2006年9月2日
| 9月に入って |
きょうはセロリの苗を植えました。種をまいてからきょうまで、ずいぶん長くかかりました。
セロリの種はとても小さくて薄っぺらです。だからとても軽いのです。ちょっとの風で簡単に吹き飛ばされてしまうほど…。
小さなポットで72本の苗ができました。大小さまざまだったけど、全部植えました。作業の取り掛かりが遅かったので、できた時はもう薄暗くなっていました。
家に入ってから、殺虫剤を撒くべきだったと少し後悔。
できるだけ薬剤を使わないようにしています。が、種をまいて芽が出た時や苗を植えた直後などは、虫の食害がひどいのです(セロリだけでなく、作物全般です)。植えたその日の夜中にもう、細い茎が食いちぎられて死んでしまいます。本当に情けなくなります。ある程度の大きさになってからの食痕は我慢するとしても、死んでしまっては元も子もありません。薬剤を使いたくなる所以です。
セロリは定植後はもちろん、大きくなる途中でナメクジがくっつき、その食痕はずいぶん大胆なものです。自家用だからと割り切っても、いざ食べる時には、包丁で取り除くのが相当面倒です。もちろん、売り物になんてなりません。
「いまごろ植えて、(冬になるまで)ものになるのかい?」
近くを通りかかったオヤジさんが笑って言いました。
「無理だべが(無理かなぁ)?」
笑って答えました。他愛も無いやり取りでした。
いくらかでも食卓に乗れば儲けもの、という考えです。良く育ったら、一株だって結構大きくなるんですから。
セロリは大人になってから食べれるようになりました。ひょんなきっかけからでした。味噌ッコとマヨネーズを軽く混ぜたものを付けてボリボリ。浅漬けにしてもおいしいです。
虫の食害をどうにかして最小限に抑えて、旬のおいしさを味わえる日が楽しみです。
種があるからにはセロリも花が咲くのでしょう。どんな花なのか想像もつきません。ニンジンの花に似ているのかな。種の入った袋には、生産地の欄にフランスと書かれてありました。野菜の種は、外国で生産されたものが結構あるようです。
刈り取りまであと3週間ほど…。稲の穂もすっかり頭を垂れてきています。長く伸びたあぜや農道の草刈り。秋作業用機械の準備等、少しずつあわただしくなってきた今日この頃です。
実は、秋の夜長のせいか、きょうの農場だよりのタイトルにヘンなのが浮かんできたのです。
「関税セロリは理路整然か(かんぜいせろりはりろせいぜんか)?」
日記の内容と少しは関係あるかと思いましたが、さすがにタイトルにするのはためらわれました(苦笑)。
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2006年8月28日
| 良いことをしたつもりが… |
22日ほど連続した真夏日が一息ついたと思ったら、それもわずか一日のこと。きのうきょうとまた暑い日となりました。
いつもの年なら、もう、時々雨があるようになり、田んぼにあえて水を入れるようなことはしなくなります。理想を言えば、今月末ごろまでは入れた方がいいのですが、その後の天候がどうなるかわからないので、危険を冒せないのです。
と言うのは、雨が続くようになると、田んぼの土が軟らかくなってしまうので、コンバインでの収穫作業がとても難渋します。難渋するのはコンバインそのものなのですが、過重な負荷は大事な機械にとって決して好ましいものではないし、何よりも田んぼ自体が大きなダメージを受けます。コンバインの走行した跡が何本ものわだちとなってしまい、田んぼがズタズタになってしまうのです。そんなこともあり、この時期の水入れは慎重にならざるをえません。
まとまった雨がほとんど無く、相変わらずの高温続き…。ふと思い立って、午後になってから入れ始めました。夕方になってもまだ全体に行き渡りません。でも朝まで入れ続けたら、あまりに多すぎることは充分に想像がつきます。「夜遅く見に来なければいけないな」と思いつつ家に入りました。
夜の10時少し前、見に行きました。外は秋の風が強く吹いていました。あんなに暑かったのに。
昔は夜に水の見回りをしたりする人も多かったのですが、水事情が改善するにつれて、そうしたこともなくなってきました。夜更けの時間に田んぼを見回るなんて、ある意味「不審人物」です(苦笑)。
車のライトやエンジン音を鳴り響かせるのもどうかと思い、自転車で動きました。風の涼しさからは、日中の30度以上の高温を想像することは困難です。水を入れていたこと自体が、ひどく間の抜けたことのように思われました。と同時に、自転車をこぎながら、何故か、ほんの少しでしたが不安な気持ちがしたのでした。
「こんな状況なのに水を入れてたなんて、どうかしてるよな」
(稲にとって)良いこと、大事なことをしたはずなのに、気持ちが晴々としなかったのは、入れ終わった時間が夜になってしまったからかもしれません。
……夜はいろんな想いを増幅させますね。
(8月26日記)
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2006年8月14日
| いっぱいの感謝です |
いざ暑くなると、とことん暑い当地です。内陸部、盆地のせいでしょう。きょうも早くから30度を大きく超え、期待を込めて見た昼前の天気予報では、明日は34度!とのことでした(涙)。
おかげさまで当園のお米は完売となりました。この一年間ご縁をいただけましたみなさまに、あらためて感謝申し上げます。
