無農薬玄米等の美味しいお米を販売。農家おすすめの美味しいお米を産地直送で販売/通販する産直お米通販のお店。美味しい玄米のお米通販、有機栽培米のお米通販ならここ!
安全性と美味しさ にこだわったお米を産地直送でお届け
×
農場だより(ボンブ(ウ)ガルテン)

ボンブ(ウ)ガルテン
ボンブ(ウ)ガルテン

3時間前にオンライン

代 表 者 : 中田宏明 
所 在 地 : 秋田県
生 産 歴 : 45年
モットー : 『なんもだ。さっとずづ やっていご(大丈夫、少しずつ進んでいこう)』
  • 2019年産米放射性物質検査 2019年産米放射性物質検査
  • 29年産米の食味値は82点で 29年産米の食味値は82点で
 
 秋田県の内陸南部は雪の多いところです。ここに住む多くの人たちが思わずため息してしまうほどのたくさんの雪が、実はおいしいお米の源なのです。
 まかれた種が、お日さまはもちろん、お月様や星のまたたき、かぜ、田んぼに入る水、ちいさな生きもの達、その他いろんないのちといっしょの時を過ごし、おいしいお米となります。私たちのできることは、ほんのお手伝い。
 食べてくださる方々の食卓がなごやかになりますようにと願いながら、みなさまのところへお届けします。

 ボンブ(ウ)ガルテンのボンブは凡夫。ガルテンはドイツ語で庭とか園の意です。平凡な人の園というわけで、現在4人の家族です。

6/10ページ[最新]

2008年10月18日

秋の夕暮れ
軽トラックに載った籾袋
軽トラックに載った籾袋
 一昨日の夕暮れのひとこま。ビニールシートに広げて乾かしたもち米の籾を、再び袋に入れて作業場まで持ってきました。車から降りたら、もう赤トンボが5匹くっついていました。
 もち米は植えた面積が少ないので、機械で乾燥するには量が少なすぎて、どうしても天日乾燥となってしまいます。天日乾燥の方が機械乾燥に比べたらおいしいんだよと言う人もいます。でも、乾燥機もずいぶん進歩して、どういういふうに乾燥を進めていったら、おいしさを損なわずにできるかということをずっと追求しています。一方、自然乾燥の方は、乾燥中の好天と雨天の繰り返しにより、おいしさが流れ出してしまうとも言われています。

 どちらにもそれぞれの特徴があります。良し悪しはありません。生産者として、いまどちらを選ぶのか、消費者としてどちらを選ぶのか、それぞれの組み合わせがあるわけで、どういう組み合わせになろうとも、それがその人にとっては最善ということになることでしょう。

 4匹は簡単に見つかりますが、5匹目はなかなか見つかりにくい場所にいます。赤トンボ…、人を怖がらないんですよ。田んぼでヤゴから羽化した瞬間、最初の目にするのがお百姓だからでしょうか(笑)?

2008年10月16日

お米の便り(続き)
 失敗ついでに、昨年今頃の失敗というか、「高かった授業料の話」を書きます。他人の失敗は蜜の味、なんて言葉もあるくらいですから(笑)。あっ、失敗じゃなくて不幸でしたっけ?
 九州のある広告代理店から電話がありました。内容は、某スポーツ紙九州版のグルメ企画で秋の味覚を紹介するので、御社の広告を載せませんか、というものでした。インターネットで当園の(良い加減な)ホームページを見て、電話してきたようでした。この手の広告は見込みなしと思い、かかった費用を回収できるとも思われなかったので、一度は断ったのでした。でも、「御社のお米の値段は、決して高くはないですよー。九州ではそれ以上の価格帯のものが多いんです。それに味もごくふつうですし。新聞の発行部数は**!部」の甘言に…。

 いつもであれば石橋を叩いた後は間違いなく引き返す凡夫ですが、その時は叩いている内についつい歩を進めてしまったのです。数年前からこの時期には九州の新聞(広告代理店)から案内が来ていたことなどが、頭の中でグルグル回り始めてしまったからでした。それで結果はと言うと、これが散々でした。散々と書くとまるで何かがあったみたいですが、現実にはほとんど何も起こらず、あはは、一発勝負は胴元の総取りとなったのでした。

 50目前の男性の言う「高い」授業料ってどれくらいだと思います?前号でもついつい大げさだった文面は今回も健在で、実額を書いたらおそらく笑われてしまうでしょう。新米のお届けはいつも緊張しますが、オリコメをつまみに笑って食べていただければ何よりです。はい、この10月もどうぞお元気で!

