2011年9月29日
| 新米販売まであと少し |
稲刈りが始まって今日で7日。晴れの日がよく続きました。予報によると、明日から4日間くらいは雨の模様です。機械設備の関係で一日に多くの面積を刈ることができず、残る田んぼにあと3日の晴れの日を要しそうです。
稲刈り初日の籾を、急いで籾すりして、検査機関に送りました。
玄米のお届けができるようになるのは、もう10日くらいでしょうか。その数日後からは白米も可能になります。23年産米、どうぞよろしくお願いします。
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2011年9月10日
| 秋の気配 |
秋の空にはいろんな形の雲が…
9月も9日目となりました。昨夜は雲の切れ間から時々、半月が顔を見せていました。雲がゆっくりと動いているのか、それとも月が動いているのか、もしかすればそのどちらともなのか、ともかく、しばしの間ぼんやりと、その様子を見ていた凡夫です。交わした言葉は二言三言。いや、交わしたと言っても、その時月が何かを答えてくれたわけではありません。ただこころの中で自問自答しただけのことでした。
ちなみに月の答えは、どんな時であってもたいていの場合、「そうかもしれないね……」だというように感じています。あっ、いえいえ、月に語りかけるなんて、そう何度もあることではありませんよ。でもこれからの季節、みなさまも、独りのときにいかがでしょうか?
日中の暑さはともかく、朝晩はずいぶんと、秋の気配を感じるようになりました。寝心地が良くなってきて、ついつい起きるのが遅くなってしまいます。「悪い奴ほどよく眠る」というのは、誰が言ったことでしょう。その昔、話題になった映画のなかの科白でしょうか。時間は決して長くないのですが、毎日良く眠れる凡夫です。あはは、心配ごとはあるんですよ、それなりに(笑)。いったい何が(何処が)悪いのか? 思い当たることがないわけでもありませんが……。
稲の稔りもずいぶん進んできました。ぷっくりと膨らんだ籾の色は、夜露を受けた朝などは、とてもみずみずしく見えます。籾の表面には、うっすらと産毛のようなものが付いているのですが、これも濡れていて、(少し大げさですが)きらきらと輝いて見えたりしています。稲刈りはあと10日もすれば始まっていることでしょう。ちょうど、春の田植えを控え、5月に入ってどんどん風景が変わっていったように、9月も下旬頃からやはり、日一日と様相が変化していくこととなります。こころに浮かぶ思いは、実にさまざまです。
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2011年3月22日
| 再開のお知らせ |
亡くなられた多くの方々のご冥福と、被災されている多くのみなさまの平安をこころより願いつつ、受注再開のお知らせをさせていただきます。
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2010年10月25日
| あんどナウ |
今年のお米は外観がいつもと少し違っていて、初めて精米した時は、驚きというか衝撃を受けたのでした。果たして味はどうなのかと心配したのでしたが、食べてくださった方々からは、「いつもと変わりないですよ」とか「おいしいですよ」といった感想をいただき、ホッと胸をなでおろしているところです。
ありがたいことに、贈答用にお使いいただくことも多々あります。この場合、お米がおいしくないと、何よりお使いものとしてご注文くださった方に、申し訳が立たないのです。その意味でも、味に違いが無かったことはありがたいことでした。
お米は、品種や栽培地域の違いにより、味がずいぶん違います。同じ地域、同じ品種であったとしても、栽培方法によって「本当に同じ品種?」と思ってしまうほどの違いが出るものです。
今は食味計という計器があって、おいしさを数値化できるようになっています。当園のお米は、残念ながら最高ランクにまでは遠く及びませんが、それでも、「お米ってこんなにおいしいんだ」という感想を、時々いただくことがあります。お米作りも含めて農業全般が厳しい時代の折り、こうした言葉にたくさんの元気をもらえていることを、ありがたくしあわせなことだといつも思っています。
安堵ナウ。いまはやりのツイッターでは、こう書くんでしょうか(笑)?
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2010年10月20日
| たんぽぽ |
一足先に飛んでしまったものも
天気が良いのに、ここ数日なかなか外での作業の時間がとれません。
夕方近くになって、家の前の畑を耕していたら、少し前の方にタンポポの綿毛がありました。時期が来て風に吹かれても、バラバラになった綿毛は花を咲かせることなく、冬になるのでしょう。けれども、春になればきっとどこかで咲くはずです。きっとどこかで……。
タンポポの周りの緑色は、稲刈りのあと、切り株から出た葉っぱ。こちらでは「まさり」と呼ばれています。作柄の良くなかった年に多く出ると言われています。
畑を耕したのは、自家用にタマネギの苗を植えるためでした。
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2010年10月15日
| 珍しいお客さん |
「レースは危険」でーす
昨日の11時半ごろ、田んぼから戻ってみると作業場の前を歩いていました。そばまで行っても、飛び立つわけでもなく、ただちょこまかと歩くだけ。50センチくらいまで近づけました。両足にはそれぞれ輪っかが付いていて、レースの途中だったのか、片方には青森中央という文字と電話番号らしきもの。もう一方には、飼い主の苗字と思われるものと数字が書かれていました。夕方まで居て、あとは暗くなったので、どうなったのかわかりません。
