大。
「(近所の)お母さん、どーもありがとー」

 静かな一日のひとコマです。

2005年10月12日

米ッコのいた場所
 夕方5時半、宅配の人が荷物を集めに来ました。きょうは発送するお米がちょっと多かった日でした。ついさっき、と言っても5時のことですが、いつものように隣の市の、ここから近い場所にある公民館から、いつもの曲が流れてきました。「はげやまの一夜(でしたっけ?)」の中の、「遠き山に日は落ちて」のメロディーです。日一日と日暮れの時間が早くなっているので、この時期、この曲は妙に雰囲気に合っているような気がします。

 きょうはとても良い天気だったのです。気温も、この時期としては暑いくらいまで上がりました。そんなに良い天気なのに、発送の準備その他で、午前中は屋内での作業でした。家にはひとりきり。久しぶりに、エンヤのアルバムを聴きながら進めました。

 この米ッコはここを出て行くとき、最後にわたしといっしょにエンヤを聴いたんだぁと思ったのでしたが、荷物が運ばれていったのはついさっき。その直前に、テレビで「あたしんち」がやっていて、最後は「威風堂々」です。元気いっぱいになって?、我が家から出発したのでした。

 ちなみに、その公民館では毎朝6時にも曲が流れます。エーデルワイスです。

2005年10月9日

「ドン」
 ずいぶん前のある秋の朝のことです。
 起きて玄関の戸を開けたら、一枚の紙が置かれていました。風で飛ばないようにと、その上には手ごろな大きさの石ころが…。何だろうと思って拾い上げてみると、「ドン」の案内でした。

 「ドン」、ご存知ですか?場所によっては別の名前だと思います。うまく説明できませんが、お米(白米や玄米)を専用の機械に入れて、圧縮?させること数10秒。大きな音がしたと同時に、お米が膨らんでアズキ大くらいの大きさになります。「ポン菓子」と言ったりもするようです。お米といっしょに少し砂糖を入れるからでしょうか、できあがったそのお菓子には、ほんのりとした甘みがつきます。
 その「ドン」をやってくれるというのです。たいていの家が農家だからお米はあります。手数料はお米一升(1.5キロ)でいくらだったか…。忘れてしまいました。場所は集落の端にある神社の境内でした。
 手書きの案内。何か、宮沢賢治の童話を思わせるような朝のひとときの手紙でした。

 この年は、あいにく冷害で、不作だった年でした。神社にどれくらいの人が行ったのか、「ドン」をやる人が、いろんなところをまわって歩いて、はたしてどれくらいの人が来たのか、知る由もありません。でも、そのときの「ドン」をやる人の、日々の暮らしというか生活について、ふと思いを巡らすことがあるのです。
 秋は、いろんなことを思うものですね…。

 一雨ごとに秋の深まりを感じる秋田。朝晩の寒さもずいぶん増してきました。籾すりされて間もない米ッコたちは、うとうとし始めているのかもしれません。一等米の判定をいただきました。

2005年9月24日

お米の味
 好天に恵まれ、稲刈りも順調に進んでいるボンブ(ウ)ガルテンです。数日遅れで同時進行となる籾すり作業はきょうが5日目。当たり前のことだけど、ちょっと前まで田んぼにいた米ッコが、もう玄米になってしまっています。籾すり作業の最中は何度か玄米をつまんでかじってみます。甘みを感じられるかどうか確かめるのです。はたして17年産米は…。余計なことを書かないで、食べてくださった方の判断に任せることにしようと思います。

 刈り取ったばかりの籾の含有水分は、ほとんどの場合20%以上になっています。それを乾燥機で15%くらいまで乾燥させます。15.5%以上だと来春以降、常温では品質の劣化がどんどん進みます。もちろん味も落ちます。でも、同じお米で比べると、このくらいの水分の時がいちばんおいしいようです。
 いまでは農協などに出荷する場合は14.5%ぐらいのところが標準となっています。この数字だと、梅雨以降ちょうど良くなるらしいのですが、新米の味は落ちます。乾燥しすぎなんです。最後の最後のところで、お米のおいしさを無くしてしまっては元も子もありません。気を抜かずに作業したいと思っています。