2008年10月16日

お米の便りは10月号となりました
 ぼやぼやしているうちに、新米とともに10月号のお届けの時期となってしまいました。9月号では、「(新米について)後日あらためてご案内させていただきたいと思っていますので、ご検討のほどよろしくお願いします」と書いたのでしたが、ご検討も何も、その材料(栽培管理等)さえお知らせせぬまま、まずはお米を届けさせていただいております。長いお付き合いをいただいているみなさまには充分にお分かりのことと思いますが、過去、現在と、自分には甘い凡夫であります(未来はもっと甘い?)。いいかげんなものを作成するための時間稼ぎのためではありませんが、次回のお届けまでお待ちいただけますよう、お願いいたします。

 今年の稲刈り作業は、雨の日がちょこちょこあったこともあり、10月2日までかかりました。雨が降らないと、毎日稲刈りができて、本来であれば好ましいことなのですが、籾すり作業も並行して休みなく行なう必要に迫られるため、実際にはかなりキツイんです。その点、今年は、雨のおかげで作業の進行にも若干の余裕が生まれ、本当に幸運だったと思います。   
 オリコメを書いている今は8日夜。田んぼに稲はありませんが、この時点でまだ屋内に貯留している籾は、稲刈り3日間分の量。籾すり作業に要する時間は、機械が順調だと12時間程です。他の作業もしながら2、3日でやり終えたいと思っていますが、その前に、すでに満杯となっている籾殻の廃棄場所から、籾殻をどこかに移動しなければなりません。等級検査の受検やコンバインの掃除などなど、いつものことながら、当園の農繁期はまだ少し続きます。

 ところで、この3日間分の籾が玄米になり袋詰めされると、200を少し超える数になるのではないかと見込んでいます。一袋30キロです。これを運んで高く積み上げていくのですから、「いったいいつになったら痩せるのかしら?」という、凡婦の口から発せられるギモンももっともなことなのであります。
 実はこの秋、凡婦が持ち上げた数はすでに400以上。でも凡夫の長年の体験からして、そうしたことはついぞかなえられたためしが無いのでありまして、それどころか、過大な負担を掛けている面目無さで、こちらの方が冷や汗三斗。まさに身の細る思いなのであります。一時は直射日光から身を隠していたこともあって、ずいぶんと色白になったのでしたが、はい、頭部は一気に寂しくなりました。せめて五十の声を聞くまではと思っているのですが、「髪が細部に宿る」との名言は、私の聞き間違いだったのか…。
 そんな和賀屋の事情はともかく、北国秋田では、秋の気配も色濃くなってきた昨今です。

 今年のお米作りは最初から思いがけない出来事の連続でしたが、こうして収穫の秋を迎えることが出来たのは、本当にありがたいことです。四方八方、あらゆる方向に手を合わせたい思いですが、引き続きお付き合いを続けていただけるみなさまにも、その思いを強く感じております。あらためて、こころよりお礼申し上げます。
 でも、いろんな理由で、もういいかなと思われた際には、どうぞ遠慮なくおっしゃってください。「あんまり少しだから申し訳なくて…」なんていうのは、「こちらではなんぼ少しでも大丈夫ですから」なんて返答してしまいますので、「知り合い(か同級生)から、お米を買ってほしいと頼まれて断れなくて」とか「子どもの結婚相手が農家の人で、そっちからいっぱい送られてくるようになってしまったの」というような理由を言っていただければ、話は簡単かと思います。

2008年10月7日

秋田県南部からあきたこまちの販売開始です!
 当園の田んぼよりとれた20年産米を、いまみなさまのお手元に届けることができますことに、こころから感謝申し上げます。
 4月初めから本格化したお米作りは、10月始め迄の稲刈りをもって一段落となり、同時進行した機械乾燥や籾すり作業の後に玄米となって、無事袋詰めされました。
 
 大地は今年もたくさんの恵みをもたらしてくれました。多くの人の生きるちからとなるたべものをいっぱいに育ててくれたにもかかわらず、そんな大それたことをしたというふうでもなく、そこに在ります。天のはたらきも、数えあげればきりがないほどたくさんの
ものでした。私どもはただただ、食べてくださる方々の食卓がより和やかなものとなるために、このお米が役にたてますようにと願うばかりでした。

 このお米は、できるだけよろこんで食べていただけるようにと、肥料に工夫をこらす一方、薬剤の使用を少しでも減らしたいという思いで育てられました。そのため、黒い線や斑点が付いているものが若干入っていますが、食べても一向に差し支えないものですので、ご寛容のほどお願いいたします。
 ご案内のお米につきまして、お気付きの点やご質問などございましたら、遠慮なくお知らせいただければさいわいに存じます。20年産米もどうぞよろしくお願いいたします。

2008年10月4日

つい、「文型?」

 乾燥機での乾燥が終了すると、その籾を少し取り出して、写真のような水分計で水分を計ります。乾燥機には水分計が付いていて、希望する水分にセットしておくと、その数字になった時に、自動的に止まります。ですが、必ずと言って良いほど誤差があるので、確認するのです。
 手前にある試料皿の銀色の部分に玄米を入れて、上の水分計に差し込み、ハンドルをひねると、あら、水分が…。

 以前は15〜16%が「適正水分」と言われ、出荷する時はこの範囲内でなければなりませんでした。いまでは14〜15%くらいを求められます。お米の保管が長期にわたった場合に、カビなど生えないようにということらしいです。まったく同じお米を乾燥させた場合、実は15〜16%の方がおいしいんですよ。

 この水分計で、5、6回計って平均を出します。バラツキがあって、とまどうこともしばしば。最後の最後まで気が抜けません(苦笑)。

2008年9月29日

稲作農家の秋
 稲刈りが最盛期の、ここ秋田県南部です。コンバインと呼ばれる大型機械が田んぼの中を動いている光景が、そこかしこで見られます。大きな農家が作業を請け負ってやる場合もありますが、個別に所有している農家の割合もまだずいぶんあるので、本当ににぎやかな光景となっています。