注文くださったみなさまのご期待に沿うお米であったか、いつもどきどきです。せめて、「あー、(買って)失敗だった」と思われることの無いようにと願いながらのお米作りです。
今年も収穫の時期まであと一ヵ月半ほどとなりました。残暑見舞いとともに、完売のお礼を書かせていただきました。
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2006年8月11日
| 暑さの中で |
梅雨明け以降、暑い日が続いています。田んぼの乾き具合もまだ不充分と思い、何日間か畑の草むしりやイモほりにかまけていたら、思わず冷や汗が出てしまいそうになるくらい乾いていたのでした。
ここの田んぼの土は主に粘土質が多く、他の土質ではどんなふうになるのかよくわかりませんが、ここではザクザクと大きなひびが入ります。こうなると明らかに乾きすぎの状態です。用水路から勢い良く水を入れても、ちっとも先の方へ伸びて行きません(「行きません」と言うよりは「行けません」と言ったほうが正しいかも)。ここの田んぼは、用水路側から向こう側まで約180mあります。一日中水を入れているのに半分までも行けないなんていうような状況になってしまったりするのです。
さぁ、稲の葉は少しでも蒸散を防ごうと、よりを巻き始めます。もし話すことができたら、何でこうなるまで水を入れなかったのだと、恨み言のひとつやふたつでは済まないはずです。でも、どれだけあせっても、水は先に進みません。それどころか、他の農家も入れたくているので、いつまでも水の流れすべてを独占していることもできなくなります。
幸いにも3枚の大きな田んぼに、2日がかりで水を行き渡らせることができました。稲ッコがとっても喜んでいるように見えました。それはとりもなおさず、稲の姿を借りた凡夫自身の思いだったのでした。
夜、ふと外に出たら、きれいなお月さまです。冷蔵庫にあった缶コーヒーを持って出たので、月を見ながら蓋を開けたら、プシューッという音。小さな音なのに、何百メートルか先で誰かがそうしたら、きっとその音がここで聞こえるだろうなと思えるほど、響き渡りました。
ここの夜は、大抵の場合そんなふうに静かなのです。
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2006年7月28日
| 葉っぱの色に惑わされ… |
稲の追肥をしてから10日ほど経ちました。
稲の肥料分が少なくなってくると、葉っぱの緑は薄くなってきます。黄緑から、そのままにしていると黄色にまでなってしまいます。そうなる前に追肥をするのですが、比較的緑が濃いままの箇所もあったりするので、葉の色を良く確かめながら、加減して肥料を撒きました。
おかしなもので、お日さまの出具合で、葉の緑色は濃淡にずいぶん違いが出ます。表と裏も色が少し違うので、逆方向から稲を見ると、感じが変わります。お日さまが雲に隠れたり出たりすると、もう、目視での認識はかなり頼りないものになってしまうのです。
10a当たり*キロ撒こうと思っていざ田んぼに入っても、ひっきりなしに変わる色の違いに惑わされて、結局は予定より少なくなってしまいます。
「どこ見てんのよっ!」というフレーズを、いっときお笑い芸人が好んで使いました。追肥の判断の目安…。本当に「どこ見てんのよっ!」とひとりツッコミをしたくなるほどでした。
そういえば、7月に入ってから病院で目の検査を受けました。
ー「どこ見てんのよっ!」
ー「瞳孔見てんのよっ!」
異常なしでとりあえず安心しました。
出穂まであと少しとなりました。
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2006年7月23日
| お米の試食会 |
きょうの午前中は、前々から計画されていた「圃場視察と試食会」でした。
さらにおいしいお米作りを目指して、今年からこれまでと違った肥料を使って栽培している農家7軒の稲の様子を見たあと、その肥料をずっと使い続けてきた田んぼで穫れた17年産米を試食してみる催しだったのです。
お米のおいしさは、田んぼの土の種類に左右される部分がかなりあります。でもそれを何とかしようと、各肥料会社がいろいろと研究を重ね、できるだけおいしいお米に育つような肥料を作っています。
今回の試食会は春早くに行われた1回目に続いて、2回目のことでした。
1回目の時は7人くらいが参加して、違った肥料を使い続けたお米と、その中のひとりの方のお米を食べ比べたそうです。その人はずっと産直をしている方で、ずいぶん評判も良いのです。もちろん自信もあったことだったらしいのですが、結果はもう一方のお米がほとんどの人に支持されたということで、思いがけない結果に驚いたとのことでした。
きょうの参加者は14人。今回は和賀屋(我が家)のお米を食べ比べの一方としたのでした。1回目の結果を聞いていたので、「こりゃぁ、キビシイぞ」と覚悟をして臨みました。1対1の食べ比べと思っていたら、前回の方もリベンジ?ということで、全部で3種のあきたこまちの食べ比べとなりました。
余計な先入観が邪魔するのを防ぐため、3種類のお米の出所は明らかにされないまま、食べ比べを行い、それぞれが順番を付けました。
1回目の食べ比べで圧倒的な支持を得たお米に使われていた肥料を、今年、我が家ともう一人の方は使っています。我が家ではそれに加えてもう1種類の肥料を使っています。それはともかく、比べられた3種類のお米はいづれも17年産米。それぞれが別々の肥料でした。
果たしてその結果は?