2005年9月15日

月の光がこうこうと…
 きれいな月の夜です。近くの駅まで車を走らせている最中に、よその家の屋根が月の光を受けて光っているのが目に入ったり、大きな用水路の水の流れの中に、光が乱反射?している様子が見えたり…。しんとしている中でのそうした光景なので、よけいに月夜の美しさがこころにしみてくるような気がします。

 18日(日)は十五夜。豆名月だとか。どうぞその夜もすてきな月夜になりますように。ごぶさたの方が元気でありますように。おんなじようにその夜の月をどっかで見ていてくれたら良いなと思っています。

 豆名月にふさわしいおいしい枝豆…。きょうその初物を少しだけ収穫しました。「秘伝」なんていう時代がかった名前がついています。豆のふくらみ具合はまだ完全ではありませんが、本当はそんな状態の方が、おいしい場合が多いんです。どんな野菜でも、収穫後まもなく食べた方がおいしいのですが、枝豆もそのとおり。朝早く畑から取ってきて、午前のお茶ッコの時間に食べると本当においしいです。
 枝豆は中生や晩生の品種にも多くのおいしい品種があります。「湯上り娘」「ひとり娘」「砂糖要らず」その他、「秘伝」もそうです。枝豆にはどうして娘という字が入るんでしょう?その答えはともかく、「湯上り息子」や「ひとり息子」…。そんな名前だったら、あんまり食べたい気がしないのですが、みなさんだったらどうでしょうか?

 どうでもいいことですが、夜に車を走らせたのは、部活で遅くなった息子を迎えに行ってのことなのでした。
 いよいよあさってから稲刈りを始める予定です。

2005年6月16日

どんぐり
きょう、畑で作業していたら、畑の真ん中に妙な草が…。
引き抜いてみたら、白い根とともにどんぐりがくっついていたのです。
すーっと伸びた茎の太さは竹串ぐらいで、長さは10cmほど。
その先端には数枚の葉っぱがくっついていました。
実際の形は全然違うけど、ヤシの木のミニチュア版みたいな感じでした。

なんとなくめんこくて、家に持ち帰っってすぐ、ありあわせの鉢に植えました。
果たして根付くかどうかわかりませんが、
大きくなったら地植えしてあげようと思ったのでした。
ひとくちにどんぐりと言っても、何種類もの木の実があることでしょう。
どんな木になるのか、そもそも育つのか…。
途中の過程など一切おかまいなく、
大きくなった姿が一瞬こころに浮かんだひとときでした。

2005年4月19日

苗代とツバメ
苗代に映る山々
苗代に映る山々
 きょう、苗代を作りました。苗代というのは苗を育てる場所のことで、通常はビニールハウスがその場所となります。いろんな事情で、ビニールハウスでできない農家は、小さなビニールトンネルを作ってその中で苗を育てます。その時、田んぼは耕され、水を入れて再度耕され(代かきといわれます)、土はトロトロの状態になります。そこで苗を育てるわけです。

 数日前からツバメがやって来ています。ツバメとトロトロの土の関係を知ったのは昨年のことでした。
 小屋の中にはツバメの巣。でも約1年ぶりのことなので、巣自体はずいぶん傷んでいます。この巣をしっかりと頑丈なものに修復するために、トロトロの土は無くてはならないものなのでした。きょう、トロトロの土ができました。数日前に最初にやって来た一羽は、オスなのかメスなのかわかりません。いつも最初は一羽なのです。どちらかが数日遅れてきて、それがどんな理由なのかもわかりません。今朝はなぜか3羽が飛んでいました、が、一羽が追い払われていました。どんな三角関係なのやら(笑)…。
今年予定していたビニールハウスを間に合わせることができず、苗代を作った我が家。ツバメにとっては幸運でしたが、来年はどうなることやら。

2005年4月9日

ゆぎッコあと少し 花ッコまだまだ
 大人の背丈より高く積もった田んぼの雪も、あと少しですべて消えそうになった、ここ仙南です。こんなに遅くまで雪が残っているのはずいぶん久しぶりのこと。記憶に残る冬になりました。
 それでも、家の裏側の北に向いた場所は、お日さまの光があんまり当らないこともあって、相変わらず大人の背丈ぐらいのままです。降り積もった雪だけでなく、3度も屋根から降ろされた雪が加わっているのですから、ガチガチにかたく凍ったままです。
 冷蔵庫の無かった時代には、この雪はちょっとした冷蔵庫代わりだったそうです。5月中頃に行われる地区神社のお祭り…。その時に、ごちそう用に買った魚などをいったんそこで冷やしていたりしたとか。まさに「天然の冷蔵庫」でした。