 コンバインで刈取られた籾は、乾燥機に入れられて、適正な水分まで乾燥されます。この機械にいっぱいになるまで刈取るので、乾燥作業(人ではなく機械自体がやります)は、夕方から始まり翌朝までかかります。場合によっては、午前中に食い込むこともあります。灯油を燃料としたバーナーで乾燥させるので、結構音はうるさいです。農家の人は慣れているのですが、そうした音とは無縁で育ってきて、田園地帯に家を買ったような人には、正直言って迷惑な音に聞こえるかもしれません。
 乾燥が終了した籾は、籾すり機という機械で籾殻が剥かれ、玄米の状態になります。たいていの農家は、この状態で袋詰めをして出荷します。

 朝あるいは午前中に、籾すり機に籾を移して空になった乾燥機には、その日刈取った籾が入れられます。天気が続けば休む間もなくこれが繰り返されます。この作業の合間に、剥かれた大量の籾殻を処分する作業やなんやかんやがあって、秋はやっぱり忙しいですね。
 田植えは雨が降ってもできるけど、稲刈りだけは雨が降るとできません。勤めながら田んぼをやっている人たちにとっては、せっかく休みをとっても雨が降ったら泣くに泣けないような感じだと思います。もちろん、いろんな事情で田んぼだけをやっている人にとっても(それは、ある程度の規模を耕作しているという前提があることが多いですから)、雨が近いと大変です。

 秋の農繁期と言っても、昔に比べれば機械の進歩でずいぶん楽になりました。でも、それを支えているのは、機械に対する多額すぎるほどの費用なんです。他のほとんどの農畜産物同様、お米も、作るより「買ったほうがいちばん安い」と思われて久しくなります。農家自身がそう思ってしまうのですから、本当に残念なことだと思います。

 お風呂に入る前にもう一度、作業場に乾燥機の作動状況を確認に行ってきます。外に出た時に月夜だと、なんとなくうれしくなるから不思議です。でも、この頃は月の入りが早いのか、 見えないんですけどね。

2008年7月9日

きっとせんだってのトンボ…
 昨晩遅く、居間にいたら、どこからともなくトンボがすーっと飛んできました。凡婦の腕の辺りにとまり、じっとしていましたが、その後飛び立ち、少し離れた場所に、こちらに顔を向けた形で降りました。それから今度は凡夫の腕にとまりました。

 日中家の中に入り込んでしまったのが、ふと灯りに誘われて飛んできたのでしょう。そうとはわかっていても、「誰かから言付けを頼まれてきたの?」と話しかけてしまった凡婦と凡夫。それぞれの頭の中には、あはは、白馬に乗った王子様や竜宮城のお姫様が描かれていたのかもしれません。…うふふ、エッ?

 7月は、10数年前、当園にとって大きな出来事のあった月。その日を目前にしての珍事でした。

2008年7月3日

一度ならず二度までも…
 きのうは「溝切り」という作業でした。専用の機械を使って、田んぼの中に何本もの溝を作っていく作業です。数日前に、田んぼから排水路に水を落とし、そうして、土が少しだけ固まるようにしてから、この作業を行います。

 田んぼの中に足を踏み入れるのは久しぶりです。あぜから見ていただけでは分からないような状況も目に入ってきます。思わずドッキリ…。

 水がほとんど無い状態だったので、まだ蛙になりきらないおたまじゃくしたちが、瀕死の状態でした。死んでしまったものもたくさんいました。もう数日したら、蛙になって、水が無くともどうにか過ごしていけたはずです。でもこの時期、稲のためにも、いったん水を排出する必要があるのです。
 赤トンボの羽化も始まり出していました。こちらも、田んぼの中のヤゴたちが、稲によじ登って赤トンボ(今はまだ赤くはありません)になります。透き通った、わずかに赤銅色の新しい羽が、お日さまの光をあびてキラキラ光ります。せっかく羽化して、あとは飛び立てるようになるまでのわずかな時間に、そのすぐ傍を機械が通り過ぎて、土の上に落としてしまうときもあります。やっとここまできたのに…。自然を相手に、お百姓もつくづく罪深い仕事です。

 さて、この作業は、泥田の中を機械とともに延々と歩くので、なかなかキビシイものがあります。はい、瞬間ダイエットで3キロ近くやせました。いっぱいの汗が搾り出されるためかもしれません。そしてお楽しみの晩ごはん(笑)…。頼りなくなったお腹のあたりの喪失感を埋めようと、いつもと違った精神状態(大げさ!)です。はい、何のことは無い、500mlのビールで、その喪失感の一部を埋めました。差し引きマイナス1キロのダイエット。でもきっと2、3日で元通り。夏の夜のはかない夢物語のようなものです。
 数日後、溝の形を確実にするため、同じ作業をもう一度繰り返します(汗)。

2008年1月29日

静かな夜
 冬は白一色の単調な景色といった感じがありますが、実際には雪の無い期間以上にさまざまな光景を目にする気がします。降る雪にもいろんな形や大きさがあり、その時の気温や風の状態によって同じような雪でもまったく違った印象を与えてくれます。
 雪の降らない朝の景色も、その色は多彩です。もちろん緑豊かな時期にかなうべくもありませんが、灰色、青色と一言では言い表せないような微妙な違いが、毎日のようにあります。