あげるのはどうなのかなぁと思いながら、めんこくて、ついついくず米をひとつかみあげてしまいました。いっしょうけんめいついばんでいました。水もそれなりに飲んだようです。
自分が、人付き合いがあんまり得意でないこともあり、人よりも動物類が我が家をよく訪れます。昨日はまたヘビの子どもがいたけど、それは内緒にしておかなければ。今日のお客さんは、みんなのこころをなごませてくれました。無事鳩舎に戻れますようにと願ったことでした。
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2010年10月1日
| 稲ッコなくなったぁ |
昨日の朝
昨日は稲刈り最終日。今シーズンは刈り終えるのに11日間かかった。刈った日それぞれが(時間的に)目いっぱい刈れたことや、収量が少なくて一日に多くの面積を刈れたことなどもあって、この日数でできた。刈り取り最中の突然の雨で中断したり、収量が多くて一日の刈り取り面積が予定より少なかったら、あと2日くらいはかかっただろう。それにしても田んぼの面積の割りには、11日というのは多すぎる。乾燥機その他の設備(規模、能力)が小さいためだ。あきたこまちと、自家用に栽培したきぬのはだという名のもち米を刈り取って終わりとなった。
晩ごはんの前、いつものように神棚と仏壇へ。無事収穫できたことの報告と感謝をこころのなかで唱える。収穫作業に使う機械はすべて、ずいぶん年季が入っている。いつ、どうなってもおかしくないくらいだ。機械がどうにか持ちこたえてくれたことにも感謝。撫でることはしないけど、やはり「がんばったナ」とつぶやく。
とりあえず、田んぼには稲がなくなって、籾すり(籾から玄米にすること)作業はあと数日。この機械も古いので、「あと少しだからナ」と言い聞かせながらの作業だ(苦笑)。
もち米は、わずかな量なので、機械乾燥ができず、ブルーシートをひろげて、その上で乾かしている。今日明日の好天で、ちょうど良いくらいになるだろう。
これからの作業は、天気と相談しながらの毎日。相談と言っても、こちらはいつも聞き役だけなんだけど。
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2010年9月23日
| ♪トンビがくるりと輪をかいた |
この地でトンビの姿をひんぱんに見なくなってから、数年が過ぎています。以前はどこの家でも、家の周囲の畑の隅ッコに、刈った草や野菜クズ、米ぬか、生ゴミなどを積んで置く場所があって、そこに捨てられた魚類の残渣などは、時にカラスとの争奪戦の原因ともなっていました。
カラスとの空中戦は一対一で始まるのが常でしたが、いつの間にかカラスの方には援軍がやって来て、孤独なトンビは、(本当のところはともかく)いつも劣勢のように見えていました。常々、野菜などにいたずらをするカラスのことをにくたらしく思っていたこともあって、トンビのことを応援しながら見ていた気がします。
通常トンビがどのようなところに営巣しているのかということは、今もって知りません。以前やって来ていたトンビが、はたしてどこから来ていたものなのかも、もちろんわからないままでした。ただ、子どもの頃から見慣れていたトンビのいる光景が、ここ数年、身近なものでなくなってしまったことだけは確かなことでした。
稲刈りを始めて三日目のこと。夜露に濡れた稲は、それが乾くまで機械で刈ることができず、その間、屋内で作業をしていました。ふと稲の乾き具合を見ようと外に出た時、空高くゆっくりと弧を描いて飛んでいる一羽のトンビが目に入ったのです。もうこの地では見ることができないものと思っていただけに、感激でした。尾翼を巧みに傾けながら、大きな輪を描いて、その輪が少しずつ移動しているのがわかります。たぶん、田んぼにねずみなどがいないか探していたのだと思います。
ややあって、そこへ一羽の小さな鳥が近づいていきました。はやぶさ(の一種)かなと思っていたら、同じように輪を描いて飛んでいるではありませんか。「トンビの子ッコだぁ」と声をあげてしまいたくなりました。急いで屋内に戻り、仕事中のパートナーに報告。「小さいのが二羽いるよ」との声に、またまた外に出て見とれてしまったのでした。オスとメスがどれくらいの違いがあるかはわかりません。でもずいぶん小さかったので、きっと子どもだったと思います。子連れのトンビ、それが父か母かはわからなかったのですが、親子三羽、どんな状況なのかなと、思わず人間に重ね合わせて考えてしまったことでした。
ただトンビを見ることができたというだけのことです。その時、その光景をパートナーと見ることができたというだけのことでした。感激の度合いはきっと違ったことでしょう。でもその光景をいっしょに見ることができて、そのことを話題にできた……。いつもとはいかずとも、共に働けることの喜びを、あらためて感じることのできた一瞬でした。
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2010年9月21日
| 稲刈りが始まりました |
お盆に載ると、少しは体裁が良くなりますね。
暑い夏もようやくのことで終わり、秋の訪れをゆっくりと感じる余裕も無いままに、今年も稲刈りの時期を迎えました。猛暑の中を過ごした稲。収穫量はもちろんのこと、米質や味がどんなふうなのかが気になるところです。
そして、稲刈りを後追いするかのように始まる籾すり作業。刈られると同時に脱穀されたたくさんの籾は、機械で乾燥された後、1〜2日置いて玄米の状態にされます。刈り取り、乾燥、籾すりの3作業が、ほぼ同時進行の形。それに付随した様々な作業もからんできて、いつものことながら我が家は当分ドタバタ状態です。
籾すり作業は、籾すり機のご機嫌を取るのが以外に難しく、いったん始めたら、キリの良い所まで機械を止めるわけにいかなくなります。小休憩も作業しながら……。昨日は彼岸の入り。団子を食べる日でした。インスタントコーヒーととんがりコーン。