自家産のお米を出品した2人。お米がおいしくできる肥料を勧めて実際にその肥料で育ったお米を出品したお米屋さん。その肥料を取り扱う肥料屋さん。そして残り10人の参加農家の人たち…。
口に出した感想、出さなかった感想、いろんな思いが交錯したことでしょう。
食味を確かめる試食会だけに、「シーッ、ショックかい?」「ショック ミー」なぁーんて、やっぱり寒いですかね。
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2006年7月13日
| すぐりの実 |
この時期、ふと、すぐりの実が成っているのを眼にすることがあります。梅雨の晴れ間、畑への通り道の途中、近所の宅地で見たり、ホームセンターの鉢物売り場で、少しばかり葉の色が枯れ上がったようなものを見つけたり。
何故か天気の良い日に、眼に飛び込んできます。透き通った紅が、涼しさを感じさせてくれるような気がします。小さな鉢に入ったものでもそんなに高価では無いので、買って地植えしようかなと思ったりするのですが、他のいろんなもの同様、結局はいつも止めてしまいます。それは、いくつになっても変わることの無い私の癖…。
十数年も前のこと、ある人の家に寄らせてもらった際に眼にした時のことが、いまも鮮やかに思い出されます。
暑い夏の日のことでした。「立ち話もなんだから、まず入って」としきりに言われ、入った居間のテーブルにすぐりがあったのでした。水の入ったコップに、紅いすぐりがたくさん付いている一本の枝が入れられていたのです。あとで作られた記憶かもしれませんが、気温が高かったせいでしょう。コップ内側ののガラス面には無数の空気の粒が付いていました。そのこともひどく心に残っています。白色のテーブルクロスとすぐりの紅がお互いに引き立てあって、とても良い感じでした。
それ以前にすぐりを見たことがあったかどうかは覚えていません。ただ、その時以来、すぐりを意識するようになったのでした。
私よりずっと年上のその人との付き合いは一時的なもので、長い間会うこともなく過ぎてきました。付き合いもきわめて限定的なものでした。井戸掘りをする方だったので、水条件の悪い田んぼのために井戸を掘ってくれるようお願いしたのでした。
体調がすぐれないという話を人づてに聞いたこともありました。今年の冬に偶然に会い、その後これまで数回見かけました。いつも車に乗っっている時なので、軽く頭を下げて通り過ぎます。
「どうぞこれからも元気でいますように」と心の中でつぶやきながら、家の前にあったすぐりの木はいまどうなっているのだろうと思ったりするのです。
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2006年7月3日
| うかうかしていられません(羽化羽化?) |
これまでずっと田面が隠れるくらいの水を溜め込んでいた田んぼ。これからはいったん水を落として土を乾き気味にします。そのあとは、乾き過ぎないように時おり水を入れることとなります。
この落水の時期を知ってのことではないと思うのですが、この頃ヤゴが羽化して、トンボになって飛び回る姿が目に付くようになりました。
ヤゴは朝早く稲の茎によじ登るようです。そして羽化が始まり、軟らかな身体をしばらくの間そのままにしています。初めて空気に触れた、身体全体はもとより4枚の羽は、朝日を浴びてきらきら輝きを放ちます。人工的に装飾されたきらびやかさとは全く無縁に思えるその輝きは、とてもささやかなものですけど、でも愛おしさを強く感じさせるものでもあります。
これから何日かにわたって、たくさんのトンボが田んぼから生まれます。その数といったらびっくりするほどです。それらが気持ち良さそうにすいすい飛んで、でも雨の日はどこかでじっとしていて…。夕日を浴びながら飛んでいる羽のきれいさは格別なんですよ。
なんて、こんなふうに書いたら、実際に見た人は「全然そんな気はしないよ」と思ってしまうかもしれません。読んでくださった方は、あまりイメージをふくらませないでくださいね(笑)。
この時期、どこで生まれるのか、身体が細く全体が真っ黒のトンボもちらほら見えます。なぜか用水路の、水の流れが滞っている場所や草などが流れずにひっかかっている場所などでよく目にします。正式な名前は知りませんが、子どもたちは「神様トンボ」と言っているようです。自分が子どもの頃は、ただ「黒いトンボ」と言っていたような気がして、いつ頃から子どもたちがそんなふうに呼ぶようになったのかわかりません。
目に付くのは書いたような場所。見た目には何となく汚れて見える場所なんです。そんな場所にいるのが「神様」トンボとは、何となく面白い気がします。豪奢な建物に住んで、もっともらしいことを話して、お金儲けにのみ励んでいるような怪しいカミサマに比べたら、ずっと潔いと思うのは、勝手な思い込みでしょうか?
人間の世界でも、ごく普通の格好で街を歩いている神様(のような人)が、そこかしこにいるかもしれませんね。ただ気づかない(気付けない?)だけで…。
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2006年6月20日
| おこめの勉強 |
お米のことや農業のことなどについて勉強するのは小学5年生の頃のようです。どの程度内容を深めるのかわかりませんが、一般的な知識の他に実際に稲を育てたりする場合もあるようです。
自分の時もその頃に習っていたのでしょうか。全然記憶にはありませんが、とにかく何かしらを感じていたことでしょう。
いま勉強している子どもたちは、どんなことを勉強しているのかな。どんなことを感じているのかな。感じたことを忘れずにいてくれるかな。なんて、ふと思ったりします。
お米や農業のことに限らず、勉強したことのほとんどは忘れてしまうのかもしれません。でも、勉強の最中に感じたひとつひとつのことが蓄積されていって、現在や未来のその人を形作るのではないかと思います。
「ずっと農業に携わってきて、あなただったら、子どもたちに農業についてどんなことを知ってもらいたいですか?」
誰かにそんなふうに聞かれたら、どう答えよう。
夜になって、何となく外に出たら、いつもより暗い気がしました。遠くにはたくさんの外灯のあかりが見えるのにです。