 きょうは落ち着いた空となりました。いくぶん日差しがあり、雪は落ちて来ず、風もありませんでした。夜になっても外は静かなままです。静かな夜に雪がしんしんと降っていることはよくありますが、きょうはそんな夜とは違っています。日中わずかに気温が上がった分、さっきまで屋根からは雪が融けてしずくの落ちる音がしていました。少しずつ夜が深まり気温が下がっていくにつれて、しずくの落ちる音の間隔が長くなり、いまはもう聞こえなくなりました。

 静かな夜です。人は別としても、あらゆるいのちが、雪の下でただじっと春を待っている…。そんな気配を感じるのは勝手な思い込みかもしれません。雪が間断無く降って、一日のうちに何度も雪寄せをしなければならなかった日は、つい数日前のことでした。もちろん、そんなにも多くの雪が降る日は、一年の内に何度もあるものではありませんが、冬が終わってみなければ何とも言えないというのも、真実なのです。
 その、ぐっと気温の下がった寒い日、休み無く降り続く雪の中で、いのちたちの息遣いを感じることはできませんでした。雪のちからがそれらをはるかに圧倒していたということもあるでしょうし、私自身にそうした余裕が無かったことも一因でしょう。
 でも今夜は、そんないのちたちの息をひそめている気配が感じられてならないのです。それはただ、ひと休みした降雪の状況に、ほっと一息ついた自分自身を投影しているだけなのかもしれません。

 止まない雪にため息をつく時期もあと少し。2月の中旬ともなると、厳しい雪の日があっても単発的となり、お日さまの光も日を追うごとに強くなってきます。きょうのような静かな夜も多くなってきて、本当にゆったりした気分になるのです。

 当園のお米はと言うと、スヤスヤ眠っているような気がしてなりません。

2007年11月19日

えっぺのゆぎッコさどでんしました

 今朝起きたら、一面の銀世界でした。初雪がこの時期になることはしばしばですが、朝うっすらと白くなっているといった程度が通常です。
 今年(今日)は違っていました。朝になってから本降りとなったのです。みるみるうちに長靴がくぐるくらいとなってしまいました。

 朝暗いうちから除雪車が道路の除雪をします。通学通勤時間に子どもたちや車が支障なく通行できるようにです。ところが今日は、除雪車がほぼ除雪し終わるような頃から雪がひどくなってきたので、大変な状況となりました。あっという間に30cmくらいの積雪となり、今日一日はあちこちでいろんなハプニングが起こったことと思われます。

 湿り気の多い雪でした。子どもが小さかったらきっと雪だるまでも作って楽しんだだろうな、なんて思っていたら、携帯で撮った写真を見せられました。家族(の一人)が作ったものです。夕方にはすっかり形が崩れてしまっていました。

 題は、いっぱいの雪にびっくりしましたというような意味です。
 これから降るたくさんの雪が、この地のすべての田んぼの土を肥えたものにしてくれるのです。

2007年10月2日

ボンブ(ウ)ガルテンの19年産米
 当園の田んぼよりとれた19年産米が、いまみなさまのお手元に届くことができましたことに、こころから感謝申し上げます。
 4月初めから本格化したお米作りは、9月末迄の稲刈りをもって一段落となり、同時進行した機械乾燥、籾すり作業ののちに玄米となって、無事袋詰めされました。

 大地は今年もたくさんの恵みをもたらしてくれました。多くの人の生きるちからとなるたべものをいっぱいに育ててくれたにもかかわらず、そんな大それたことをしたというふうでもなく、そこに在ります。
 天のはたらきも、数えあげればきりがないほどたくさんのものでした。お日さまのひかり、月の落ち着き、雨や風、水、そしてあらゆる生きもの。それらすべてが、稲のいのちをはぐくんでくれました。

 このお米は、できるだけよろこんで食べていただけるようにと、肥料に工夫をこらす一方、薬剤の使用を少しでも減らしたいという思いで育てられました。そのため、黒い線や斑点が付いているものが若干入っていますが、食べても一向に差し支えないものですので、ご寛容のほどお願いいたします。
 お気付きの点やご質問などございましたら、下記あて遠慮なくお知らせください。

 19年産米、いよいよ販売開始です!

2007年9月26日

「朝のぎ立ったら…」
 昨日の朝、虹を見つけました。ずいぶん久しぶりのことです。
 虹は太陽を背に向けた方向に出ます。朝はたいてい東側の方に目が行くので(田んぼも東側に広がっています)、朝の虹を見るなんてことはほとんどなかったのです。そんなこともあって、見ましたではなく、「見つけました」と書いたのでした。

 「朝のぎ立ったら川超えするな 夕のぎ立ったら空見るな」ということばを、いまは亡きじっちゃんが言っていたのを思い出します。
 のぎというのは、虹のことのようです。方言でしょうか、それとも古語でしょうか。朝に虹が出たらその日は雨になるから、川を越えて向こうの土地に行くようなことをしてはいけない。渡しの船が出なくなるので帰れなくなるよ。一方、夕方に虹が出たら、明日の空模様は心配要らない(見るまでもなく晴れとなる)」ということのようでした。
 朝は少し曇り空でしたが、その後テカテカと晴れてきたので、昔からの言い伝えも今回ははずれだなと思って稲刈りに精を出していたら、にわか雨が…。