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2009年9月22日
| 間もなく稲刈り、新米のお届けまであと少しです その2 |
9月の便り、続きです。
今月下旬には間違い無く稲刈りを始めている和賀屋ですが、実は、例年に増して天気の移り変わりに一喜一憂している今日この頃です。
それというのも、一部の田んぼの稲が部分的に将棋倒しのような状態になりつつあるから。まだ完全には倒れていません。少し前のめりになったような感じです。こうなると、いちばん避けたいのが雨。いや、雨でなくとも、これからは夜露がじっとりと降りる季節です。その重みも決して侮れません。それはあたかも、腰の曲がった老人の背中に半日以上も荷物を乗せているような状態。その重い露を乾かしてくれるのはお日さまと風のちからですなんですが、何とか持ちこたえてもらいたいナーと祈っているところです。ナンマイダーナンマイダー(笑)。
稲が倒れてしまうことを「倒伏(とうふく)」と言います。ですがこのあたりでは「稲ッコ きゃった
(倒れた)」とか「つぶれた」という言い方が一般的です。「オメェがきゃす(倒す)なんてめずらしいナ」と近所の同級生に言われました。倒伏というのは人災によるところが多くて、あぁ、でも好き好んで倒す人なんかいないので、人災と言うのは酷かもしれません(自分に甘い)。その原因のほとんどは、肥料のやり過ぎか、やる時期のミスと言われます。稲自体がグンと伸びる時期に肥料が効くのはあってはならないことなんですが、今年はなぜかそうなってしまいました。肥料は春にやったきり、しかもいつもより1割以上減らしていました。栽培管理は同じなのに、一枚の田んぼだけがそうなったのも不思議なことです。「♪のびすぎたのはー あなたのせいよー」なんていうデュエット曲が浮かんできたのですが(一部変えてあります)、声にしたらひんしゅくを買いそうです。のびすぎることとなった原因は特定できませんが、「あなた(私)」しか関係者がいないことだけは確かです。大雨や強風、台風…、来てほしくないなー。
「つぶれるくらいでなければ、いっぱい取れね」とは増産が叫ばれ、農業や農村に活気があった時代の話。少し前のめりになるくらいが最高の出来と言われていました。いまでは価格がどんどん下がって、それでもなお、「キロ***円までならコストダウンが可能」などと、各界のおエライ方々や学者センセイ、新聞の社説などで言ったり書いたりしているのを目にすると、正直不思議でなりません。あれこれ立派なことを言えるくらいの人が、そんなに大して食べるわけでもないお米の値段に何でそこまで?と思ってしまうのですが、あはは、こういうのを愚痴と言うのかも。
食欲の秋もすぐそこまで来ていますね。体調をバッチリ整えて、どうぞ元気で迎え撃ってくださいますように!
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2009年9月22日
| 間もなく稲刈り、新米のお届けまであと少しです その1 |
農園から9月の便りです。
9月の第一日目は雨の朝となりました。しとしとと降る雨がいったいいつ頃から始まっていたのか定かではありませんが、日付が変わってからということだけは、間違いないような気がしています。いつものように、目覚まし時計の音で眠りが破られました。5時半です。布団に入る時間が遅いせいか、寝る前によほど重大な決意をしない限り(ずいぶん大げさです)、ひとりで目が覚めることはありません。時には目覚まし時計が鳴ったことすら気づかずにいて、その数十分後に別の音声で目覚めることもあります。冬以外は大体5時頃、田植えの前後はそれより早く、少し秋めいてくるといくぶん遅くなります。7時過ぎの朝食の時間までひと仕事です。冬は早く起きてまでする農作業はありませんが、除雪という必要欠くべからざる作業があるので、6時頃には起きなければなりません。雨が降っているかとか曜日に関係なく、こうしたパターンで30年間ほど過ごしてきました。振り返ればあっという間です。
二日目の午前中は良く晴れ上がりましたが、少しずつ雲が増えてきました。割と強めの風が吹き続いていて、作業をしていても気持ちよく感じられます。きりの良い所で10時頃になったので、草刈り機械のエンジンを止めて置いていた軽トラックのところに戻ってみたら、頭を垂れた稲穂がざわざわと揺れています。葉のこすれあう音がカサカサ鳴って、目をつむってみると、その音はどこか別の場所を思い起こさせるようです。
夏の天候不順のせいもあって、稲の出(しゅっ)穂(すい)はいつもに比べ少しばかり遅れました。この出穂はある日突然に起こるものではありません。そして一日ですべてが出揃うというわけでもないのです。一枚の田んぼの穂がすべて出揃うには一週間近くかかるような感じです。今年はその期間も長くなったように思っています。出始めも遅れ、出揃うにも日数を要したのでしたが、その後は好天の日が多いので、さて稲刈りのスタートはどんなふうになるのやら…。
本来であれば、今が草刈りの真最中となるべきところです(今日は8日)。草刈りが早すぎると、そこにいたカメムシたちが田んぼに飛び込んで行き、まだ軟らかい米粒に食痕を残してしまうからなんです。でも例年ほとんどの農家が適期まで待てずに草刈りを始めてしまいます。今年も何日も前に終了してしまいました。そこにいた(?)虫たちはいったいどっちの田んぼに飛び込んで行ったのか。刈ってお米になってみなければわからないことです。♪このムシはー いつか来たムシ あぁ、そうだよー。そんな替え歌が浮かんできたことでした。
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2009年7月4日
| ダイエットは一瞬 |
我輩は溝切り機である。名前はまだない?