「あぁ、稲が分けつ(茎の数が増えていくこと)して、田んぼのすき間が少なくなり、外灯が水面に映らなくなったからなんだ」
ふとそう気づいたのは、家に入ってしばらくしてからでした。
田植えをしてから一月が過ぎました。
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2006年6月7日
| いっしょにいてくれる |
「どうしてお月さまはあとをついて来るの?」
子どものころに生じた疑問は、いまもって解決していません。いっしょうけんめい走れば走ったように、自転車のペダルを踏めばそれにあわせたスピード。自動車の猛烈なスピードにも負けずにお月さまはあとをついて来るのです。時と場合によっては、自分の前を進むこともあります。まるでこちらの動きを読み取っているかのように、寸分たがわぬ動きで。
稲が着実に成長しているとはいえ、田んぼにはまだまだ隙間が多く、その水面には、いろんな光景が映ります。夜の月もそうです。
おとといの夕方、用事を足しに行った帰り道、夕日が沈もうとしている場面に出くわしました。稲の緑が日に日に濃くなっているきょうこの頃です。その緑の中に大きなオレンジ色の夕日が映り、それが車の動きに合わせていっしょに動いていきます。とてもきれいな組み合わせでした。
海沿いや湖のようなところの道路を走っていたら、お日さまはずっと動きながら映り続けるのでしょう。でも田んぼにはあぜがあります。そして田んぼごとに段差があったりします。当然のことながら、あぜのうえにはお日さまは映りません。一瞬消えるのです。緑の中を動いては消え、また動いては消えの繰り返し。段差がある田んぼに移った時には、お日さまの位置もガクンと下がったりします。
近くの誰とも共有できないひとりきりの時間だったけれど、どこかで誰かがこんな光景におんなじような思いを感じていたかもしれません。ずっと見続けていたくなるような、この時期だけのすてきな光景でした。
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2006年6月3日
| 草刈りとカエルのいのち |
田植えが終わって一息つくと、草刈りの時期になっています。いえ、田植えの最中からすでに、場所によっては刈り時になっていたのでした。
田んぼを縁取るあぜ、農道、舗装された一般道の路肩など、とにかく自分の家の田んぼに関するすべてが、刈るべき場所なのです。この面積は、当然のことながら所有する田んぼの多寡に比例するのですが、自分の田んぼが全体の中でどこに位置しているかによっても、だいぶ違ってきます。道路に沿ってズラーッと並んでいる中で、両端の田んぼはどうしても草を刈る場所が多くなってしまうのです。何故なら、あぜそのものについては同じなのですが、その外側に必ず農道があるからです。その農道の草刈りは、それぞれの端の田んぼの持ち主がすることになっているのです。
ふだん田んぼを見る機会の無い方には、こう書いてもうまく伝わらないことでしょう。1箱100円くらいの板チョコを思い浮かべてもらえば、何となくわかるかもしれません。一枚の板チョコには割りやすいように溝が付いています。それをあぜと考え、区切られた一区画を一枚の田んぼと考えます。あぜに当る溝の部分は、隣同士で共有しています。草刈りも交互に行います。チョコの場合は一番外側の区画の外周部には溝に当る部分がありませんが、田んぼには当然あぜがあります。そして、チョコ全体が入っている箱の部分を農道と考えると、両端の田んぼの持ち主が隣接するその部分を刈ることになるのです、うまく伝わるでしょうか?
いづれにしても、草刈りは大変な仕事です。何でもそうですが、この仕事も、以前草刈機が無かったころはどんなに大変だったろうと思ってしまうのです。
それはともかく、草の中にはたくさんのカエルが潜んでいます。その他にもいろんないきものがいるとは思いますが、カエルのようには目立ちません。草刈りをすることで、高速で回転する刃がカエルのいのちを奪ってしまうことになります。運良くその刃を逃れたとしても、その際にいのちからがら流れの速い水路に飛び込んだりするので、その結果、どこまでも流されていくことになってしまいます。本当にかわいそうだと思うのですが、どうすることもできません。農業って、目に見えないようなところで、いろんないのちを奪っているのだと思います。そして食べものという形で、まさしくいのちそのものを奪っています。できれば食べものを粗末に扱って欲しくないし、私自身もなるべく捨てることの無いようにと思いながらお百姓をする所以です。
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2006年5月31日
| 波紋 |
植えられてから10日ほど経った苗。新しい葉っぱはまだ出てきていませんが、根っこの方は順調に出ているらしく、シャキッとしてきました。
田んぼの中をゆっくりと歩きますと、足をつくたびに波紋が静かに広がります。坪当たり70株の割合で植えられた苗の間を通って、どこまでも広がって行くのです。次の足をつくと、最初の波紋を追いかけるように新しいそれが広がり、その次、さらにその次と、果ても無いかのように続きます。
波紋が通り抜けるたび、苗は少しくすぐったいのかな。多分そんなことは無いでしょう。動く波紋自体も動かない苗も、どちらも互いに相手に抵抗することなく、あるがままにやり過ごします。なんて、そんなふうに感じるのは、勝手な思い込みに過ぎません。
何の音もたてずに静かに広がっていく波紋。でも、作業の手を止めて耳をこらしてみると、何となく音が聞こえるような気がして、ふと立ち止まったこともあながち意味の無いことではなかったななどと思った、風の無い早朝のひとコマでした。
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2006年5月25日
| 残った苗のゆくえ |
田んぼは水鏡に
先週土曜に始めた田植え作業は、おとといのお昼で終わりました。終わったというのは、とりあえ田植機械での植え付けが済んだということです。機械の運転作業上、四隅など部分的に植え付けできない箇所がどうしてもできてしまいます。また、苗や田んぼの不具合で植え付け状態が一部思わしくなかったりする箇所もあったりします。機械での植え付けが終わると、ひととおり確認や手植えを行わなければならない所以です。