 そんなふうに書いたら、イメージだけは良く聞こえます。でも実際は、春になって残っている雪は汚れがとっても目立ちます。冬に比べて春はいろんなものが飛び交います。それらが白い雪に落ちるのですから、雪は純白のイメージとは程遠くなってしまうのです。ゆぎッコは何にも悪ぐねぇのに…。
 当然のことながら、雪の下には何かしらの植物が…。自然に消える5月下旬?までそのままにしていたら、日の目をみることができず、その植物たちもかわいそうです。手をかけて早く消してあげたくなる所以です。

 慢性の軽度花粉症?、そんなものがあるかどうか定かではありませんが、10数年前から年に数日は涙ボロボロ。おとといは今シーズンの第1日目となりました。

 2、3日前からテレビではあちこちの桜の様子が。きょうお昼は上野公園が映っていました。いっぱいの桜の中をひとがぞろぞろ…。いいなぁと思いながら見ました。秋田でも早いところはあと2週間ほど?ここらでは3週間ぐらいあとになりそうです。
 お米作りもいよいよ本格的に始まるころとなりました。

2005年3月25日

「やらないでよかった」よりも…
 たくさんの雪で、道路以外はまだ一面の銀世界の仙南です。と言っても、積もった雪のかさもずいぶん少なくなりました。
 昨年秋、今年春早くからの「そら豆」栽培をちょっと考えていた凡夫です。その前に、畑の土が栽培に適しているかどうかを調べてもらったのでした。結果は、そら豆栽培には酸性が強く、土壌改良剤が必要と言われたのです。まぁ、それはそれとして、4月早々には苗を植えなければいけない、と説明を受けていました。準備の良い農家は、昨年秋からもう段取りを済ませ、雪消えとともに苗を植えられるようにしています。我が家ではそんな準備がぜんぜんできないまま冬を迎えてしまっていたので、結局は今年の栽培をしないことにしたのでした。そう決めたのは、昨年暮れのことです。

 「やらないでよかった」 いま、そう思っています。やることにしていたら、大変なことになっていました。雪がこんなにも遅くまであるとも思わず、種はすでに播かれ、順調に育っているはずです(苗は専門の場所で育てられ、農家はその苗を前もって予約しておいて、植え時に受け取るのです)。雪があろうとなかろうと、苗は予定されていた時に引き渡されることでしょう…。
 昨年は何度も台風がやって来ました。ビニールハウスが壊され、大変な損害を受けた農家もありました。「やっていたら、大変だった…」そう思ったことが何度もあった年でした。

 でも、ふと思うのです。「やらないでよかった」としみじみ感じる以外の時は、もしかすれば「やっててよかった」のかしれないのです。実際は天候による良し悪しだけでなく、いろんなことがあるので、単純には言えないのですが(それは、「農業が割りが合わない」と見切りをつける人が年を追うごとに増えていっている状況が雄弁に語っています)。

 「やらないでよかった」も大事だけど、「やってよかった」もそれ以上に大事かもしれません。そんなことを思いながら、自分の器量に合わせて少しでも何かをしていきたいものだなと改めて思ったことでした。「やってみたら良くなかった」かもしれないけど「やって良かった」と思えることもあるような気がして…。

 それにしても、「そら豆」なんてこちらではほとんど食べません(と思います)。おつまみの中にカラカラに乾いたそら豆が入っていたりしますが、子どもの時はおいしいとは思いませんでした。塩茹でして食べるなんて知らなかったのです。おつまみの中に入っている殻付きのを、子どもたちは「けっつ豆」と呼んでいました。けっつ…、お尻のことです(ゴメンナサイ)。つい最近、お茶の時間に子供たちの前でそう言ったら、大爆笑でした。

2005年3月20日

彼岸の中日、「地獄の鬼ッコも…」
春分の日といえば、ほとんどの年は21日ではないでしょうか?今年もそうだと思っていたら、きょう20日がその日に当っていました。<BR> 昔のお百姓は、この時期、堆肥運びに精を出していました。田んぼの雪もだいぶかさが少なくなり、そこに何ヶ所か穴を掘って、家の近くに積んである堆肥をそりに載せて運びました。その時間は早朝、そして午前のお茶ッコの時間の頃までです。というのも、この時期は「かた雪」になりやすい時期。人がただ歩くのはもちろんのこと、堆肥をいっぱい積んだそりでも、その重みで雪に沈んでしまうということはないんです。でも、その「かた雪」が好天とともにやわらかくなってしまうのが、午前9時前。作業の時間もその範囲に絞られます。