 強い雨だったので、稲刈りは中断することとなりました。
 でも、雨をもたらした真っ黒い雲は、どんどん東の方に移動していきます。西の方にわずかながら青空が見えてきました。きのうは良い風ッコも吹いていたのでした。一度は濡れてしまった稲も、どうにか乾き、1時間弱の中断の後、再開することができました。西の空には、「天使のはしご」が現れたのでした。

2007年9月20日

いよいよ稲刈り始まりました
 残暑がきびしい当地です。
 今日は、最高気温が31.1℃だったという隣の市と似たような感じがしたほど暑かったです。本格的な稲刈りをスタートさせました。

 春や秋の農繁期は、休みが無く仕事が延々と続くので(大げさですね)、ちょっと大変です。
 いつの頃からか、こんなふうな考え方をするようになりました。
 「*週間後の*月*日ごろには、もう忙しさもとれて、楽になってる」
 「いくら天候が不順で作業が順調に進まなくても、いままで何処の誰も、田植えをしないでしまったとか、稲を全部刈らないうちに雪が降ってしまった、なんてことはなかった。(だからあせらなくても大丈夫!)」

 いつだったか、同じ集落の仲間にこんな話をしたら、
 「おれもそんなふうに思って仕事してるんだ」と言ったんです。
 彼は農家でありながら、勤めに出ています(日本の殆どの農家はそうです)。

 農業のことだけに限らず、いろんな場面でこんなふうに考えています。
「11月に入ったらきっと楽になってる…」
「来年の今頃は、いまの深刻な事態がどうにかなってるはず…」なんていう感じです。
 事態が好転した未来の自分から励ましてもらうのも、こころが軽くなるかも。未来の自分なら、「あの時は良くがんばったね。あの時の行動が、あの時にとることのできた最高の行為だったもんね」って言ってくれるに違いないから…。

 農繁期は来月いっぱい。あっ、それまで休みが全然取れないというのは、本当ではありません。
 「忙中燗有」って、たまには熱燗も飲んでるし(寒)。

2007年8月1日

いまさらながら
 稲の穂が、ちらほら出だしました。出穂と書いて、しゅっすいと読みます。秋田弁では名詞に「ッコ」をつける場合がありますが、穂にもつけるので、
「いよいよ穂ッコ出できたなぁ」なんてあいさつが交わされる時期となりました。

 育っている稲の隙間に雑草がずいぶん生えてしまい、夕方近くになってから草取りをしました。今日のニュースで報道されたある出来事のように、「いまさらながら」の対応だなと、草取りをしながら苦笑したことでした。
 完全に取り切れるわけでもないので、残った雑草からは、やがて種がこぼれ、来年につながっていくのです。いまここで取ることにどれくらいの意味があるんだろうと、自分でも半ば首をひねりながらの作業でした。

 でも、これから実っていくお米にとっては、雑草に養分を奪われないから、ささやかながらでも良かったはずと思い直しました。こころなしか、稲ッコたちが喜んでいるような…。
「いまさらながら」ですが、もう少しがんばります!

2007年7月24日

終売のお知らせとお礼
 当園の18年産米をお引き立ていただきましたみなさまへ。

 7月も残すところあとわずかとなりました。約2ヵ月後の収穫に向かい、田んぼの稲ッコたちは、穂が出る前の最後の葉っぱが、いま出ようとしているとことです。
 「厳選米」用に確保していた、決して多いとはいえなかったお米も、おかげさまで当方の予想を超えるお引き立てをいただきまして、在庫がなくなってしまいました。こころから感謝申し上げます。
 あわせて、もう一、二度ご注文くださる心づもりをしておられたみなさまには、大変申し訳ない思いでいっぱいです。なにとぞご容赦の程、願います。

 19年産米も、これまでのところ順調に生育しております。よろしければ、再度のご縁をいただければと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。

 これからなおいっそう暑い日が続きます。どうぞご自愛くださいますよう。

2007年5月24日

音のある静寂
ふたつの太陽で、紫外線も2倍?
ふたつの太陽で、紫外線も2倍?
 夜になると、外の物音はしなくなる。時々通る車の音。それさえもほんのわずかだ。
 その一方で、カエルの鳴き声はとてもにぎやかだ。この時間は少し静かになったけど、夜中にふと目がさめたときなどにも聞こえてくる。


 もうひとつ聞こえるのが、田んぼの用水路を流れる水の音。
 ところどころで、田んぼに水を入れるために、せき止める仕掛けがしてある。そこでちょっとした落差が生じて、間断なく音が出る。あとは直角に曲がるところ、2本の水路が合流するところなどで独特の音を出す。
 それを子守唄のようだ言ったら、あまりにうそくさいだろう。でも、ずっとずっと以前から聴き親しんだ音。そんな音とは一切無縁の場所に行っても、きっと思い浮かべることができる。