苗を育てる場合、どうしても予定必要量より多くの苗箱を準備しなければなりません。種を播いた苗箱のすべてが、順調に育つとは限らないからです。田植機械は、坪当たりどれくらいの苗を植えるかを変更できる仕組みになっていますが、それらはおおよその目安であって、決してそのとおりに物事が進むとは言い切れません。なので、必要箱数の何割り増しかを準備することとなります。
機械植えが済んだ段階で、残った苗の一部を(それはほんの一掴みでしたが)自宅の神棚にお供えしました。
農家の多くは家の中に神棚と仏壇を置いています。種まきをした日には、それぞれに「きょう種まきをしました」とこころのなかで報告しました。田植が始まった日には「おかげさまで無事田植までこれました」と報告。そして手直しがほぼ終了した今晩は、「今年も無事田植を済ませることができました」と報告しました。
決して神道を深く信仰しているわけではないのです。ただ、家にそれがあるから、何となくです。お供えした苗は、きょうの夕方に開いたスペースに植えました。
ビニールハウスの中には、多めに育った苗が残っています。植えられる場所が無いそれらの苗は、明日にも処分されることとなります。こう書くとどこか他人事のようですが、処分するのは私の仕事です。
ハウスの中で毎日、「良く育ちますように」と願われていた苗。最後に残ったそれらの一部は、良く育ったのに田んぼに植えられることなく、処分されてしまうのです。可哀想なことです。
結果として植えられることにはならなかったこれらの苗たち。それは無駄な命だったのでしょうか…。決してそんなことはありません。花開き実をつける(お米になる)ことはできなかったけれど、とても大きな役目を果たしてくれたのでした。そして箱の中の土いっぱいに根を張ったこれらの苗たちは、来年の春までかかって腐葉土(の一部)となり、別の命をはぐくむことになるのです。そんなふうにわかっていても、明日はやっぱり可哀想な気がすると思います。
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2006年5月18日
| 田植え時の夕暮れ |
田植えまであと数日となりました。さきおとといから代かきをしています。明日午前中で終わりそうです。この辺では最後の方の部類です。たいていの農家はもう済んでしまい、この土日が田植えのピークとなりそうな感じです。
田んぼがいちばんにぎやかな季節となりました。朝、そして夕方。いっぱいの人があちこちに見えます。勤め先から一目散に帰宅して、作業にとりかかる人もたくさんいます。といっても、田んぼにうじゃうじゃ人がいるというわけではありません。
区切りのいいところで代かきを終わらせた夕方…。時間はすでに6時半を回っています。済んだばかりの田んぼに水を入れ、それがどんどん入っていく様子。あるいは明日の朝までかかってゆっくり入ればいいと、入水口を少しだけ開けてチョロチョロと入るようにしたり。いづれも、水の入る様子はどこかこころをなごませます。
夕時になったことで、風はすっかり止んでいます。ほとんどの田んぼが代かきが終わり、一面の水鏡です。地上の景色がすべてそこに映り、とてもきれいなんですよ。
あちこちに散らばった田んぼの水の入り具合を確認するために、自転車に乗りました。3段変速付きのママチャリ。ギアをいちばん重くして、力を入れてペダルを踏んでる実感と進んでいる自分自身が何となくうれしく思えて、この夕方の風景にずっと身をおいていたい気分でした。
もっといろいろ書き記したいけど、うまく言葉になりません。肉体労働は思考力を著しく低下させます。
初めてのビニールハウスでの育苗は、後半土壇場になって、苗の状態に不具合が現れ出しました。いろいろ悩んだ末、一定の対処をしました。そのいきさつは、田植えが終わってからゆっくり書きたいと思っています。
少しだけしっとりした雰囲気の夕暮れ。NSPが「さびしそう」と歌った「夕暮れ」は、いったいいつごろの季節だったんだろうと、ふと思ったことでした。
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2006年5月14日
| 5月の雨 |
冬の郵便配達を始めてからだったか、あるいは始める前だったか、ちょっと忘れてしまいましたが、冬場の仕事先として、造り酒屋さんの面接を受けに行ったことがあります。仕事の内容は、杜氏さんの助手でした。
お酒ができるまではいろんな工程があります。そのほとんどは、たぶん日中に行われているのだと思います。ただ、いわゆる仕込みというものが始まって、杜氏さんの役割がとても重要になってくると、醗酵具合の確認や、その時その時の対処、そしてまた確認と、おそらく日に何度も見回ることだと思います。それは昼夜を問わず、です。その時に一緒に見回って、温度調整のためのいろんな対処をする際の助手をしてもらいたいということなのでした。あとは、いろんな仕事の補助を少し…。
勤務時間は、朝かなり早い時間から通常の勤務の人たちが出てくるまでと、夕方頃から9時頃までだったと記憶しています。日中、ぽっかり時間の空く勤務形態でした。朝と夜のごはんは出ますよ、とのことでした。
「勤務時間はいちおうこうなっていますが、できれば泊り込んでもらえる人が良いです」
会社の希望は、こうでした。夜中に見回りしなければならないこともあるし、そんな場合はその時の対処が適切だったかどうか、少ししてから確認に行かなければならなかったりする。朝も同じような意味で、勤務時間前にそんなふうになる場合があるとのことだったのです。
「あなたは農家だから良く分かるでしょう。稲も田んぼに植えてしまえば、作業量そのものはずいぶん減ります。けれども、日に何度も見回りに行って、その時々の対処をすることでしょう。お酒造りもちょうどそのような感じなのです」
杜氏さんと同じ部屋で一夜を共にする…(ワォ)。実際は、一夜どころか4ヶ月くらいだったかな。っていうことは、家では寝られない…。そりゃ、マズイよ。雪もいっぱい降るこの地域。泊り込みでないにしても、早朝に出るってことは、まずいちばんにするべき家の除雪ができないよ…。