昨日は、この時期のちょっとした重労働をしました。正式には「溝切り」と言われ、この辺では「へげッコ(堰)立て」と言われている作業です。ズボズボとぬかる田んぼの中を、この機械を使って、何本もの溝を作っていきます。
機械は一輪です。少し分かりづらい写真ですが、右の上部が取っ手でその下にエンジン、さらにその下にあるのが、溝を形作っていく、二等辺三角形のような仕掛けです。
この作業は毎年今頃の時期に行われます。暑い中を延々と機械とともに…。作業を終えてから体重を量ったら、果たして−1.5キロでした。わずか12時間くらい前に比べての数値です(いつもならもう少し減っていたような)。
でも、すき間のできたお腹には、いっぱいの晩ごはんと、充実感でいつも以上においしく感じられる少しのアルコールが…。あっという間に元通りと言うか、それ以上になりました。
ダイエットが一瞬なら、リバウンドも一瞬。それで良いんです、それで…。いつものように、はかない夢物語のようでした(苦笑)。
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2009年4月27日
| どうぞお試しください |
これまであきたこまちを食べたことが無い方も、一度食べたことがある方も、どうぞお試しになってみてください。2キロ入り送料込みで1000円です(関東まで、その他地域は若干の加算があります。前もってお問い合わせください)。
恐れ入りますが、おひとりさま一袋一回限りとさせていただきます。
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2008年12月15日
| 12月の便り |
「あらもう12月か」と思ったのもつかの間、きょうはすでに8日目となってしまいました。自分の仕事ぶり(の遅さ)は棚に上げて、時間の過ぎるのが早いことのみに焦点をあてている凡夫。オリコメの迷文も、いくら待っても出てきません。そこで今回は、おととしの11月末頃、雨の日に書きとめておいた文章を見つけ、引っ張り出してみました。
きょうは雨となりました。あらためて思ったものです。きのうの貴重な晴れの日をむだにしなくて良かったと。おとといの夜からきのうの朝にかけて、ずいぶん冷え込みました。記憶違いでなければ、初霜だったかもしれません。そんな朝だったからこそ、日中は晴れたのでした。
すべて自家用ですが、ネギ、サトイモの掘り取り。もうとっくに枯れてしまっていたキュウリやつるありインゲンの残渣の片付けと、その生育に欠かせなかったネットや支柱の撤去。アスパラガスの黄化した茎葉の刈り取り。そんなことをした一日でした。
ネギが植えられていた場所は鶏舎の横で、10時頃になってもまだ日が当たらず、霜はそのままでした。冷たいままのネギを抜くとそこに赤とんぼが1匹付いていました。この冷え込みだと死んでしまったかなと思いながら、手に持って少し温かくしていたら、かすかに足が動きだしたので驚きました。とりあえず日の当る場所に置いて、作業を続けました。
午後まだそんなに遅い時間ではなかったのですが、気温はすでにピークを過ぎています。お日さまが出ているのも関わらず、冷たい風が少し出てきました。そんな中、羽をきらきらさせながら、1匹の赤とんぼが飛んでいました。他に飛んでいるものはおらず、仲間を捜しているのかな?もっと暖かい場所を探しているのかな?と思ったりしたのでしたが、実際のところはどうだったんでしょう。少し気の毒な気がしたことでした。
それからまた時間が過ぎて、ふと気付くと、南側に面した壁面に5匹がきれいな間隔で並んで張り付いていました。強烈な冷え込みをしのいだのは1匹だけではなかったんだとあらためてびっくりしたのでした。このとんぼたちは、どんなことを考えているんだろう?いや、とんぼには「考える」ということはありえないのかもしれません。そんなことを思いながら、仕事を進めました。
夕方になって、とんぼたちはいつの間にかそこからいなくなってました。夜のねぐらを探しに行って、どこか良い場所を見つけたのでしょうか。なにもわかりませんでした。
この生命力旺盛なとんぼたちも、一日多く生き延びれば、それだけ仲間の数は減っていきます。最後はひとりぼっち、というわけではないかも知れませんが、それにしても、何となく哀しいことのような気がしたことは事実です。
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2008年12月15日
| 12月の便り(続きです) |
日中、家の周囲で仕事をしているせいで、近所のお年寄りともよく顔を合わせます。時には、仕事をしているそばに来て、話っこをし出すお年寄りもいます。「長生きして良いですねって言われるけども、もうこの近辺には同じくらいの年の仲間がいなくなってしまった。これもやづぁね(せつない、哀れ、寂しい)もんだよ」そんな意味の言葉がふと口をついて出てくることもあったりします。傍で気軽に考えているのとは違った思いをしている場合もあるということ。そんなことをいちいち気にしていたら、なんにも声を掛けられなくなってしまいそうですが、知っていても悪くは無いと思うんです。とんぼたちを見て何となく哀しいことのような気がしたのは、そんな言葉がこころのどこかにあったからかもしれません。
収穫した野菜たちはそれぞれ、洗われたり、土を落とされたりしたあと、まとめられて納屋にしまわれました。大小さまざま、自家用には多すぎるほどの量がとれました。不必要な茎葉部分は、少し離れた畑の一角に運んでいきました。農道には季節はずれのタンポポが、咲いているのもあれば、咲き終わって綿毛になっているのもあります。この綿毛はどこかでまた花を咲かせることができるんだろうかと思ったりしながら、家に戻りました。米っこの仕事がようやくひといきつけたいま、きょう目にすることができたいろんな物や現象のひとつひとつがいとおしく思えたことでした。
実はきのうはいろんな行事があった日でした。農作業は天気次第ということもあるので、参加の確約はできません。いや、それならば前々から作業を組み立てていき、その日に農作業をしなくていいようにすれば良いのです。理屈ではそうなのですが、それがなかなかできないところが、ツライところでもあります。でも、そういうふうにしていくことが、これからの人生の過ごし方を豊かにしていくひとつの鍵であることに、間違いないような気がしています。
とんぼたちに憐れみを感じたのは、傲慢のなせることかもしれませんでした。最後の最後になって、日々厳しい条件の中で明日のいのちはどうなるかもしれぬ、といったところをせいいっぱい生きているとんぼたちも、それ以前の季節を、違った意味でせいいっぱい生きてきたことでしょう。そこを感じ取ることも無く、ただ最後の場面を憐れむというのは、傲慢と言われても仕方の無いことです。「明日も元気だばええな」。こころからそう思ったことでした。