 そんな音を、いまこの瞬間に、いろんないのちたちが聴いている…。



 写真は朝日が出た時のものです。

2007年5月22日

自然と農家の協同作品
 秋田県内陸南部は、田植え真っ盛りの時期です。と言っても、たいていの農家は2、3日で終わってしまうので、真っ盛りという言い方が正しいのかどうかわかりません。我が家は今日のお昼前に終えました。とりあえずホッとしたところです。
 今晩は、雲ひとつ無い空なんです。満天の星、そして三日月が、夜の深まりともにますます輝きを増しています。
 田植えがすんだほとんどの田んぼには水が張られています。日中は空や風景を水面に映し出し、夜は白色や橙色の街灯の明かり、そして点在する家々からもれた明かりをやわらかく映し出します。派手さはちっとも無いのですが、自分にとってはとてもこころやすまる光景に感じられます。
 ついさっきまで、ひとり外に椅子を出して、そんな光景を目の当たりにしながらちょっぴりお酒を飲みました。田植えが無事すんだことに感謝してです。あわせて、良い世の中になりますようにと願ったことでした。
 この光景は、稲の生長とともに目にすることができなくなります。いまだけの期間限定。多くの人に共感してもらえないかもしれないけれど、何となく幸いとうれしさといとおしさを感じる、自然と人間の協同作品と言えると思います。
 この時期に田んぼのたくさんある地域を訪れる機会があったら、ぜひ見てもらいたいなー。

2007年4月14日

かすかな明かり 強い風
 おとといの夜遅い時間、風呂に入ろうとしたら、電球が切れていた。あっと思ったものの、もう服を脱いでしまっていたし、脱衣場の明かりでどうにかぼんやりと見えたので、そのまま浴槽につかった。薄暗い空間。何となくゆっくりする。ろうそくでも灯したら、さらに良い雰囲気になりそうな感じだった。

 いまは全然と言っていいくらい無いが、子どもの頃は停電することが時々あった。そんなときは必ず、すぐカーテンを開けたりして、停電がうちだけかそれとも近所一帯なのかを確かめたりした。大人に言われるまでも無く、「僕が、私が持ってくる」なんて妙にはしゃいで、仏壇の方へろうそくを取りに行った。わいわい言いながら、ろうそくを取ってきて、火をつけてテーブルの上へ…。非日常的な時間というか空間が、なぜかこころを弾ませる役目をして、電気がすぐ点いたりすると、「あーぁ」なんてがっかりしたものだった。誰かが風呂に入っていれば、そっちへろうそくを持って行ったりもしたような気がする。

 そういえば、これも子どものときの話だけど、外にいっぱいの雪がある頃なんかは、お湯が熱すぎたりすると、裸のまま外に出て、たらいに雪を取って、風呂に入れたりしたったなぁ。「さんびぃさんびぃ」なんて言いながら、でも何となく楽しい気もしたりして。

 人のできることが、自然のいろんな現象に比べたらまだまだ小さいことだらけで、でもそれだから、ほっとしたりいとおしかったり…。
 今夜は風がとても強い。ビニールハウスが心配になるくらい、ひっきりなしに風の音がする。種まきまであと1週間と少し。今夜みたいな強風の日は、種をまいてからでも時々ある。

2007年4月11日

まぁ、そういうことで
 いよいよ春作業も本格化してきました。きのうきょうは、稲の苗を育てるビニールハウスのビニールかけをしました。ビニールハウスは、冬の間は降雪による倒壊を避けるために、ビニールが取られて、骨組みだけになっています。種まきが近づく頃になって、またビニールを被せることになるわけです。

 この作業は、風のない時間を選んで行います。少しでも風があると、ビニールがバタバタしてうまく行かないのです。いきおい、作業する人たちの間で、あーだこーだと始まり、雰囲気は悪くなっていきます(苦笑)。「作業する人たち」って、親子の場合もあるし、夫婦の場合もあります。タイミング良くやればニコニコ顔でやれたものを、しなくてもいい口げんかをしてしまうこともしばしばです。

 「ぼくが気が短くないから、けんかにならないんだ」
 「パートナーが私だからけんかにならないのよ。他の人だったら黙ってはいないわ」
 お互いこころのなかでは、こう思ってるんです(笑)。おかしいですよね。
 「『私だから怒りもせずにやってるのよ』って思ってるべ?」って聞いてみました。
 「もちろん。これが**さんとかだったら、ボロクソよ」という返事。
 「アハハ、んだよなー。だども、ここでおれが笑うから、円満にいってるんだよなー」こっちも負けてません。

 どっちも、「うまくいってるのは、自分のおかげ」と思っています。これからもそうでしょう(笑)。だからうまくいってるんです、きっと(苦笑)。

 19年産のお米作りがスタートしました。

2007年2月6日

静かな時間
 つい先ほどまで、作業場でお米の仕事をしてきました。ごはんのあと少ししてから始めて、2時間半ほどやりました。
 時々、夜に仕事をします。注文をもらったお米の精米の場合がほとんどです。通常は日中にやるのですが、夜や早朝の場合も時々あるのです。

 作業が終わると、ホッとします。作業場と家は隣りあっているのですが、すぐには戻らず、ずっと点けていたストーブにいすを近づけ、そこでひと息つきます。
 ひと息といっても、ちょっとの間、何となくぼんやりするだけなんです。特別何かを考えるということもなく、ただストーブに手をかざしたり、燃えている炎を見るでもなく見たりしています。余韻に浸るといった感じかもしれません。