お酒造りには、何となくロマンチックなものを感じます。実際は男性中心の世界だと思うので、ロマンチックなどというのとはほど遠いことでしょう。でも、お酒の完成に向けてその時間に身をゆだねるというのは、そんなふうにできたらいいなぁ、なんて思ってもしまうのです。その当時?「夏子の酒」という漫画が読まれました(テレビでもドラマ化され、和久井映見が主人公役でした)。そのことも少しは関係していたかもしれません。実際、杜氏さんの多くは、農家の方が出稼ぎとう形でやられていたようですし、同年代の農家の人で、そうした仕事に就いた人を何人か知っています。夜ずっと離れていても淋しくなかったんですね。「バカ、何言ってんの(ひとりツッコミです)」
さて、きょうは雨。と言っても、昨日の夕方から続いた雨もこの時間には止んでしまいました。ずっと休み無しで来ているので、きょうは外の仕事を休むことにしました。でも家を離れることはできません。育苗ハウスには、大事な苗。急激な天候の回復は、ハウス内の温度をあっという間に高温にしてしまうからです。代かきのために田んぼに入れている水の入り具合もちょっと見に行かなければなりません。休みのような休みでないような…。ふと、造り酒屋さんでの面接のことを思い出したのでした。
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2006年5月12日
| 我田引水 その1 |
どこの家でも田起こしが終わって、いよいよ代かきが始まりだす頃となりました。ちょうど良い水位に調整して、もう一度田起こしのような作業をします。そうすることにより、土は軟らかくなり、田植えにちょうど良い状態になります。
代かきをするために水を入れる時は、大量の水が必要とされます。そしてそれは、勢いがつよくなければなりません。田起こしがされ、すべて土塊となった田んぼの手前から向こう端まで水が行き渡るには、静かな流れでは無理なのです。
用水路には、当然のことながら、大量の水が流れてきています。でも、一度にすべての農家の人が入れようとすると、量、勢いともに分散され、すべて中途半端になってしまいます。そのためそれぞれが、タイミングを見計らって入れてしまうこととなります。
これがうまくいかないように思えて、実はうまくいくんです。気の早い人、のんびりした人、遅い人、いろんな人がいるので、何日間のうちに、間違いなくすべての田んぼに水が入ります。そして、順次代かきができていくと、表面が滑らかになったせいで、水はとてもスムーズに入るようになり、あとは田植えの時期を待つことになります。
「我田引水」とはいえ、この時の周囲の農家との駆け引きは、稲を植えてからのそれに比べれば大したことはありません。
ここでは5年ほど前、田んぼの区画整理事業があり、その際に用水路もずいぶん改善され、水不足の心配も無いようになりました。以前は、いろいろありましたし、歴史をさかのぼればさらに大変だっただろうことは容易に想像されます。
いろんなものがそうだろうと思いますが、充分に無いばかりに争いが起き、しかもそれは、しばしば暴力を伴ったものになります。程度の差はあるにしても、必要とする人に必要とする量が行き渡る時、争いは自然に無くなります。地球のどこでもそんなふうになると良いですね。
あちこちの田んぼに水が入りだしたここ数日、遠くからの使者、ツバメが目に付くようになりました。和賀屋の周囲も何度も飛び交っています…。
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2006年5月10日
| 夜の育苗ハウス |
きのうの最高気温は27℃近くまで上がったようです。暑い一日でした。この時期としては珍しく、日中ほとんど風が無く、まるで時間が止まったかのような気さえするひとときもありました。
夜になっても良く晴れていて、満天の星空。満月まではまだ少し日数がありそうなものの、半月を過ぎてそれなりの大きさとなった月も存在感を示していました。そしていつの間にか寒い風が吹いて…。
ふと思い立ってビニールハウスの中に入ってみました。ハウス内の温度と外気温が逆転したためでしょう。ビニールの内側は汗をかいていて、ハウスの中から見上げる星空は、ぼんやりしていて焦点が合いません。それでも、稲の苗になった気分で、ちょっとの間、星や月を見ていました。透明のビニールがすっぽりと覆ってくれているおかげで、ハウスの中は寒い風を感じることなく居ることができます。静寂の中に、果たして眠りについているのかどうか、たくさんの苗のいのちを感じます。それは、何か独特の雰囲気でした。
田植えまで10日と少し。「このあとも無事育ってくれよ」とこころでつぶやきながら、ハウスをあとにしました。
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2006年5月8日
| 田起こしと重なった「ふくたち」の収穫 |
昨年秋に播いた青菜類の種。冬が来るまでに収穫可能な大きさになり、あるものは食べられあるものは売られ、そしてあるものはそのまま畑に残されました。
雪の下で(あるいはハウスの中で栽培される場合もあります)冬を越したそれらの株から、春になると「とう」が出てきます。こちらでは、その「とう」のことを「ふくたち」と呼んでいます。この言葉は年配の方たちには一般的なのですが、聞いたことが無いという年代の人も多くなってきました。
「ふくたち」は春一番の露地野菜です。まだ寒い日もあったりする4月下旬頃から収穫できるようになります。
この「ふくたち」をイメージするものとして、多くの人にとっては「菜花」が有名かもしれません。茎の部分を紙で束ねて、お店で売られています。産地がどこなのか自信がありませんが、千葉産のものも多く出回っているような気がします。
いろんな青菜から、その品種特有の葉の形をした「ふくたち」が出てきます。我が家では昨年植えていてそのままになっていた「べんり菜」や「小松菜」から、いまどんどん出てきていますが、これらは予想外でした。これとは別に「ふくたち」用に種を播いた、「三陸つぼみ菜」、「東京あおな」があります。どの青菜から出た「ふくたち」もおいしいです。何と言っても、冬の寒さを乗越えて花を開こうとするそのエネルギー…。元気のもとと言っても言いすぎではない気がしています。