今年もたくさんのお引き立てをありがとうございました。12月もどうぞ元気でおすごしください。
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2008年12月9日
| 食育の話 最後になりました |
農業という分野は実に広いものです。もちろん、それは農業に限ったことではありません。あらゆることが、限りないほど広いもので、私たちが何かをわかった、わかっているという時、その先には、その果てが見通せないほどのわからないことが存在しています。そのことにも同時に気づくことができたら、人はもっと謙虚になれるかもしれませんね。
それはともかく、農業の中には、人をやさしく包み込む何かもあると思っています。時には情け容赦の無い自然ですが、やさしさやおだやかさ、ゆっくりとしたリズムは、いろんな人に力を与えてくれることもまた事実なのです。身体の弱い人、年老いた人、人とのかかわりがつらく思える人、いろんな人を受け入れてくれるのも農業のすばらしさの一面です。
最初に話したように、農業を取り巻く状況は本当に大変なものですが、農家の人たちはがんばっているんですよ。決して暗い顔ばかりはしていません。なぜなら、周りの状況が大変だということと、自分たちがやるべきことをやるということは、まったく別のことだからです。みなさんも時には、家族の話に耳を傾けたり、休みの日には作業場やたんぼ、畑に行ってちょっと手伝ったり、ご飯の支度の時に、そばに行ってみてはどうでしょうか。農業や農家のこと、これまでもこれからもいのちをいただいているのだ、いくのだということを、こころのどっかや、頭の片隅にでも置いていれば、そうしたことに何の関心も払わずに生きていくのに比べれば、少しは心豊かな生き方につながっていくのではないかと思います。何かについて知るということは、きっとそういうことなんだと思います。
今日の話の内容はともかく、最後にみなさんに、このあともげんきでね。つらいことやなきたいことがあっても、どうにかこうにか過ごしていける力が誰にでもあることをずっと忘れないでね。と声をかけさせてもらいたいと思います。どうにかこうにかというのは、誰かに助けを求めることも含んでいます。おかしなものでそうした言葉を誰かにかけることができた時、自分の方が元気になったり、ふとしあわせを感じたりするんですよね。不思議ですがそうなんです。このことがわかった時も、ちょっと大人になったと言えるかもしれません。三十年くらい農業をしてきた私が、目の前にいるみなさんに言えることは、言葉にすれば、そんな簡単なことです。みなさんが似たような思いをいつか抱いてくれたとしたらこころよりさいわいです。
最後になりましたがみなさんの前で話させてもらう機会をくださった先生方にこころからお礼を述べたいと思います。それと同時に、この時間を共有してくれたみなさんにも、こころから感謝です。この後も、みなさんと深くつながっている、地元のお米や野菜をたくさん食べてください。つながっているお互いのことも、行動には出せなくても、どうぞ大事に思ってください。それがいつもできなくてもいいんです。ただそんな気持ちを心のどこかに持ってさえいれば、それだけで違うのだと思います。きょうは本当にありがとうございました。
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2008年12月9日
| 食育の話 その5 |
ばらばらに育つ作物の姿は、見ていて楽しいものです。そこに良いとか悪いとかいうことはなんにもありません。その生育する姿にずっと付き合っていく立場からすると、外観の違いなんて大したことが無いし、みんないとおしく思えてくるものです。みなさんの年頃には、みんなと同じでなければという思いで、いろんなことに悩んだりすることもあるかと思いますが、違っているのが当たり前、自分は自分なんだと思うと、ずいぶん気が楽になるかと思います。そのことに早く気づけば気づくほど、早く楽になります。経験者は語る、でした。
この世の中にあるいろんなものには、目には見えませんが、実に多くの人間の労働が関わっています。いま身に着けている衣類、座っているイス、多くの時間を過ごす学校という建物、自転車、ありとあらゆるものが、多くの人たちの労働を経て、みなさんの手に届いているのです。それらの原料が地球上のどんなところでどんなふうに生産されたかというところまで考えたら、その事実は驚くようなことも多いことでしょう。食べ物もきっとそうですね。それが形となるまでは、自然の働きはもちろんのこととして、本当に多くの人間の労働がそこに関わっています。その中身を細かく説明する時間はもう無いかと思いますが、食べ物とそれ以外のものとで大きく違うところは、そこに作物そのもののいのちが宿っているということでしょう。
自然界の生き物は、休むことなく他のいのちを奪うことによってのみ、自分のいのちを維持しています。そしてそのいのちは同時に、自分より強いものにいつ襲われるかしれないいのちでもあります。ただ人間だけが、そうした恐れを抱くことなく、他のいのちたちをひたすら奪い続けるのです。このことをどう考えたらいいのでしょう。その答えは人それぞれです。そしてその一人ひとりについて、今日の答えと明日の答えは違うかもしれませんし、違ってくれたらと思います。いつからか、私はこんなふうに考えています。たくさんいのちを奪わずにはいられない自分だから「いただきます」と言い、「ごちそうさま」と言うのだと。
作物はそれ自体をそのまま食べることはなかなかありません。誰かが調理してくれます。もちろん自分で作ることもあります。その時に、おいしく食べてもらいたいな、元気になってくれたら良いなという思いが隠し味になっていることを、みなさんは考えたことがありますか。それはお母さんやおばあちゃん、場合によってはお父さんやおじいちゃん、そしてみなさんの給食を作る仕事に携わっている人たちに共通した思いではないかと思います。「自分は多くのいのちと、料理を作ってくれた誰かの思いをいただいているのだ」ということに、みなさん一人ひとりがいつかきっと気づく日が来ると思います。
大人になるっていうのは、いろんなことがありますが、こんなことに気づくことができた時も、「少しは大人になったかな」と思える時ではないでしょうか。いただきますの意味を、私が思っているように思わなければならないと言っているわけではありませんよ。そんなふうに思える日が、みなさんにもいつか来てくれたらと、心から願っています。そしてできるなら、そんなふうに思えるような場面が何度でもあってほしいとも思います。