 ほんのわずかの時間そうしてから、灯りを消して外に出ます。作業場に来る時は満天の星空だったのが、先ほどはすっかり雲に覆われていました。こんな時お月さまが出ていたりすると、それだけで、その時間まで仕事をしていたことが何となく報われたような気がするから不思議なものだと思います。

 今年もどうぞよろしくお願いします。

2006年11月28日

電話
 家にいると時々電話が来ます。固定電話へ来る用件なので、かかってくる相手は限られています。
 たまに自分に来るのは、教材販売や塾などの勧誘。そして、ヘンな金融、先物商品の案内。のべつまくなしに話すので、こちらが言葉を発することが、とても困難です。
「ちょっ、ちょっと、すみません。とてもじゃないけど、そんな『先物』の話に乗るような立場じゃないんですけど」なんて言っても、いやまず聞いてくださいという具合で、こちらの言うことを聴く耳を持たない…。
 いろいろやりとりしたあと、「まず、ほんとに、いいですから(結構ですから)」と言い切って電話を切ることになります。

 その後で、いやーな気分になります。こちらでアクションを起こして何かをしたわけでもないのに、気分が悪くなって、損したような気持ちです。
 「えっぺ、じぇんこかげで大学さ行って、して、こんた人だますしごどがぁ? ぶじょほだごど言うんたども…(いっぱいお金をかけて大学に通って、そして、こんなふうな人をだますような仕事に就いたのか。失礼なことを言うようだけど)」
 つい勝手にそう決め付けて、こころのなかでそう思ってしまいます。
 「だます」と言っては、あまりにも表現がきついかもしれません。その仕事に一生懸命な若者にすまないことでしょう。でも、こうした仕事には、そう思われても仕方ない面が多いのではないでしょうか?
 「百姓やれー。誰もだまさねたってえぇがら(誰もだまさなくてもいいから)。ぜんぜんもうがらねーども」

 あはは、汗流すことをきらって、頭使って何とかお金を稼ごうとしている人にこんなこと言ったってしょうがないか。それどころか、相手からはこっちが笑われているんだろうな。
 そんな仕事をしている人のストレスのはけ口はどこに向かうんだろう…。ふと考えてしまう。
 「ぶじょうほだごど言うんたども、当たり前の仕事、早く見つけれなー。見つかればえぇなー(差し出がましいことを言うようだけど、ごく普通の仕事を早く見つけた方が良いよ。早く見つかれば良いねー)」

 そんなイヤな電話。でも、お米の注文が届くのもこの電話なのです。うれしいなー。

2006年11月5日

晩秋のひとこま
 十五夜のきれいなお月さまが白く輝く秋田の夜。地上の景色が照らし出されています。
 作業場に鍵をかけようと外に出ました。玄関を開けて、「あっ、そうだ、冬囲いをしたんだ」と気付きました。風除室のような感じに設営したのです。玄関と外の間の緩衝地帯のような空間。思わずほっとしたことでした。
 雪が降り出すまでにはまだ間があります。とは言え、ここらでの初雪は12月に入ってからが一般的ですが、まれに11月中に降ったりすることもあるのですから、油断はできません。

 数日前に収穫した白小豆。虫害粒や極小の粒を、母が取り除いてくれています。
 自家用にわずかばかりの面積に種をまいたのでしたが、収穫には結構時間がかかりました。いんげんのようなさやがついて、そのさやがベージュ色に変わり、からからに乾いた頃(ちょうどこの時期です)が収穫の時期となります。茎にたくさんついたさやの中には白小豆が何粒か入っています。きれいに並んだ小豆たちはかわいく見えます。さやごと取って、2、3日日に当てれば、乾燥状態も充分になるようです。きのうきょうと乾かしましたが、弱くなったお日さまの光の中でも、さやが少しはじけたりして、パチパチと音がしたりするのでした。

 すべて手作業。労賃換算したら、畑の準備から始まって収穫調整までの時給は限りなくタダに近いものでしょう。そんなに多くを食べるわけでもないし、誰も栽培しなくなる所以です。でも、何となく育ててみたい気がしたのです。
 妻と収穫しながら「これは若いモンがやる仕事じゃないね。年とって、やってる途中でお茶ッコに誘われたりしても一向に差し支えないような年代の人がやればちょうど良いよね」と話したりしました。農作業には、それが商品生産を第一義としたものでなければ、いろんな年代に合った仕事があります。わずかばかりの小豆栽培(とその収穫、料理)などは、まさにお年寄り向きの仕事なのだと思います。
 そう言ったものの、あとから、「47歳にもなったら、少なくても若い部類じゃないよな」と思い、可笑しくなったことでした。

 家の冬囲いが済んで、何となくほこっとした感じになった和賀屋です。
 日一日と寒さが増す中で、稲が刈られた跡から出て来た「ひこばえ」の緑色は、少しずつあざやかさを失ってきています。

2006年10月24日

それぞれの活かされかた
 おとといの日中は、集落の会館で飲み会がありました。
 20軒くらいの集落。自分で耕作しているかどうかは別として、すべての家が多かれ少なかれ田んぼを持っています。収穫作業も一段落ということで、毎年この時期に、みなが集まって飲み会をやっているのです。