春分の日、いわゆる彼岸の中日であっても、やってしまいたいという農家はいますけど、その時に頑張っている農家の人へのあいさつがこれ。「彼岸の中日は、地獄の鬼ッコも休むと言うぞ(だからあなたも休んだらどうですか?)」
 えんま大王がユーモアを解する人?だったらいいなぁ。いまからいっしょうけんめい考えておくんだけど(笑)。でも、「縁は(えんま)異なもの味なもの」なんて言ったら激怒されるかな…。なんて、実際はそんな度胸もない凡夫なんです(苦笑)。

 当地で「堆肥運び」が無くなってから30年にもなるでしょうか。そのことの意味は、簡単に「良し悪し」につながるものではないのです。

2005年2月23日

春をさがしに…
 おととい、郵便局からの帰り際、職員の一人が言いました。「日曜日は川(の土手)に行ってみるかな。もう、めめんこ咲いてるべ」
 
 「めめんこ」は秋田弁でねこやなぎのこと。芽がめんこいということでしょうか?これも素敵な言葉です。それを聞いた一人の人が「なつかしい言葉だなや〜 で、何するの?」という問い。「旬のものだべ、取ってくるべ(旬のものだもの、取ってくるんだよ)」との答えに、私も「取ってきて仏さんさ(仏壇に)飾るんだべ?」と話に加わりました。いまはいろんなきれいな花が年中咲いているし、お店で買うこともできます。そんなことができなかった時代、「めめんこ」は旬の花であり、春の訪れを感じさせる花だったのです。

 「川さ行けば春見つかるな」そんな言葉を付け加えたその人にびっくり! 思わず「**さん、詩人だねー」と叫んでしまいました。その人はとても話し上手で、明るい雰囲気の人。多弁は詩人に似合いません。だって昔から言うじゃないですか。「詩人にくちなし」って…。
 あらら、恥ずかしがり屋の春がまた引っ込んでしまったような。大変な大雪に、本当に春が待ち遠しい秋田です。

2005年2月12日

「まぐれんこ」
 冬期間は郵便配達のバイトをしている凡夫です。

 今朝起きた時、とても多くの雪が積もっていました。この冬いちばんの部類に入るかもしれないというくらいだったのです。そして日中もひっきりなしにふり、昼過ぎからは除雪車が出動となりました。
 配達の終了間際、幹線以外の道路にもようやく除雪車が…。で、除雪したあとのツルツルの道路。直角のカーブをそろそろと曲がったはずなのに、バイクもろとも見事に転んでしまいました。

 でも全然痛くなかったのです。というより、見事(かどうかはわからないのですが)な受身を取って、そのまま立ち上がってしまったのでした。そしてあたりをキョロキョロ…。局のみんなに聞くと、やっぱり誰もが、転んだ時は起き上がってすぐあたりを見回すのだそうです。誰かに見られなかったかな、という思いでだと言います。うーん、そうかもしれません。でも、もしかすれば無意識のうちに状況判断のためにするではないかと思うのです。それはともかく、くるんと回ったのでした。

 「まぐれんこ」、標準語では前転のことを言います。小さな子供が、できるようになった前転を得意げに連発!「おやー、まぐれんこ じょうずなったごど」なんてほめられると、ますます勢いづきます。ちなみに後転のことは「うしろまぐれんこ」。横転のことは「よごまぐれんこ」って、言ったような言わなかったような…。
 今日の私は「よごまぐれんこ」を一回。スクっと立ち上がった自分を自画自賛したことでした。

 これを読んでくださっているみなさんの子どもたちは、「まぐれんこ」たのしんでますか?
でも、あんまり揺さぶられると、脳に障害がおこる危険あり、なんて何年か前のニュースで聴いたような…。大丈夫な年齢になってからだと安心ですね。