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2008年12月5日
| 食育の話 その4です |
お米の種がまかれてから収穫されるまで、約五ヵ月かかります。その期間中、いろんなことがあります。晴れの日もあれば雨の日もあります。きれいな月の出ている夜もあれば、強い雨風が一晩中続くこともあるのです。あるいは思いがけないほどの寒さにあう夜もあったりします。そんな一日一日の積み重ねを経て、稲は育っていきます。田んぼに存在するのは稲ばかりではありません。虫をはじめとしていろんな生き物や稲以外の草など、多くのいのちがそこに息づいています。
そしてそんな自然の流れとともに、農家の人たちの稲に対する働きかけがあります。肥料をまいたり、農薬を散布したり、田んぼに水を入れたりあぜの草を刈ったり、ありとあらゆる働きかけがあります。そんな過去があって、ようやくお米が収穫できました。それが現在ということになります。
外見上のささいな違いに気づくほどの緻密な能力を私たちは持ってはいませんが、育ってきた間のいろんな過去が、できあがったお米に反映されていることは確かです。
それならば未来が含まれているということはどういう意味なんでしょうか。実はみなさんが食べるお米は、それはそのまま、種でもあります。もちろん、種として利用する場合は籾殻がついたままなので、精米されて白くなったお米が、そのまま種として使えるわけではないのですが、玄米のままだと芽は出ます。
とうもろこし、大豆、好きな人も多いと思いますが、枝豆も、食べているのは種なのです。ほかのどんな作物もそうです。ずっと畑においておけば、やがては花が咲き、種ができます。トマトやなす、きゅうりなどは最初から種が入っているし、大根、キャベツ、レタス、にんじん、ごぼうなどは花が咲きます。その種は、未来のものですよね。少なくとも、未来に生きるはずのものです。それを現在食べているのです。
過去現在未来にわたるいのちを食べているのだということを、これも神経質に考える必要はありませんが、こころのどこかで忘れずにいてくれたらと思います。鶏や豚、牛などの家畜はもちろん、魚についても同じことが言えると思います。
野菜の種をまくと、全部同じように育つということはなかなか無いですね。それをできるだけ同じようにするのが、プロの農家の技とも言えますが、それはさておき、違うことがしばしばです。
でも確かなことは、外見の違いはどうであれ、その一つひとつは、その一つひとつなりに一生懸命生きているってことなんだと思います。作物は自分では動くことができないんですよね。植えられた場所がたまたま湿り気の多い、作物のとってはいやだった場所かもしれない。あるいは農家の人が間違えて肥料をいっぱいに撒きすぎて、作物の根に悪影響の出る場所だったかもしれない。たとえそうであったとしても、作物はその場所で精いっぱい生きるしかないんです。そして生きているんです。
その点人間は自分の意思で動くことができます。精いっぱいやってみて、どうしても大変だと思ったら、自分の意思で動くことができます。みなさんはまだ中三です。いや、もう中三と言った方が良いでしょうか。時と場合によりますね。いまは動ことができなくても、自分の中にはいつでも、自分の意思で動く力があるのだということを、どうぞ忘れないでください。 なんか、話がずれてきたみたいですね。でも、作物を見ていると、いろんなことが心の中に浮かんでくるんです。とても単純だけど、大事に思えるようなことがです。でも、それがみなさんに共感してもらえるかどうかということまではわかりません。
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2008年12月4日
| 食育の話 その3です |
せっかくの機会なんですから、大変な話はこのひとつだけにして、あとは別の話をしようと思います。
みなさんはいま一人ひとりがばらばらの存在です。でも**中学校の三年生というまとまりで考えると、ひとつとなります。ばらばらだけどひとつ、ひとつだけどばらばらですなんですよね。
みなさんの周りを見渡してください。ちょっと想像してもらえるでしょうか。あなた自身を取り巻いている空気、それが動いた風、あなたが普段は何とも思っていないけども、無くてはならない水。いや、無くてはならないものの第一は空気ですね。そうしたものが、みなつながっているということに思いを馳せてもらいたいのです。
つい何年か前までは、秋になればあちこちで籾殻が焼かれ、それは独特のにおいとともに、秋の風物詩とも言えるものでした。でも、この煙の中に含まれる成分に、ぜんそくというなかなかつらい病気に関係するものがあることがはっきりしたと、何年か前にニュースで報じられたのです。煙の真っ只中にいなくても、およそこの煙とは縁の無いような遠くはなれたところであってさえも、この煙の中の成分が原因となってぜんそくがひどくなることもしばしばだと言われています。苦しんでいる人たちにとっては、風物詩などとは言ってほしくないというのが本音なのかもしれません。
みなさんが何歳の頃のことだったのか調べないで来てしまいましたが、ソ連のチェルノブイリの原発事故で、漏れた放射能が事故現場はもちろんのこと、ヨーロッパの多くの地域にまで及んだことは、当時大きな驚きと不安とともに報じられました。あるいは中国の大気汚染が原因となっての酸性雨や黄砂が、日本にまで飛んでくることなど、空気がつながっているということを実感させられます。
水について言えば、水を汚している原因の多くを、私たちは工場排水ではないかと思ったりしています。ところが、そういう時代もあったのですが、いまそういうものの規制がとても厳しいものになって、むしろ、家庭から出される生活排水が、川などを汚す原因の多くの割合を占めるのだそうです。私も含め、皆さんの家庭から出された排水は農業用水路に流れる場合がしばしばです。それがいったん田んぼに入りそして川、海へと流れていきます。場合によっては、川が最初で、それから田んぼに入ってまた川へ、という順序になるかもしれません。そして、畑の場合は、野菜に用水路から汲んだ水をかけたりしますが、その水で育った野菜も、みなさんの身体に入ることになります。やっぱりつながっているんですよね。作物が育つ土壌、土というものも、これもつながっています。
だからといって、私はみなさんに、神経質になることをすすめているわけではありません。たぶんそんなことは無いと思いますが、神経質になられても困ります。ただすべてはつながっているのだということを、何となく知っておいてもらえたらと思うのです。良いとか悪いとかではなく、すべてはつながっているし、循環しているということです。