「ふくたち」は旬の野菜。収穫期間は2週間くらいでしょうか。株の中心から出た最初の「とう」を摘むと、次から次へと脇芽から2次発生して、ついには摘むのが追いつかなくなり(茎もしなやかさが無くなります)、一面黄色い菜の花畑状態となります。その面積はほんのわずかの場所ですが、耕された後雨に濡れてチョコレート色になった田んぼの土の色とのコントラストが、目とこころを楽しませてくれるのです。
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2006年5月6日
| 田んぼの耕起 |
大型連休も残すところあと一日となりました。おとといからきのう、きょうと晴れだった当地です。同じ秋田県でも、昨日の天気は雨になった地域もあったようですから、幸運な三日間でした。
何が幸運って、この天気で田起こしができたんです。今年の春の天候はとても不順で、田んぼはなかなか乾けずにいました。土はフカフカ状態。トラクターで田んぼに入るのをためらってしまうような状況が続いていました。
「はたして、今年の田起こしはどうなるんだろう?」
誰と会っても、そんな挨拶が最初に交わされるほどだったのです。
田んぼの乾き具合は、お世辞にも良いとは言えないような感じでした。それでもどうにかこうにか済ませることができたのは、三日間の好天(きょうは雨が予想されていたのです!)のおかげでした。田起こしが済めば、とりあえずは天気の心配はずっと少なくてすみます。今晩はとてもホッとしています。
ところで、田起こしの際にたくさんの肥料を撒きます。いま撒かないで田植えの時に同時に撒く農家もありますが、我が家では田起こしの際に行います。
おいしいお米ができるよう、有機質原料を主にした肥料を撒きますが、こうした肥料は通常のものと比べて肥料成分が少ないため、たくさん撒かなければなりません。普通は多くても二袋(20キロ入り)くらいのものが、四袋かそれ以上となります。
人力による散布…。計算してみると、この三日間で1800キロぐらいの肥料を撒きました。田んぼの中を歩いた距離は20キロくらいです。徳川家康でしたっけか。「人生は重い荷物を背負って、遠き道を往くが如し」
そんな言葉が浮かんできたりしたことでした(笑)。ちなみに、この作業は仲良く?二人でやりました。
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2006年4月27日
| 種まきの話 その2 |
あいかわらず肌寒い日が続いている当地です。22日、23日はきっとたくさんの農家が種まきをしたに違いありません。平年並みの気温が続いていれば、少しは土の中から芽が出だしているかもしれないこの時期。どこの家の話を聞いてもそれらしい様子は見えません。それどころか、もう少し早く種まきをしていた農家の中には、種が低温で発芽不良となり、腐ったのも出ているようだというような話さえ聞こえているようです。苗がちゃんと育たず、予定通りの量が確保できないとなれば、大変なこととなります。そんな懸念がされるこの頃です。困った年になりました。
時々雨が降り、さっぱり気温の上がらない日が続いているので、畑を耕すこともできずにいます。いまいちばんに播く(植える)必要のあるものはジャガイモの種です。種イモの準備はすっかりできているのに、かんじんの畑がどうにも手をつけられない状態ですから、手をこまねいているしかありません。
いつもの事ながら、スーパーのチラシには「新じゃが」の文字が見られるようになりました。こちらではまだ植えることさえできずにいるのに、すでに収穫して食べている地域も…。日本はつくづく広い(縦に長い)ですね。
あさっては、歩いて10分ちょっとの距離にある小学校の運動会のようです。子どもはすでに小学校を卒業して久しいのですが、どこからともなくそんな情報が聞こえてきました。例年であれば、グラウンドで行われている行進の練習など、いろんな声や音、音楽が聞こえてきているのに、今年はほとんど聞こえない気がします。天気が悪くて外での練習ができないのかな?自分の耳が聞こえなくなっているのかな?どっちなのかははっきりしませんが、ともかくあさっては良い天気であってくれればいいなと思っています。走りっこではいつもビリだったので、運動会の日は雨が降ってくれれば良いと切に願ったものでしたが(笑)。
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2006年4月25日
| 種まきの話 その1 |
きのうは種まきをしました。そしてすぐビニールハウスへ搬入しました。育苗箱800枚、土を入れて水をかけて、種をまいて土をかぶせる…。たっぷり水かかった育苗箱は、5キロくらいの重さになります。これを軽トラックに積んでハウスのすぐ近くまで行って、降ろして一輪車に積み替えてハウスの中へ並べます。なかなかの肉体労働です。
最初に土を入れる作業だけはおとといの晩にやりました。日中、時間が取れなくて、夜になってしまったのでした。この作業は、3人いればうまく回ります。4人いればなお良いのです。何年か前から子どもたちには手伝ってもらっています。今年も数日前に言ってありました。
夜の作業になったことで、仕事の内容は同じでも気分はちょっと違います。子どもたちは音楽を鳴らし始めました。いろんな曲が流れ、そのなかである曲になったとき、ふたりが口ずさんだのです。
その時、ふとうれしくなりました。何と言ったらいいのかわかりませんが、うれしかったのです。
子どもたちが仲良くしたり、時にちょっとした行き違いがあったり、助け合ったり、お菓子を分け合ったり…。そんな光景を目にすると、見ているこっちがすごくうれしくなります。
作業そのものはとても単純なものでしたが、3時間以上かかってしまいました。
「手伝ってもらって良かったな」と何度も言って、労をねぎらいました。
「一年一回のこの作業(の手伝い)が、子どもたちのこころにはどんなふうに残るのかな」と、最後に作業場の電気を消す時に、今年もそんなことを思ったのでした。
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2006年4月20日
| さんびくても(寒くても)どうにかこうにか |
ずっと寒かったのが、昨日は5月中旬並みの気温となりました。そしてその暖かさは今朝まで続き、朝の段階で17℃でした。10時頃より雨が降り出し、ついには本降り。そして午後からはみぞれから本格的な雪となりました。雪はとても大きなもので、あっという間にあたりは白一面となったのでした。