 それにしてもよく降る雪…。最語はあきれてしまって笑うしかなくなるんですよ。自然のちからに謙虚になるしかなくて。

2005年2月6日

寒の分かれ…
 「寒の分かれに荒れれば、(そのあと)49日荒れる」なんて言われてきました。ローカル色ゆたかな天気に関する言い伝えです。

 「寒」というのは大寒、小寒の寒のこと。そして「寒の分かれ」というのは「立春」の前日、節分の日のことです。文字通り、「寒」がさよならすることなんでしょう。
 ていねいな「暦」には、この「寒の分かれ」の時間まで書いてあります。この時間がいったい何を意味するものなのかはまだわからずにいますが、何となくおもしろいものだなと思います。このときに天気が悪い(ここらだと、吹雪模様ということかな)ようだと、暦の上では春になるけれども、なかなか春めいてはきませんよ、ということなのです。その49日後とは、彼岸の入り日です。

 「寒の分かれ」、残念ながら荒れ気味の天気でした。言い伝えどおりなら、冬型の気圧配置はまだまだ続くことになるのでしょう。確かに節分の日をはさんでここ数日、まとまった雪が降り続いています。
 でも、2月に入ると、お日さまの光の強さもだいぶ強まってきます。厚い雪雲がたちこめ、もさもさと雪が降っていても、空のずっと上のほうでお日さまが輝いているのが、何となく分かるようになります。そして一瞬の出来事ながら、ぱぁーっと青空が広がったり…。青空のきれいさをもっとも実感できるのがこの時期かもしれません。雪ッコがいっぱい降るからそんなふうに思えるんですね、きっと。

 明けて4日の立春。郵便配達先の何ヶ所かで玄関先に落ちていた落花生。あっ、ここの家でも豆まきしたんだな、そんな思いを感じながら配達をしたことでした。
 立春の日は、1年でただ1日、生卵が立つ日です。今年の新聞にはそんな記事がなかったですけど(家庭欄に書かれていたりします)、そう言われています。晩ご飯の前に何度か試してみたのですが、うまくできませんでした。

 天気に関する言い伝えのなかで素敵に思える言葉があります。
 「寒九(かんく)の雨」というもので、寒に入って9日目前後にちょっと寒気が緩んで、みぞれや雨になりやすいのだそうです。雪の降らないところではどうなんでしょう。1月の中頃でしたが…。

2004年12月20日

お米の味って? おまけ
 農家では自家用野菜を作るので、多く取れると、ばっちゃん達は漬物を作ります。塩その他の調味料はいつも大体同じ。でもその年の気候(気温)によって、味は微妙に違ったりします。時にはちょっと酸っぱくなったりすることも。以下、秋田弁で…
「おやぁ、うめ漬物だごど、ばっちゃ」
「じっちゃ、ごめんな。今年さっと しっけぐしてしまった」
「なんも、なってもね。ばっちゃ、うめでぇ。まま じっぱり食うにえ」

 わかりやすく書くとこうです。
「うわぁ、おいしく漬かったな、ばっちゃん」
「ゴメンネ、じっちゃん。今年はちょっと酸っぱくなってしまって」
「大丈夫、そうでもないよ。ばっちゃん、おいしくできてるよ。ご飯もたくさんすすむよ」

 仲良くなるとこうなんです。良いですね、こんな関係。
 じっちゃんの周りには若い頃、まだいろんな女の人がいたかもしれません(笑)。もちろん、ばっちゃんの周りにも(笑)。そしてその中には、いまのばっちゃんやじっちゃん以上の人もいたことでしょう。でも、それはそれ。お互いいまのパートナーの中にいろんな長所を見つけることができるし、短所だって、そんなものと思えば気にならなくなるかもしれません。
 「おいしいお米」やお百姓、縁あって求めてくださる方々との関係も、そんなふうなのかなと思ったりすることがあります。…ヘンですね。

2004年12月11日

お米の味って? その3
 「同じこまちなのにどうして味が違うんだろう?」こんな思いをされたことはありませんか?おいしいこまちであっても、その度合いはさまざまです。なるべく均一の味を提供することが大事なこととなるでしょう。お米を販売するところでは、そのためにいろんなこまちをブレンドして、一定のおいしさを保つようにしているはずです。もちろん、そのおいしさは値段に大きく左右されると思います。どれもこまち、おいしさに違いはあっても、そのどれもが本物のこまちだと言えます。中には別のお米を混ぜたりする心無い業者もいると聞きますが…。

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