中国の大気汚染が発生する原因のひとつに、日本や多くの国が安い製品を中国に大量に求め続けていることがあると言ったら、それは屁理屈だと笑われてしまうかもしれませんが、全然関係が無いとは言い切れないと思います。どんなにささいなことであっても、あらゆることはつながっているのだと思います。
ところで、みなさんが食べているお米や野菜、肉、魚などあらゆるものに、実は過去現在未来が含まれています。そんなことなど考えたことも無いでしょうけど、そうなんです。
お米を例に話します。
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2008年11月28日
| 食育の話 その2です |
ここは、平野部で、お米を作るには大変に条件の良いところです。取れたお米もおいしいものが多いと言われています。もちろん、細かく見ていくと、地域によっては、作り易さの度合いにも、だいぶ違いがあります。田んぼは水が入るということで、もともとの地形が平らに近ければ近いほど、一枚の田んぼを大きな四角にできます。形が四角で、しかも大きいこと。これが田んぼの作業がやり易くなる重要な二つの点なんです。
ところが、山に近ければ近いほど、あるいは、山の合い間にある田んぼほど、形は不規則で、しかも一枚の大きさは、小さくてばらばらだったりします。こうなると、合計した田んぼの面積が同じだという農家であっても、何倍も、場合によっては十倍というのが決して大げさでないほどの手間がかかります。平野部の条件の良いところでさえ、もうやってられないという声が多数の時に、こうしたハンディを背負った場所でのお米作りがどれだけ大変なのかは、想像して余りあります。いや、私の乏しい想像力の範疇など超えていることと思います。しかも、そうしたハンディのある場所でとれるお米の合計が、日本の全生産量に占める割合は、とても大きなものなんです。そこでのお米作りの大部分は、あと何年続けられるかわからないという高齢者の人たちによって行われている場合が少なくありません。そんな損なことを、いまさら誰がやるというのでしょう。やる人がどんどん減っているのがいまの状況で、この先急激に減っていく…。そんな未来ががすぐ目の前にまで来ています。本当に大変なことだと思います。
もちろん、食べ物が無くなる、ということは無いでしょう。農家の人はとりあえず自分の家で作っていればどうにかなるかもしれませんし、最悪の事態が来る前に、農家でない人たちは「何とかしろ、何とかしろ」と大騒ぎするからです。実際、安い食料を外国からどんどん買ってきさえすれば良いのだ、という意見を言う人もたくさんいます。そのことがその国で、その国というのは、相手の国ということですが、農業をする人たちにどんな影響をもたらしているかについて、何にも考えていない気がします。良い悪いではなく、残念に思える意見のひとつです。
お米作りをはじめとする農業の現状の大変さと将来のあやうさを、まず話してみました。このことは、みなさんにぜひ知っておいてもらいたいことのひとつです。
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2008年11月27日
| 地元中学校で食育の話を… その1 |
地元中学校で、3年生の人たちに食育をテーマにお米作りや農業の話をさせてもらうご縁をいただきました。
みなさん、こんにちは。初めまして。いま紹介していただきました、中田宏明といいます。年は49才、農業の仕事をするようになってから30年くらいになります。多くの人の前で話をするという経験が、実は殆どと言ってよいほどありません。正直なところ、とてもドキドキしています。言葉がはっきりしない箇所もたくさんかと思いますが、これからの時間、どうぞよろしく願いします。
みなさんの中で、家が農家だという人も多いことでしょう。大部分の人がそうでしょうか。そして栽培の中心はお米作りだと思うのですがどうですか。中には、野菜をたくさん栽培していますよ、という人もいるかもしれません。野菜や果樹をたくさん栽培している農家の実情について、残念ながら私は多くを知りません。いや、正直なところ、お米を作っている農家のそれぞれの状況についても、ここでみなさんに話をできるほどには詳しくつかんではいません。でも、これから話す内容は、大体において大きな間違いは無いと思っています。そんな話をしようと思います。
お米を作っている農家のみなさんの家では、家族の人たちは、お米作りについて、普段どんな話をしているでしょうか。良いことよりもむしろ、大変だという話の方が多いのではないでしょうか。みなさんの耳にはどんな内容の話が届いていますか。
実は大変なんです。何が大変なのかというと、もうずいぶん前から、農家がお米を売る時の値段は、そのお米が生産されるためにかかった経費を、充分にまかないきれていません。その状態が何によってカバーされてきているかといえば、農家の人たちの働きに対しての対価、対する価値という意味の対価ですが、わかり易く言うと、時給が年々下げられていることによります。一言で言ってしまえば、お米を作るためのいろんな作業が、タダ働きに近い状態に限りなく近づいているということなんです。そのことがとても大きな問題になっています。だって、いっぱい難儀して、それがほとんど見返りの無いものだとしたら、この後、いったい誰がそんなことをやるというのでしょう。
農業をすることが楽しいという農家の人はたくさんいます。厳密に言うと、農業というよりは農作業をするのが楽しいのではないかと思います。会社勤めで神経をすり減らして、時にはぼろぼろになったりすることもあったりして、そんな人が休みの日に自然の恵みを身体いっぱいに感じながら農作業をするというのは、みんながそうだとは言えませんが、きっと楽しく感じることも多いだろうなって思います。そうした、単純にお金には代えられない喜びの部分を差し引いたとしても、いまのお米をはじめとする農産物の値段は、そこに農家の人たちの働きに対する正当な評価がされているとは到底思えないものになってしまっているのです。これは本当に残念で悔しく感じられることです。それどころか、単に残念だとか悔しいとか言うだけではすまない問題につながっているのです。
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2008年11月15日
| 条件反射? |
今日から明日にかけて、めずらしいことに2人となる当園。
作業を終えていましがた家に入ったら、大きなおにぎりが5個ありました。朝炊いたご飯をすべておにぎりにしたようです。はたしてどういう割合なのか?