昨日午後、充分な浸水期間を経た種もみが、いよいよ催芽の段階を迎えました。約一ヶ月の育苗期間をほとんどの種が揃った生育をするために、そのスタートとなる出芽はどうしても一斉に始まる必要があります。そのため、水から引き上げた種もみを40℃のお湯で湯通して、それから32℃に設定した温水の中に浸けます。この手順を踏むことで、すべての種が揃って芽を出すのです。
32℃の温水に浸けたのは午後4時半でした。そしてきょうのお昼前、ほとんどの種が芽を出したのです。雨がひとしきり強くなった頃でした。
せっかく芽を出したというのに、その種もみを待ちかまえている事態はあまりにつれないものです。というのも、袋に一定量入って芽が出た種もみは、温水に入っていたため、内部がとても暖かいままです。表面になっている部分は熱が冷めますが、内部は熱がこもって、さらに熱くなるのです。そのため、そのままにしておくと芽がどんどん伸びて、もやし状態になってしまいます。そうなると種まきができなくなるので、芽の伸びを強制的に止めることになります。どうするかといえば、冷水に浸けて内部までよく行き渡らせ冷やすのです。あったかいお湯の中で、安心して思わず芽を出してしまったと思ったら、いきなり冷や水…。「冷たい仕打ち」というのは、まさにこんなことを言うのかもしれません(苦笑)。
農園のある爺(主)に充分に冷やされてしまった種もみ。春の陽気が良い日の出来事であれば、その後の陰干しも、種もみにとっては気持ちの良い時間かもしれませんでした。ですが、気温はどんどん下がって0℃!もさもさと降り続く雪が、きっと恨めしく思えたことでしょう。
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2006年4月10日
| はっこいのがかわいそうな気がして |
おとといの朝、浸種をしました。予定はさきおとといだったのです。それが予報を聞いたら、おとといの朝は「強い冷え込みとなり霜注意報」が出されたのです。水に浸してすぐに、氷も張るような冷水とはあんまりかなと思い、おとといの朝、気温がある程度あがってからにしたのでした。
以前は、4月に入ってすぐに浸種したことが何度もあります。厳しい冷え込みのあった朝は薄く氷が張ったりしたものでした。それでも稲の種は大丈夫で、時期が来るとちゃんと芽を出すのでした。
ちゃんと芽が出たとはいえ、ダメージが全然無かったかというと、それについては定かではありません。今後のために冷たい環境を経験させた方が丈夫に育つという意見もあれば、極端な低温で稲の育つ力を萎えさせてはいけないという意見もあります。育児についての方法がさまざまで、しばしば両極端な意見があるように、植物の管理についてもいろんな考えがあるのです。そして、そのどれもが絶対に正しいということはありません。
少しばかり突飛に思える、けれども妙に理にかなっている管理方法なども、何となく心引かれるものです。ついつい真似をしたくなることもあります。けれども、その考えの背景となる部分についての認識が不充分だったり、あるいは少しも考慮に入れず、ただ形ばかりを真似したりした時、手痛いしっぺ返しを食うのも事実で…。栽培ってつくづく難しいものだと思います。
霜注意報の知らせに浸種をためらった自分。種ッコがいとおしくてのことだったのですが、トシかな、そんなことを感じたりもしたのでした。
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2006年4月6日
| 明日は浸種! |
いよいよ明日の午後、浸種作業に取り掛かろうと思っています。種籾を細かい網目状の袋に入れて水に浸す、ただそれだけです。種を自分の家の稲から採っていた頃は、水に浸す前に塩水選という作業がありました。比重1.10前後の塩水を作り、その中に種籾を入れて、浮き上がってきた軽い籾を取り除く作業でした。これにより充実度の良い種籾が残ることになります。
規定の塩水を作るには大体の混ぜる目安がありますが、比重を計るには生卵でもできるのです。塩水に生卵を浮かべ、その様子で1.08〜1.13まで大体計ることができます。卵にはこんな用い方もあったのでした。
種を買うようになったと前に書きましたが、届く種はすでに選別されていて、いまでは塩水選の必要は無くなりました。たっぷりの水に10日前後浸します。一日おきくらいで水は取り替えられます。10日後その種がどんな状態になっているかと言えば、それについては、次に書くことにします。
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2006年4月2日
| 夜の雨 |
ここに立ち寄ってくださった方にありがとうです。「おこめのできるまで」をいろんな角度から書いています。
曇り空だったきょう、いつしか雨が降り出しました。雨足は時間の経過とともに強くなり、屋根を叩く雨音もずいぶん大きくなりました。この雨は明日いっぱい続くとの予報です。あと少しとなっていた田んぼの雪も、きっとこの雨ですっかり消えてしまうことでしょう。いよいよ田んぼの土が顔を出すのです。
昨日の夕方、家の前(正確には後ろ側になるのですが)の我が家の田んぼに、2羽の白鳥がいました。
北帰行の始まっているこの時期、この場所を一生懸命に飛んでいく一群もあれば、近くの田んぼで羽を休め、食べ物をついばんでいる一群もあります。たくさんの田んぼの中で、白鳥たちが降り立つ場所に選ばれる確率は、もしかすればお年玉年賀ハガキの二等に当たるくらい?かもしれません(笑)。たった2羽とはいえ、思わず「やったぁ」と、こころのなかでつぶやいてしまいました。
雨の音はひっきりなしにしています。夜の雨の音はどうしたって寂しさを感じさせます。でもそれは私に限ってのことなのかもしれません。トタンを叩く音や雨だれが土やコンクリートに落ちる音…。玄関の内側に置かれ、間もなく水に浸けられる種籾には聞こえているかもしれません。高層階の建物に住んでいる人たちには聞こえるのかな。ふとそんなふうに思ったことでした。
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