 この時の飲み会は「えびす(恵比寿)講」と呼ばれています。恵比寿さんは本当は商売の神様だとか。でも、なぜかこんな名前がついているのです。
 今年の係りの人が準備してくれた折り詰めは、値段からは想像できないほど、彩り、ボリューム、そして味付けも良いものでした。みんな「えぇ、折りッコ(折り詰め)だなぁ」なんて言い合ったものです。とは言っても、みんな飲む方が忙しくて、そんなにばくばく食べるといったふうでもなかったのでしたが。

 楽しいひとときを過ごして、家に帰ってから、あらためて折りッコを広げてみました。家の人たちも「良いねー」なんて。実際に食べてみると、ひとひねりもふたひねりも加えられた品ばかりでした。もちろんおいしかったです。
 人ってわがままなものですね。「人って」なんて一般的みたいに書かなくても、自分のことです。その、「ひとひねりもふたひねりも加えられた」品を口にしながら、かえって違和感が生じてきたのです。「もっと普通でいいのに…」
 「普通」という概念はきわめてあいまいです。「普通でいい」と言っていながら、求めている「普通」は、はっきり言ってしまったら自分好みの味付けということに他ならないでしょう。苦笑せざるをえません。
 
 料理に限ったことでなく、まだ始めてばかりなので、できた(やれた)ものがシンプルであるということ。ひとつひとつを追求し、より難しいことに挑んで、凝って凝って凝りまくって、そしてたどりついたところがシンプルであること。その違いは本人にしかわからず、他の人には、その人の理解の程度にしかわからないことでしょう。だからきっと目立ちません。
 だからと言って、シンプルなものがいつでも良いかといえば、決してそうではありません。それぞれがそれぞれに合った場で活かされ、その役目を果たす…。それができたとき、良し悪しなどというものは無く、考える必要も無くなっていることでしょう。

 折りッコはとても良くできていて、飲み会の場では、その雰囲気によく合った位置にありました。もしそれがあまりに普通すぎていたら、少し寂しいものであったことは想像に難くありません。
 ひとり帰りふたり帰り…。まだそんなに時間が経っていないのに、少しずつ人数が減っていきます。天気の良い秋の一日。いろんな意味で、それぞれにとって大事な一日であったことでしょう。
 それにしても、みんな飲めなく(飲まなく?)なりました。

2006年10月15日

新米といっしょに
 天のたすけをもらい、地のめぐみを得、そこに手間ひまを加えて、今年もおいしいお米ができました。お米に添えて、こんな文章を届けています。

  「ボンブ(ウ)ガルテンの18年産米」

 4月初めに、種もみを水に浸けることが第一歩だった今年のお米作り。下旬には種がまかれ、末頃には田んぼの耕起も始まりました。
 それから約5ヶ月……。稲が刈り取られた田んぼの様子は、遠目には春先のそれかのようです。

 大地は今年もたくさんの恵みをもたらしてくれました。多くの人の生きるちからとなるたべものをいっぱいに育ててくれたにもかかわらず、そんな大それたことをしたというふうでもなく、そこに在ります。
 天のはたらきも、数えあげればきりがないほどたくさんのものでした。お日さまのひかり、月の落ち着き、雨や風、水、そしてあらゆる生きもの。それらすべてが、稲のいのちをはぐくんでくれました。

 このお米は、できるだけよろこんで食べていただけるようにと、有機質肥料を主に使い、薬剤の使用をわずかでも減らしたいという思いで育てられました。そのため、黒い線や斑点が付いているものが若干入っていますが、食べても一向に差し支えないものですで、ご寛容のほどお願いいたします。
 お気付きの点やご質問などございましたら、下記あて遠慮なくお知らせください。

 
 思いが届いてくれたらいいなぁ…。




      

2006年9月27日

稲刈りも終盤となりました
 稲刈りが始まってからずっと好天続きの秋田県内陸南部です。和賀屋(我家)で始めてからのことを数えても、きのうまで7日連続!。きょうようやく雨となりました。

 稲刈りが始まると、何日か遅れてもみすり(籾殻を取り除いて玄米にすること)作業も始まります。次々に玄米にしていかないと、稲刈り(乾燥)直後の籾を入れておく場所がなくなってしまうのです。

 時々雨が降って稲刈りができないと、その時にある程度まとめてもみすりをしたりするのですが、今年の秋は雨が降らないので、大忙し。夜明け前の時間を利用してもみすり作業をしたりしています。

 朝晩すっかり寒くなって、寝心地が良くなっていたものですから、ここしばらく5時前に起きたことはありませんでした。
 でもこの数日は4時半前に起きています。
 星空は夜明け前のもっとも暗い時がいちばんきれいに見える、というようなことを聞いたことがありますが、本当にそうだと思わされています。天然のプラネタリウム状態なのです。

 朝晩の、外にじっとなんかしていられないほどの寒さ。そんななかで、風にゆられながら、稲は頭を垂れています。
 植えたばかりの早苗の時もそうでしたが、田んぼの稲ッコがなにかとてもいとしく思えるきょうこのごろの夜なのです。

6/10ページ[最新]