おにぎりを目にするたび、いつも「ケメコの唄」を思い出します。
おにぎりにして冷凍すると、日曜の朝も手軽にご飯が食べられますね。
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2008年11月10日
| 11月の便りですよー (続き) |
ところで、豊作なのに、農協や業者に売り渡す時の今年の値段は、昨年より幾分高くなったんです。そこに、農家個々では抗し切れない大きな思惑なり力が働いているのですが、それは同時に、簡単に値下げを行う思惑と力でもあります。もちろん、値上がりしたことは単純にうれしいことなんですけど。同じくらいの収穫量なのに、その年によって数10万の違い(これまではほとんど値下がりです)が生じるというのは、「経営者感覚を持って」とか「コストダウンを第一に」などと、愛も変わらずおっしゃる方々の認識が、この国の農業の現状と大きくかけ離れていることの良い一例と言えるかもしれません。でも、きびしさも愛のつもりなのかな?
10月は好天が続きました。3週間ぐらいはあまり雨が降らず、「これが降り出したら、もう簡単には止まらなくなるんじゃないか」と挨拶代わりに言われていたほどでした。そして、やはりその通りとなり、4週目に入ってからは、秋晴れの日は、ぐんと少なくなったのです。
この時期になると、テレビなどで、いろんなところの「秋祭り」の様子が映ったりします。こちらでは、五穀豊穣に感謝してというような意味での秋祭りがあるという話をあまり聞きません。当地でも無く、地元の神社の祭典は6月の第2週頃に執り行われています。機械の無かった昔は、今以上に遅い時期まで、収穫とその後の出荷作業に精を出さなければならなかったでしょうから、秋の深まりとともに好天の日が無くなっていくここでは、数日にわたる秋祭りというようなものは無理だったのかもしれません。もちろんこれはあくまでも私の推測であって、本当のところはわかりません。秋の、もったいないくらいのやわらかな日差しの中で一日を過ごすのも心地良いものですが、時には日常を離れて、秋祭りのにぎやかな中に身を置いてみたい気もしますが…。
初雪は11月中にあることもまれではありません。でもたいていは一回限りで、本格的な雪になるのは12月です。それまでの間は、時雨れる日が多く、雨が降らないにしても強い季節風が吹くことはしょっちゅうです。家の冬囲いは11月1日にやりました。すべての窓に、屋根からの落雪による破損を防ぐために覆いをして(暗くならないように、透明色のものを使います)、玄関には冬だけの風除室を設営しました。春になるとすぐにでも取り外してしまいたくなるこれらの設備が、この時期は、その反対に、とてもほっとした気分をもたらしてくれます。同じものなのに、取り巻く状況が変わるだけで、それに対する感情が正反対になるんですから、つくづく勝手なものです。今年はどんな冬になるんでしょうか?まずは家でまんまいっぺぇ食べて(これが大事かも)、元気で過ごされますように!
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2008年11月10日
| 11月の便りですよー |
数日前の天気予報で、「場合によっては平地でも雪の可能性が」と言われていた11月8日、ずいぶん寒い一日でしたが、有難いことに、ここ仙南では降ることなく、その日が過ぎました。それでも、冬がそこまで来ているのが感じられる今日この頃です。凡夫の身体を包む衣服は、ずいぶんモコモコになってしまいました。「おらぁ、このトシなってもまだ熱くて、くりんと裸ッコになって寝てるんだ」なんていう、近所の70代の人の話を聞くと、思わずのけぞってしまいそうです。体質って、本当にひとそれぞれなんですねー。
さて、今年のお米はいかがでしたでしょうか?「いつもと違いありませんでしたよ」ということであれば、とりあえずはほっとできるんですが、機会を見て正直な感想をお聞かせいただければ幸いに存じます。お米については、別紙である程度細かく書きましたので、時間が許しましたら、ぜひ目を通していただければと思っております。
今年は一部の県を除いて、全国的に「豊作」だったそうです。秋田県も例外ではなく、近所から聞こえてくる声も、いやぁースゴイものでした。「11俵(660キロ)超えたぞ!あなたもそうだったでしょう?」という声が何人からか…。あなたもと言われても困るわけでして、「やったね、すごいしゃー。オレはダメダメ。オラの稲ッコ見たら、そんなに穫れるようには見えなかったべ」と笑顔で答えていました。いやいや、決して作り笑いなんかじゃありません。ひとさまの喜びは、聞いている自分にとっても、喜びです。なーんて意地の無いようなこと言ってるから、おぼっちゃまと評されるんでしょうか。ここに何か、凡婦が逃れられずに来ている、長い労苦の原因の一端が隠されているかに思えるふしも無いわけではないのですが(苦笑)。
まぁ、それはともかくとして、当園でも当園なりに、いつもよりほんの少しは良かったんです。凡婦の長い労苦が報われるには程遠い数量でしたが、いろいろあっただけにありがたいことでした。でも、その喜びもつかの間のこと。この秋は中古のコンバインや長く使ってきた機械の傷みがひどく、その修理代に思わずどでんして(驚いて)しまったのでした。はい、増収分はほぼそちらに流れて行った訳でして、「水は低きに流るる」のに、「金は高きに流るる」気がしてならない今日この頃であります。あっ、農家は通常いろんなことを、一反歩(10a、300坪)当りという前提で話をするんでありまして、300坪で660キロ!正直なところ、あきたこまちという品種にしては穫れすぎと言われています。
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2008年10月21日
| こんなハンコが押されます |
丸の中に点がひとつ
一週間ほど前に等級検査を受けました。今年は青米と呼ばれる緑色の未熟米の混入割合が、例年に比べて多い感じだったので、ちょっと心配でした。受検した120袋(一袋は30キロ強)すべて、1等米のハンコを押してもらうことができて、ホッとしました。
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